斬新なアイデアを具現化する魔法の手。日本の技術とデザイナー

手仕事やアイデアが光る日本のファッション界の職人と、クリエーションを紡ぎ出すデザイナーによるカンバセーション。ケミストリーから生まれる物作りの背景に迫る。

 

刺しゅう工場の連携から生まれる未来

舟山瑛美(FETICOデザイナー)× 髙橋大輔(大桐)× 松村 剛(松盛ジャガード)

針の通らないような太い糸を、細い糸のジグザグステッチで留めて描いていくコード刺しゅう。最初に細い糸でアウトラインをステッチしてから、太い糸をセットして刺しゅうが始まる。

 

制御しすぎず人の手の加わった機械で縫うコード刺しゅう

デザイナーの舟山さんと、大桐に勤める髙橋さんは、舟山さんの前職時代からの知り合い。FETICOを始めてからもよく仕事をともにする親しい間柄だ。

舟山 髙橋さんとはざっくばらんに話し合いながら進められる安心感があり、しかも刺しゅうの表現がとても繊細。

髙橋 舟山さんと会ったのは、僕が大桐で仕事を始めて約半年後。ここでやっている横振り刺しゅう(ミシンを足や太ももを使って振り幅を調節しながら縫う立体的な刺しゅう)の依頼でした。創業時、大桐は織物工場だったのですが、その後刺しゅうに転身。主に婚礼衣装や着物を手がけていたところ、デザイナーからスカジャンなどの刺しゅうを頼まれるようになり、ここ数年は若手デザイナーの依頼が増えてきた感じです。

舟山 秋冬コレクションでは装飾的なディテールについて考えていました。そこでブラウスにコード刺しゅうをしたくて髙橋さんに相談したんです。

髙橋 大桐にはコード刺しゅうの機械がないので、オーダーが入ったときは仲よくしている松盛ジャガードの松村さんにお願いしています。今回の刺しゅうも松村さんに制作してもらいました。

松村 反対に横振り刺しゅうや、ワッペンによくあるサガラ刺しゅうの依頼が僕のところに来たら、大桐に縫える機械があるので、髙橋さんに引き受けてもらうという関係です。

舟山 コード刺しゅうは柄がオリジナルで作れて糸も好きに選べるという自由度の高さが魅力。立体感のある仕上がりで、独特の存在感が生まれます。

松村 手刺しゅうに見える表現を機械でできるのがコード刺しゅうのよさの一つです。今回の依頼では、範囲が広かったので縫えるミシンが限られていました。このミシンの選定が一つのポイントです。実を言うと、この刺しゅうが服のどこに使われるのか知らずに縫っていましたが、最終的にはブラウスの襟とカフスになっていた(笑)。特にカフスは、袖口からカフスラインに沿ってL字に刺しゅうが施されていて新鮮でした。

舟山 「このパーツはどこ?」と首を傾げながら縫っておられたんですね(笑)。

松村 僕のところではオリジナルでアタッチメントを作って、縫う刺しゅうに合わせてさまざまに機械をカスタマイズしています。機械を動かすデータの組み方も特殊だから、ほかでできないような刺しゅうが可能です。今のミシンはコンピューターで制御されていて、やりたい動きができないことも多いので、もう少し人の手が関われる余地があるとうれしい。

舟山 ブランドを立ち上げるときに、商品の価値を長く持たせたいという考えがありました。特殊な生地を使っていたり凝った刺しゅうが施されていたりする、そういう人の手の入ったもののほうが、価値が見出せるのでは。この先も職人の手わざは取り入れていきたいです。

髙橋 デザイナーは刺しゅうの常識を超える驚きのアイデアを提案してきます。職人側も新たな発見があって、やりがいも湧いてきます。

松村 そういう意味では、デザイナーは現場の事情を知りすぎないほうが幅が広がるのかもしれません。そして、職人側のセンスが重要になる気がしています。

舟山さんが描いた刺しゅうのイメージラフを、松村さんがひもとき、何度かやり取りを重ねて実際に縫う設計図に落とし込む。機械にセットするプログラムを組むのが最も大切だと松村さん

縫製中に生地が動かないよう接着シートに固定してミシンがスタート。その後チュールを重ねて再度針を動かし、スカラップラインを作っていく。終わったら余分な部分をカットしていく

すべての刺しゅうが終了したら、接着シートののりを溶かすために瞬間的に熱を加える作業へ。シワにならないよう台にまんべんなく生地を伸ばしてからレバーを下ろすと、生地だけが残る

秋冬は1930年代に活動した写真家ゲルトルート・アルントが着想源。彼女のセルフポートレートからコード刺しゅうの表現へと昇華した。
¥74,800/THE WALL SHOWROOM(FETICO)

 

