ドロシア・ラングは、時代の波にさらされても決して色褪せることがない20世紀のイメージを創造したひとりだ。また、彼女は現代のフォトジャーナリストという概念もつくり出した。アーティストであり、記者であり、被写体に共感する魂と、あらゆるものをつぶさに捉える観察眼を備えた者として
ドロシア・ラングは、彼女の人生の後半を、英国人哲学者フランシス・ベーコンの格言を視界の端にちらちらと意識しながら送ってきた。その格言とはこうだ。「間違いや錯覚、置き換えや偽装なしに物事をありのままに捉え、その意味を深く考えること、そのこと自体が、発明で得られる成果以上に高尚なことなのだ」。彼女は1933年にこの言葉が印刷された紙を暗室の扉にピンで留めた。その紙は1965年に彼女が70歳で死去するまでそこに貼られたままだった。彼女が亡くなったのは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で彼女の最初の回顧展が開催される3カ月前。さらにその死は、写真という媒体の歴史上、最も象徴的な一枚を彼女が撮影した日から数えて、30年後だった。
ラングが1936年に撮影した写真《Migrant Mother(出稼ぎ労働者の母)》は、フローレンス・オーウェンズ・トンプソンという人物のポートレートだ。この被写体の素性は、40年以上も判明しなかった。写っているのは、粗末な布を身体に巻いた端正な顔だちの若い女性の姿だ。彼女は、大恐慌時代のカリフォルニアの出稼ぎ労働者のキャンプ地に座っているが、その姿には、時代を超えて見る者に訴えかけてくる何かがある。指を口の端にそっとあてて、彼女はどこか遠くを見ている。彼女のふたりの子どもは、肩の後ろに隠れてカメラを避けている。圧倒的な生活苦とそれにくじけず必死で耐える姿が、彼女の顔の表情と姿勢から伝わってくる。ラングがこの写真を撮影したのは、貧困にあえぐ多くの国民を援助するためのニューディール政策の一環である、連邦政府の農業安定局の仕事をしていたときだった。
この写真は1940年に開催されたMoMAの最初の写真展において、アルフレッド・スティーグリッツやポール・ストランドの作品とともに展示された。それ以来、この写真はほかのどんな写真よりも数多く展示されてきた。そして今年2月から、同美術館では二度目となるラングの回顧展が開かれている。この写真は切手にもなり、ジグソーパズルや雑誌の表紙、Tシャツにまで使用され、アメリカの学校の生徒たちにもおなじみの一枚となった。この写真はラングが公務員だった頃に仕事で撮影したため、使用権は公に帰属する。つまり、誰がいつどんな理由で複製を印刷してもいいというわけだ。
ラングのほかの多くの作品と違い、この写真は撮影直後から有名になった。トンプソンのこのショットがサンフランシスコ・ニュース紙に掲載されたその日に、米連邦政府は、2万ポンド(約9トン)の食糧をトンプソンと彼女の子どもたちが住んでいたカリフォルニアの出稼ぎ労働者キャンプに送ると発表した。「彼女の名前も経歴も聞かなかった」とラングは当時を思い出して語った。ラングは、彼女の年齢が32歳だということを聞いたぐらいで、そのほかはほとんど何の情報も得ていなかった。それについては、後年トンプソン自身が、事実の細部が間違って伝わったことに意義を唱えたが。
被写体が置かれていた状況を補足説明するための情報が欠けていたのは、ラングにしては珍しいことだった。彼女は写真家にしては稀なほど「言葉で補完し得ない写真は、存在しない」と信じていた。ラングの数千枚の作品のうち、この一枚だけが突出して鮮やかに人々の記憶に残っているとしても、彼女のキャリア全体から見ると、この一枚は実は例外なのだ。彼女のほとんどの作品には、それを説明する言葉がふんだんに添えられており、それが彼女独特の手法でもある。被写体を撮り終わると、キャプションやタイトルに使うため、彼らが語ったことを素早くメモする。ラングの耳は、平易な言葉で語られる“詩”を聞き逃さない。その上で、どの言葉を引用するかを選択するのだ。
『アメリカ人の集団移動:人間崩壊の一記録』と題された彼女の著書のテーマは1939年からの地方の貧困だ。そこには最も刺激的な言葉の数々が出てくる。たとえば、本の見返し(表紙の裏側)にすらこんなキャプションが印刷されている。「焼き払われ、吹き飛ばされ、食べ尽くされ、耕し尽くされた」「われわれは日の出から、暗くて何も見えなくなる夜更けまで働いて1ドル稼いだ」「元気でやっていると手紙の返事に書いたが、私たちがテントで暮らしていることは決して書かなかった」(続きを読む)
SOURCE:「American Witness
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