70年代から80年代のカルチャーシーンでアイコン的存在だった"ジュリー"こと沢田研二。その衣装とアートディレクションを手がけた早川タケジと、ジュリー好きを公言する歌舞伎俳優・市川染五郎の二人が究極の美に挑む
衣装・アートディレクション / 早川タケジ
撮影 / 横木安良夫
ヘア&メイクアップ / AKANE
デジタルエフェクト / 横木安良夫・早川タケジ
オペレーター / 亀井義則
セット / 早川タケジ・本橋則子
スタイリスト / 佐藤美和・本橋則子
縫製 / 野間久美・桜木茂子
アクセサリー製作 / 佐藤美和
ライター / 佐藤裕美
染五郎六変化
歌舞伎界のプリンス【市川染五郎】×気鋭のアーティスト【早川タケジ】 対談 「剣呑な出会い」
日本歌謡界の歴史にさん然と輝く不朽のスター、沢田研二。その衣装デザインを50年近くにわたり、担ってきた早川タケジ。一方、弱冠17歳にして、歌舞伎座で主演を務め、その美しさも話題の歌舞伎俳優・市川染五郎。二人によるコラボレーション企画は、昨年、夏に立ち上がり、その後、打ち合わせ、衣装の仮縫い、撮影と、時間をかけて練られてきた。シューティングでは、早川がスタイリングに加え、カメラ、ヘアメイクと細部にわたってディレクション。粘り強く完成度を高め、撮影は12時間以上に及んだ。それから1カ月ほどたって、再会した二人。プリントされた写真を見ながら、穏やかに対談はスタート。職人気質の早川と寡黙な染五郎だが、二人の間には、共鳴し合うものが確かにあった。
ジュリーの仕事はアルバイト感覚。 でも、それで大胆になれたのかも
早川 お久しぶりです。その節は、ありがとうございました。写真、いい雰囲気で撮れていたので安心しました。
染五郎 こちらこそ、ありがとうございました。早川さんとお仕事させていただけるのは、本当に光栄なことで、すごくうれしかったです。
早川 私が一番気に入ってるのは、赤いジャケットの写真です。若いのにスケール感があって、この存在感は、歌舞伎役者ならではですよ。座ってるだけなのに、将来、大看板になりそうな雰囲気が漂ってる。
染五郎 いやいや。最後の山口小夜子さんの衣装もすごかったですね。全身にフィットするような作りになっていて、破らないように着るのが大変でした。でも、こうやって見るとすごくかっこいい。
早川 苦労した甲斐がありましたね。それにしても、染五郎さんはいい顔をしていると感じました。俗っぽくないというか、緩みがなくて緊張感がある。「品」と言うとつまらないけど、400年の伝統を背負っている顔に見えます。こういう人がギラギラの衣装を着たら面白いと思って、今回は撮影してみました。これだけの服となると誰でも似合うわけじゃない。染五郎さんは若いのに、存在感と独特の雰囲気で、どの衣装も着こなしているのは、さすがです。どれも普通の服とは違いましたが、驚きませんでした?
染五郎 歌舞伎には派手な衣裳がたくさんあるので、未知の服を着ることへの抵抗はあまりないですね。中にはかなり奇抜なものもありますが、小さい頃から見てるので、それが普通だと思っていて。でも、一歩引いてみたら、「こんなおかしな格好はないな」と思うこともあります(笑)。
早川 昨年歌舞伎座で『弥次喜多』を拝見したときは、金髪のカツラでパンクスの少年を演じてましたね。何でも受け入れるその精神が、歌舞伎400年の歴史なのでしょう。それにしても17歳の染五郎さんがジュリーのファンというのは驚きました。
染五郎 もともと父(松本幸四郎)の影響でドリフターズが好きで。コントをなさっている沢田さんは、小さい頃から拝見してましたが、歌手としての沢田さんをちゃんと拝見したのは2〜3年前だったと思います。YouTubeか何かで見て、うわっ、かっこいいなって。曲も好きですが、色気があって、男っぽさもあって、唯一無二の存在感だなと。何より、第一印象として、衣装やメイクアップなどのビジュアル面が衝撃的でした。沢田さんの衣装は、どんなところから発想して作っていらっしゃいましたか。
早川 わりと思いつきなんですよ。
染五郎 えっ、そうなんですか。
早川 私がジュリーの衣装を担当することになったのは、「危険なふたり」(73年)からでした。当時はセツ・モードセミナーというところでイラストの勉強をしていたんですが、ここは、カウンターカルチャーの総本山みたいなところで、「既成概念を打ち破ろう」という熱気にあふれていました。ストーンズやビートルズは神様みたいに崇めるけど、「歌謡曲なんて」と下に見るような時代だったんです。沢田さんの仕事も、初めはアルバイト感覚でしたが、どうせやるなら、自分が面白いと思うものをやろうという、それだけ。でも、無責任だったのがよかったかもしれない。そのほうが大胆にできるから。「この仕事には自分の将来がかかっているんだ!」なんて真面目にやってたら、あんな奇抜な衣装、怖くて作れなかったかもしれないですね。
中性的な魅力が色気につながる。それは歌舞伎も同じ