髙橋大輔 松村 剛

(右)高校時代に家業の松盛ジャガードでアルバイトを始め、卒業後に入社。1995年にコード刺しゅう機を導入。(左)日本や上海でさまざまな仕事を経験し父親の経営する大桐に就職。入社後まもなくブランドとの取り組みを始める。

舟山瑛美

デザイナー。1986年生まれ。2010年にエスモードジャポンを卒業し、コレクションブランドなどで経験を積んだ後、2020年にパタンナーの高浜温子とFETICOを立ち上げる。

 

長く愛されるものには職人の力が不可欠

奥出貴ノ洋(LASTFRAMEデザイナー)× 佐藤雄一郎(フリーニットデザイナー)× 金岡秀一(金泉ニット)

日本のホールガーメント機と手で形を整えるニットバッグ

無縫製で丸ごと編めるホールガーメントの機械で、何かを作りたい、と奥出さんが気持ちを温めていたことからTSUBO BAGの制作が始まった。

奥出 LASTFRAMEを立ち上げたのは、日本の伝統技術を使って、長く愛され不変的な高揚感のある物作りをしたかったからです。僕は石川県出身で、地元の美術館や繊維工場を訪れたときに、その高い技術力に惹かれました。ホールガーメント横編機は日本の技術が昇華した機械。よいアイデアを思いついたら使いたいとずっと考えていたところ、ニットデザイナーの佐藤さんと出会いました。

佐藤 僕が大手のアパレルメーカーから独立したばかりのタイミングでした。

奥出 お互いに話をするうち、壺形バッグのイメージが頭に浮かんで、さっと描いた絵を佐藤さんに見せたんです。

佐藤 僕はデザイナーからアイデアが持ち込まれると、それが実際に形になるよう解釈し、具現化できる工場を探してつなげる役割もしています。奥出さんの絵を見て、まずは金泉ニットのホールガーメント機でサンプルが作れるのではないかと、社長の金岡さんに話を持っていったんです。そこから奥出さん、金泉ニット、僕とで密なやり取りが始まりました。

金岡 私の会社は、福島県に工場があり、東日本橋にある東京営業所は、ニットの開発をする実験的な場所にしています。

佐藤 福島工場は100%グリーンエネルギーで稼働しています。奥出さんのような日本の手仕事を紹介し海外にも商品を展開するデザイナーのアイテムであれば、そういう工場と哲学を持つ金泉ニットで実験する意味があると考えました。

金岡 ホールガーメント機は無駄が出ないのが特徴の一つですから。今の時代は自然環境のこと、未来の人材のことを会社や経営者は考えていくべき。

奥出 新型コロナ感染拡大の影響で容易に他県の工場に行けないなか、金泉ニットが東京にあり、サンプルをともに制作できたのはありがたかった。

佐藤 TSUBO BAGは、糸に熱を加えると固まる融着糸を混ぜて編むことで、ニットでも自立して、しかもリブの伸縮性は残るバッグに仕上がっています。

奥出 うつわを成形するように作りたかったので、編み上がったあとに、形を整えながらアイロンで蒸気を当てる工程がかなり重要です。ここは職人の個性が出るところ。特にくびれ部分に熱を加えすぎると伸縮性が失われ、物が中に入らなくなってしまいますから要注意です。

佐藤 生産は長野県のニット工場に発注していますが、動画を送ったり見本を見せたりして、形の整え方、熱の加え方を伝えました。商品なので個々の仕上がりに差がありすぎると問題ですが、質を保ちながら、形作る職人によって微細な違いが出るのは手作業のよさだと思います。

奥出 一番の理想は長く愛されるものを作ること。そのための高い完成度を求めると、職人と密に話しながらしっかり作る必要があります。この先も彼らの持つ技術力をブランドにプラスしていきたい。

複雑に動くホールガーメント横編機。主要な糸は左の赤。右のピンクは熱を加えると固まる融着糸。加熱後色がなじむよう融着糸を編み糸に近いピンクに

横編機で編み進めると、バッグの上部から下部へ向けて出てくる。紺のニット地は後ほど切除されるテスト部分で、スリットに見えるところは持ち手になる

バッグ内にニット地など柔らかい詰め物を入れてやや膨らみをもたせ、手を中に入れて回しながら形を整えつつ熱を加える。アイロンの使い方にコツが必要

丸い底はしっかり硬くするので壺のように自立する。
(右)TSUBO BAG SMALL ¥27,500・(左)TSUBO BAG MEDIUM ¥29,700/TAKA(LASTFRAME)

 

金岡秀一 佐藤雄一郎

(右)フリーニットデザイナー。国内メーカーでデザインを学び独立。2022年にMEDIUS,INC.を設立。(左)金泉ニット代表。1946年生まれ。父の工場を継ぎ1967年業態転換。2012年開設の東京営業所は2022年に東日本橋に移す。

