ウォッチジャーナリスト高木教雄が、最新作からマニアックなトリビアまで、腕時計にまつわるトピックを深く熱く語る。第7回は、時計マニアなら誰もがその名を知る国際団体「アカデミー独立時計師協会」のメンバーに名を連ねる日本人時計師と、彼らが手掛ける時計の魅力を探る
腕時計は、工業製品であると同時に、多くの人の手が介在する工芸品でもある。そして陶磁器や漆器といった工芸品にメーカーの製品と作家による作品とが共存しているように、時計界にもブランドに属することなく作家的に自らの作品を製作する職人が少なからずいる。彼らを称して、「独立時計師」。時計ファンには、良く知られた存在である。
1985年には、ジュネーブで「アカデミー独立時計師協会(AHCI)」が発足。所属する会員は、いずれも優れた技能を持ち、名だたる時計メゾンに複雑機構を提供したり、ムーブメントの開発を手助けしてもいる。新作時計発表会「バーゼル・ワールド」でもブースを構え、会員の作品を披露。その多くが独創性豊かなユニークピースであり、世界中の時計コレクターからの注目度は極めて高い。今やビッグブランドとなったフランク・ミュラーが、自身の作品を初めて発表したのもAHCIのブースだった。2019年12月現在でAHCIの正会員は30名。その中には、2名の日本人がいる。菊野昌宏と浅岡 肇である。
2011年に日本人として初めてAHCIデビューを果たしたのは、菊野であった。高校卒業後に入隊した自衛隊で機械式時計に出合った。上官のひとりが時計好きだったのだという。そして電気を使わず動く機械に興味を持ち、時計専門誌を購入。それに掲載されていたのが、スイスで活躍する名うての独立時計師たちだった。複雑なメカニズムを自作する彼らの仕事に大いに触発され、「いつかは自分でも作ってみたい」との想いを強くした菊野は、ほどなくして自衛隊を除隊。東京・渋谷にある専門学校「ヒコ・みづのジュエリーカレッジ」のウォッチコースに入学した。
卒業後も学内に留まり、時計製作に没頭する中、田中久重が製作した万年時計の存在を知る。江戸時代の日本は、日の出・日の入りの時間を基準とする不定時法が用いられていた。季節によって日の長さは違い、昼夜でも一刻の長さが変化する。これを自動で調整する機構を、万年時計は備えていた。コンピュータどころか電動の工作機械すらなかった時代に、これほど複雑なメカニズムが発明できたことに感銘を受けた菊野は、腕時計での再現を試みる。
そして2010年、十二支が描かれたコマ(インデックス)が季節の変化に伴い自動で移動する、その名も「和時計」のプロトタイプが完成。その優れた独創性がAHCI入会の資格ありと認められ、2011年に準会員となり、2013年には正会員となった。かつて雑誌で見て憧れた独立時計師たちと、ついに肩を並べたのである。
千葉の自宅と北海道の実家に工作機械を置き、ムーブメントのパーツやケース、ダイヤルをすべて自作。そして一貫して日本の伝統に根づいた時計製作を続けている。異なる複数の金属を熱接合して金づちで叩く、日本の伝統技法「木目金(もくめがね)」をダイヤルに用いたり、自身の手でダイヤルに唐草の透かし彫りを施すなどなど。すべてが一点製作で、オーナーの好みや希望を汲み取りながら、菊野は時計製作に向き合っている。(続きを読む)
SOURCE:「Watch Stories ー Vol.7」By T JAPAN New York Times Style Magazine:JAPAN BY NORIO TAKAGI DECEMBER 19, 2019
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