染五郎 沢田さんの衣装は一度見ると記憶に残るものが多いですが、中でも、「勝手にしやがれ」(77年)のスリーピースのクリーム色のスーツの印象が強いです。シンプルですがかっこよくて、シルエットもすごく美しいなと感じました。
早川 あれは、30年代に活躍した女優マレーネ・ディートリヒの男装の麗人のイメージですね。70年代頃、ノスタルジックブームで、昔の映画や風俗がはやっていたんです。当時アテネ・フランセなんかで古い名画が上映されていてよく観に行きました。それで沢田さんは、優しい顔立ちの美男子だったから、ディートリヒみたいなのが似合うんじゃないかと思って。あのスーツは、見た目は男性の服なんですけれど、実は女性の服の仕立てなんです。仕立て方で体のなじみ方が違うんですね。男物仕立てだと、動いたときドサッ、ドサッってなるけど、女物仕立てだとヒラヒラっという感じになる。ちょうどイヴ・サンローランが、女性用のタキシードをデザインしてたときだったので、その逆をやったのかな。
——細部まで考えて作られていたのですね。
早川 今回の撮影でも、染五郎さんの中性的な魅力に寄って撮影したものがいくつかありましたけれど、有名な評論家スーザン・ソンタグの本に、こういうことが書いてあります。性的魅力の最も洗練されたかたちは、本来の性に逆らうところにあるのだと。つまり両性具有的なところが一番セクシーだって言うんです。僕もそうだなと思いました。ファッション業界の人が好きなセクシーっていうのは、モンローみたいにグラマーな女性というより、中性的なところがある人のことなんです。60年代から80年代のトップモデルは、みんなそんな感じでした。
染五郎 早川さんは歌舞伎に興味がおありと伺いましたが、何かきっかけがあったんですか。
早川 僕が歌舞伎に興味を持ったのは、もう亡くなってしまったけれど、友人で作家の橋本治さんの存在が大きい。歌舞伎にすごく詳しくて、何度か歌舞伎座に呼んでくれました。彼が書いた本も読んだりしてました。今回、あらためて読み返していたら、江戸時代に活躍した五代目松本幸四郎の話が出てきますが、彼は実悪の名優だったそうですね。でも、最初は「女方はやりたくねぇよ」って言っていて、周りから「女方をやらないと色気が出ないからダメだ」と言われて、一生懸命、勉強したと。それで色気のある悪役を演じられるようになったと言います。染五郎さんは、立役と女方、両方やっているんですか。
染五郎 はい。立役がメインですが、女方もできるようにならなければ、と思います。
早川 たいへんなことはありますか。
染五郎 歌舞伎の女方は「女性より女性らしく」と言われます。でも、骨格や顔つきには個人差があるので、動きや化粧で、どう見せるのかというところは研究が必要なんです。たとえば僕の場合、やせ型で、体に丸みがないので工夫をしたり。それと女方をやるときは、体を小さく見せるために、ずっと腰を落としてないといけないんですけれど、現代人は腰高なので、なおさら腰を低くしないといけなくて。先日も『鏡獅子』という踊りで女方をやったときは、かなりきつかったです。
早川 そうやって経験を積んで、魅力的な役者になっていくんですね。
70年代のクリエイターの熱量は若者たちの心を動かす
染五郎 そういえば、沢田さんとのお仕事をまとめた早川さんの写真集、楽しく拝見しました。日本のエンターテインメントの歴史において貴重な資料だと思うので、こうやって残していただいて、すごくうれしいです。
早川 ありがとうございます。僕は、50年近く、沢田さんと仕事をしてきたけれど、特別仲がよかったわけではないんです。沢田さんは、体育会系で、自ら着飾ったり、メイクアップする人ではなかった。お互いに感性の違う人間だってわかってたから、ほとんどしゃべりませんでした。でも、信頼関係はあったから、全部任せてくれてたんですね。そこは度量が広いというか、潔いというか。当時、ある週刊誌で「まな板に乗せられた鯉のつもりでやっています」って話していて、それを見て、「俺も頑張らなくちゃ」って思いました。
染五郎 そこは僕もわかります。舞台や映像も含めて、作り手の思い描く像を実体化させるのが役者の仕事だと思っていて。今回も早川さんがお作りになりたいものにできるだけ近づきたいという、思いだけでした。
早川 撮影のとき、染五郎さんは、終始、黙って、私の指示に従ってくださったでしょう。歌舞伎界のプリンスに、私なんかが好き放題やっていいのかなと思ったけれど、その忍耐力、集中力に感心しました。ジュリーもそうでした。衣装の仮縫いとか、下手すると3〜4時間かかっちゃうんです。途中で、倒れちゃう人もいるくらいで。でもジュリーはずっと黙って、鏡を見つめて立ってました。だけど10年くらいたったときに、「もうちょっと何か決めとけないの?」って言われて(笑)。
染五郎 10年間は、じっと我慢されてたんですね(笑)。
早川 いい人なんです。それ以来、少し作ってから、本人に見せるようにしていました。
——ちなみに最近、70年代、80年代のものが若い人たちに人気ですけれど、染五郎さんは、それはどうしてだと思いますか?