奥出貴ノ洋

LASTFRAMEデザイナー。2016年よりフリーデザイナーとして活動開始。国内外のさまざまなブランドのデザインを手がける。’18年秋冬より自身のブランドLASTFRAMEを開始。

 

一つとして同じものがないタイダイ染め

𣕚木(たもき)美紗(タイダイフリーク)× サカイカナコ(KANAKO SAKAIデザイナー)

染料を直接手でかけるので職人のセンスが顕著に表れる

今季デビューしたサカイさんは、ファーストコレクションを作るにあたり、𣕚木さんと出会うまで紆余曲折あった。

サカイ 今季はメキシコのアート財団カーサ ワビの空間からイメージを広げました。アーティストのボスコ・ソディのオブジェ作品が着想源の一つで、そこからタイダイ染めを取り入れたいと考えましたが、ナイロン生地をタイダイ染めするのは難しく、職人が容易に見つかりませんでした。でも相談していた方の一人が、タイダイフリークの𣕚木さんと友達だったんです。それで話をしてみたら、試しにと引き受けてくれました。

𣕚木 友達から話が来たのは、ナイロン生地のタイダイ染めに挑戦したいと考えていたタイミングでした。

サカイ ソディのレンガ作品は手作業の痕跡や焼きムラ、ひび割れが入り一つひとつ表情が違います。その天然の偶然性も含めて、質感、空気感を服で表現したいと考えていくと、手で染めるタイダイ染めに行き着きました。𣕚木さんは私の感性を汲んでテストを繰り返し、イメージどおりに仕上げてくれて感謝しています。

𣕚木 ナイロンのタイダイは、今回のサカイさんの服のように一枚を複数の色で染めるのは難しいんです。何度もテストしたところ色の重なった部分もいいなと思ったので、1色ずつ染めて乾かすことを繰り返すより、一度に3色とも染める方法を取りました。

サカイ 最初は、イラストレーターでグラフィックを組んだものとか、ソディの作品の雰囲気を感じてもらうために、私物の笠間焼のうつわを𣕚木さんに送りました。そこから実際に形にするのは大変だったと思います。焼きムラというイメージを表現するタイダイ柄は、𣕚木さんの感覚で進めてもらいました。だから柄の出方が一枚ずつ違うんです。

𣕚木 タイダイ染めの魅力は直接染料を生地にかけて染めるので、フリーハンドならではの色使いや柄ができる部分です。

サカイ 職人の個性が表れますよね。作り手の思いがこもっているし、量産できないから一点物の特別感が生まれます。

𣕚木 染料が進化して、一般家庭でも簡単に染められるようになってきましたから、ますます染める人のセンスが問われるようになっている気がします。

サカイ デザイナーは日常的に職人と服作りをしていて、職人がいないと何も進まないのに、表では私たちやブランドがフィーチャーされがちです。だからもっと職人の仕事に光が当たるようになれば、産業として盛り上がるのではないでしょうか。また、デザイナーと職人が組んでアイデアを出し合うと常識を超えた新しいものが生まれてくるはず。新鮮な感性を持つ𣕚木さんに期待しています。

𣕚木 デザイナーは職人には想像できないようなビジョンを提案してくれるので、一緒に成長していけると思うんです。アイデアをストックしたり、今は難しいといわれているポリエステルをタイダイで染める方法を見つけたりと、これからもいろいろ挑戦していきたいです。

ベースになるベージュの染料を、テストで割り出した配合どおりに計量器で計って溶かした後、服を容器にさっと浸して。その後は洗濯機で念入りに脱水

𣕚木さんの手指で生地が寄せられ作られるひだ。ピアノタッチのような繊細な動きに刮目。一枚ずつ違う柄になるのはこの超絶テクニックがあってこそ

ひだを寄せた服はバンドと輪ゴムで固定。青い染料は容器にそのまま浸し、オレンジはボトルからトッピング。どこに振りかけるか、𣕚木さんの勘が冴える

ブルー部分は塗りつぶすという考え方で、先に薄いベージュで染めた後濃い色を入れる方法を取った。
¥37,400/KANAKO SAKAI

 

𣕚木美紗

学生時代に知り合ったパートナーの影響で染めに興味を持ち、プリント会社に就職。コロナ禍に入り自宅で柄など染めの実験をするうち、パートナーとタイダイフリークを始める。

サカイカナコ

KANAKO SAKAIデザイナー。NYでプロエンザ スクーラーや3.1 フィリップ リムなどで経験を積み、帰国後に国内ブランドに勤務。2021年独立し2022年春夏からブランドをスタート。

 

SOURCE:SPUR 2022年6月号「斬新なアイデアを具現化する魔法の手 日本の技術とデザイナー」
photography: Masanori Akao 〈whiteSTOUT〉 edit: Akane Watanuki