【パラアスリートが見つめる未来 vol.01 】パラ卓球(知的障がい)/和田なつきさん

目標は、金メダル。どんな選手が相手でも自分らしく勝ち切りたい

SPUR4月号 和田なつき

パラ卓球の女子クラス11(知的障がい)でパリ2024パラリンピック出場の内定を獲得した和田なつきさん。弱冠20歳の彼女が、この世界に入ったのは中学2年生のとき。競技開始からわずか5年足らずで世界のトップクラスに駆け上がった。

「もともとは、ダイエットが目的で卓球を始めました。障がい者スポーツセンターのプールに通っていたときに、卓球台を見つけて、母と遊んでみたのがきっかけです。それから近くの卓球場に通い始めて、続けていくうちに体重に少しずつ変化が見え、これはいいなと。実はその年に、知的障がいという診断を受けていました。最初は障がいを受け入れられず、周りと同じように普通でありたいと思ったことも。でも障がいの有無にかかわらず、楽しいことがたくさんあると気づいてからは視野が広がりました」

卓球を始めた当初は練習がきつい上に試合にも勝てず、楽しさを見出すことができていなかったと語る和田さん。ただ、大きな試合で負けた苦い経験からもっと強くなりたいと思い始め、練習にも前向きに取り組めるようになった。

「高校1年生のときに出場した全国大会で自分が思っていた以上の力が発揮でき、入賞しました。それから少しずつ、上の大会を意識するように。卓球にのめり込んでいったというより、ほかの選手に負けたくないという気持ちが人一倍強かったんだと思います(笑)」

SPUR4月号 和田なつき
©川口浩輝[フォート・キシモト]

昨年はシングルスの国際大会デビュー戦でいきなり優勝し、その後も快進撃は止まらず、アジア女王の座に輝いた。本人いわく、連勝していたときはいまだかつてない重圧を感じていたそうだ。

「次も勝たなければいけないというプレッシャーを感じ、しんどかったです。そこで、まずは目先の大会でベストを尽くすこと、短いスパンで目標を立てるようにして切り替えました。私の強みは、素早くサーブを打ち込み、自分のペースに持っていくことです。事前に対戦相手のプレースタイルを分析し、コーチと戦略を練って、弱点を攻める戦い方をするときもあります。11クラスに分かれるパラ卓球の中でも私のクラスは、健常者と同じルールでプレーしています。スピード感のあるラリーと、感情を体で表現する選手が多いのが見どころですね。

パリ2024パラリンピックでの目標は、金メダルを取ること。どんな選手が相手でも勝ち切って、優勝したいです。私の集中力は3時間ほどしか続かないので、トレーニングは短時間集中でメリハリをつけるようにしています。あまり気負わず、目の前の大会で着実に結果を残し、自分が思い描いたプレーができるように、日々の練習を積み重ねていきたいです」

和田なつきプロフィール画像
和田なつき

2003年8月29日、大阪府生まれ。中学2年時に知的障がいと診断を受ける。同時期に卓球と出合い、16歳で出場したパラFIDジャパン・オープントーナメントで4位に。2023年チェコパラオープンでは、シングルスでの国際大会デビュー戦ながらも優勝を果たす。さらに、新台北、台中パラオープンと勢いは止まらず、連続で優勝。その後、アジアパラ競技大会で見事アジア女王に輝き、パラリンピックへの出場権を獲得。昨年11月から株式会社内田洋行に入社し、仕事と競技との両立に勤しむ。

和田さんを読み解く3つのS

Smile

食べているときが一番幸せです。甘いものが大好きで、撮影前もパンケーキを食べました。気分転換をしたいときは食べ歩きをしたり、友達と遊んで、卓球から離れる日をつくることも。海外遠征中は食事が口に合わないとモチベーションが下がってしまうので、パラリンピックのときも日本からたくさん食料を持っていくつもりです。

Sleep

寝ることが好きで、休みの日は何もなければ12時間くらい寝てしまうことも。そんな私でも試合前になると緊張して眠れない夜もありますが、携帯電話をさわったりはせず、意地で耐えます(笑)。以前足を痛めたときにお風呂でマッサージをしてみたら、疲れが取れて早く眠れたような気がして、以来、続けています。

Society

「アスナビ」というJOCが行なっている就職支援活動を通じて、就職先の内田洋行に出合いました。アスリートへの理解があり、自分らしく競技に打ち込むことができています。国際大会に出場するようになってからは、今まで関わりのなかった海外のアスリートたちとの交流も深まり、競技生活がさらに充実しています。

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