染五郎 僕たち世代に支持されている理由については、よくわかりませんが、思うのは、本当に素晴らしいものには、古いとか、新しいという概念すらないと思うんですね。歌舞伎もそうだと思いますし、本当にいいものは残り続けるっていうことだと思います。それと、あの時代の歌番組とかを見ると、歌も演奏もほとんど生ですよね。その生の熱量みたいなのが、何十年たっても伝わってくるというか、映像でも伝わってくるんです。
早川 確かに70年代の頃のクリエイターたちの物を作る熱量はすごかったかもしれません。西洋に追いつけ追い越せで、どんどん新しいものが出てきたけれど、今は一段落して、独創的なものは出てこなくなってしまいましたね。それと何でも効率一辺倒になったから、気の遠くなるような時間をかけて、美しさを追い求めるなんてことは、今はなかなかできませんね。でも、歌舞伎では、まだそういう熱気があるんじゃないですか。面白くするためには、とことんやろう、というところが。
染五郎 新作を作るときは、古典とはまた違った熱量がありますね。たとえば『弥次喜多』だったら(市川)猿之助のお兄さんが中心となって作るんですけれど、稽古が1週間くらいしかないので、それこそ夜中までやって、本番を迎えるという感じです。ただ先輩方は、集中力がすごくてガッと集中するけど、ガッと戻る。スイッチを入れる瞬間も早いけど切るのも早い(笑)。それがすごいです。
早川 素晴らしい先輩方に囲まれて、染五郎さんがどんな役者になっていくのか、楽しみです。今回、写真の一つに"素敵な頑固者"というコピーを入れました。100年以上前の歌舞伎について解説する橋本治さんの本から拝借した言葉ですが、染五郎さんには、当時の役者の心意気のようなものを感じるんです。素敵な役者になって人々を魅了してほしい、そんなエールをこの言葉に込めました。
染五郎 恐縮です……!
早川 いつか、鶴屋南北の悪役をぜひやっていただきたいですね。殺しあり、エログロあり、でも奇抜で美しくて。南北の大胆さは、染五郎さんに通じるところがあるから、ぴったりだと思います。
染五郎 悪役はまだやったことがないんですが、ぜひいつか挑戦したいです。南北の作品ではないですが、先ほどお話に出た五代目幸四郎が得意としていた役で、『伽羅先代萩』の仁木弾正というのがあります。実悪の代表的な役で、冷たい雰囲気が好きですね。「床下」という場面では、花道にあるすっぽん(セリの一種)から出てきて、スーッと引っ込むだけで、セリフもないのに、その存在のみで劇場を一気に冷たい空気にさせるんです。そこがかっこよくて憧れます。
早川 染五郎さんがやっているのを想像するとぞくぞくします。舞台で拝見できるのを楽しみにしています。
2005年、東京都生まれ。2009年歌舞伎座『門出祝寿連獅子』で四代目松本金太郎を名乗り初舞台を踏む。2018年1月、歌舞伎座にて、八代目市川染五郎を襲名。2023年公開の話題の映画『THE LEGEND & BUTTERFLY』で森蘭丸を熱演。4月歌舞伎座『新・陰陽師』にて源博雅役で出演。
東京都生まれ。1965年頃より『MEN’S CLUB』『平凡パンチ』のモデルとして活躍。同時にセツ・モードセミナーで絵を学び、数々のイラストコンテストで金賞を受賞。1973年から2020年まで、沢田研二の衣装デザインを担当。そのほか、資生堂など、数々のCMや広告ポスターなどを手がける。