2020.11.14

武器として、人々をつなぐ絆として食料が果たす役割とは

全米各地で人々が街頭に出て人種の平等を訴えると、レストランやシェフや活動家たちの多くが、自ら進んでデモの参加者に食事を提供した。何千年もかけて培われた、闘う手段としての食べ物。彼らは今、その古くからの遺産をさらに発展させた


 キッチンは、武器の格納庫だ。寸胴や平鍋をひっぱり出してきて、ドラムみたいにたたく。フタ同士をシンバルのように打ちつける。スプーンを打って音を鳴らす。武器といっても地味なアイテムばかり、というのがポイントだ。生活必需品であり、誰でも買える。かつて中世のヨーロッパでは、調理器具を手にした一団が練り歩き、社会的なしきたりに反する不道徳な家に突然押しかけて騒ぎ立てる習わし(世間に対する見せしめのために)があった。フランスで「シャリヴァリ」、英国では「ラフ・ミュージック」と呼ばれた風習だ。英国の民俗学者、ヴァイオレット・アルフォードは、これを「市民による制裁の起源」と表現した。19世紀半ばになると、もっと政治的な色彩を帯びるようになり、パリでは主婦たちが家主の窓外に陣取って鍋をたたき、家賃の軽減を訴えた。騒がしい音をたてる行為は、今日では抗議運動に取り入れられ、世界中に浸透している。チリでは1971年、5,000人を超える女性たちが通りで鍋を打ち鳴らし、食糧不足に対する抗議運動を行った。まさしく空っぽの鍋は、彼女たちの訴えの正当性を示すものであった。以後、こうした抗議運動が盛んに行われるようになったため、「カセロラソ」(蒸し焼き鍋を意味するスペイン語)と称されることも多い。

画像: ニューヨークを拠点に活動するガイアナ・ジョセフ(左)と母親のルイジーナ・ダフルーラン=ジョセフ(中央)、ライターのクランシー・ミラー(右)。ガイアナはデモの参加者に食事を提供するNPO「Fuel the People」の共同設立者。3人は「Tmagazine」のために、彼女たちが理想とするレジスタンス・フードを揃えてくれた。 テーブルの左から、バニラローズ・ケーキ(ウィリアムズバーグのベーカリー「Lucky bird」より)、ルイジーナが作ったクレオールチキンにピクリッツ(酢漬けにしたキャベツのコールスロー)、牛肉とレンズ豆のサモサ(ウェストハーレムにあるエチオピア料理店「Massawa」より)、ルイジーナが作ったハイチ風オックステールの蒸し煮にピクリッツを添えたもの、ミラーが作ったハラペーニョとスイカのサラダ、ペスト(バジルソース)とトマトのヴィーガン・ピザ

ニューヨークを拠点に活動するガイアナ・ジョセフ(左)と母親のルイジーナ・ダフルーラン=ジョセフ(中央)、ライターのクランシー・ミラー(右)。ガイアナはデモの参加者に食事を提供するNPO「Fuel the People」の共同設立者。3人は「Tmagazine」のために、彼女たちが理想とするレジスタンス・フードを揃えてくれた。
テーブルの左から、バニラローズ・ケーキ(ウィリアムズバーグのベーカリー「Lucky bird」より)、ルイジーナが作ったクレオールチキンにピクリッツ(酢漬けにしたキャベツのコールスロー)、牛肉とレンズ豆のサモサ(ウェストハーレムにあるエチオピア料理店「Massawa」より)、ルイジーナが作ったハイチ風オックステールの蒸し煮にピクリッツを添えたもの、ミラーが作ったハラペーニョとスイカのサラダ、ペスト(バジルソース)とトマトのヴィーガン・ピザ

 食糧不足は格差問題に直結する。だから食べ物は、つねに抗議運動の中心にある。市民を顧みない、あるいは市民から搾取することによって、市民にひもじい思いを強いる社会とは、どのような社会なのだろう? 食糧価格が世界各地で2008年、さらに2010年に再び急騰した原因は、気候変動がもたらした干ばつや耕作地の砂漠化だけではなく、農産物の先物市場における投機的な取引が規制の対象にならずに盛んに行われていたことも、多少は関係している。このとき、1億もの人々が飢餓に追いやられ、セネガル、ウズベキスタン、ネパール、ペルーと、世界各地で社会不安が醸成された。このことを背景として起きたのが、たったひとつのりんご――正確には、りんご2カゴである――から始まった「アラブの春」だ。2010年12月、チュニジアのシディブジッドにある小さな町で青果売りをしていた26歳のモハメド・ブアジジは、露天市場の検査官にりんごを没収された。腐敗しきった役人による、いつもの嫌がらせだったのだが、今回ばかりは「もう、たくさんだ!」と青年は言った。役所の前で焼身自殺を図り、3週間後に病院で亡くなった。この悲劇を受けてチュニジア全土で抗議運動が巻き起こると、1カ月もたたないうちに、23年も続いた大統領による支配に終止符が打たれた。

 どんな食べ物でも、社会情勢が大きく変わるきっかけになる。塩のように、調理に欠かせない基本的なものでさえ、それをめぐって陰謀が繰り広げられてきた。インドの偉大な指導者、マハトマ・ガンディーは、塩は空気と水に次いで「おそらく生命にもっとも必要なもの」と表現した。中国では紀元前1世紀、前漢の皇帝・昭帝ていがあるとき官吏と儒学者を集め、議論する場をもった。官吏たちは塩の価格をつり上げることができるので専売制を支持したが、政府がさらに利することになると、儒学者たちは道徳的観点から疑問を呈した。「物質的な利を得ることを政府の目的とするなど、決してあってはならない」という儒学者たちの訴えを、俗人的な皇帝は鼻であしらいながら斬り捨てた。「あなたたちは過去を拠りどころにして、現実に背を向けている」。

その後も何世紀にもわたって、専売は政府を著しく潤すことが証明され、唐の時代(618ー907年)には塩で得た収入が政府の財源の半分以上を占め、元の時代(1279―1368年)になると、それが80パーセントにまで膨れ上がった。こうして塩の専売制は、数々の王朝が滅びても、共産党が台頭しても、2014年に廃止されるまで生き延びた。これは世界史上、もっとも長く続いた独占事業である。だが、中国は例外ではない。民衆が忌み嫌う物品税として、フランスではじめて導入されたのは塩税で、13世紀のことだった。時には生産コストの10倍にも跳ね上がることがあり、やがて塩税に対する抗議はフランス革命のスローガンとなって、税金で私腹を肥やした多くの者たちが断頭台で処されることにもつながった。そして1930年、インドを植民地支配していた英国による、「貧しい者にとっての唯一の調味料(ガンディーの言葉)」である塩を専売する制度に抗議して、ガンディーは西部グジャラート州の海岸に面した村の干潟で身をかがめ、泥と塩の塊をすくい上げた(「塩の行進」)。(続きを読む)

SOURCE:「The HungerBy T JAPAN New York Times Style Magazine:JAPAN BY LIGAYA MISHAN, PHOTOGRAPHS BY JOSHUA KISSI, PROP STYLING BY BETH PAKRADOONI, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA OCTOBER 10, 2020

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