〝開かれた扉〟の意味を噛みしめつつ見る、『シュルレアリスム』展
1 Dora Maar"夢"のテーマより、ドラ・マールの《無題》(1934)、通称 "手―貝"。銀塩写真のテストプリント/AM 1991-34
2024年はシュルレアリスム発祥から100周年。作家・詩人のアンドレ・ブルトンがパリで『シュルレアリスム宣言』を発表したのは、1924年10月のことだった。これを記念すべく近代美術の殿堂ポンピドゥー・センターでは、2024年5月にシュルレアリスムをドレスコードとしたディナーとボールを開催。そして9月初旬に同美術館で幕を開けたのが『シュルレアリスム』展である。
「アートに限らず哲学、社会学、果ては政治における価値観を完璧に見直すこと。それがシュルレアリスムの特異性でした。言い換えれば面白いアイデア、エスプリまたはアティチュード、詩情を体現する生き方。シュルレアリスムには特定のスタイルや形態、決まりきったドグマ(教義)はないんです」。こう語るのは、本展キュレーターのディディエ・オタンジェ。ビジュアル・アーティストではなく詩人たちがシェアした考えから生まれたアートムーブメントは、その哲学を理解することが大切なのだ。
「ブルトンは『扉を開くこと』がシュルレアリスムの詩人たちの役割だと考えました。アートを世界から隔離した従来の前衛芸術と違って、シュルレアリスムは文化におけるジャンルの境界線を取り払い、人間と宇宙との関係性をも覆したのです」
こういった本質への理解を促すために、本展はイマーシブなマニフェスト・ルームから始まる。円形の部屋をぐるりと取り巻く壁のスクリーンでは、当時の写真や文献をグラフィックに構成したムービーを上映。聞こえてくるのは、AIで再現したブルトンの声によるマニフェストの朗読だ。これに続いてエスカルゴ状に連なる13の部屋は、展示作品の一つひとつに描かれた主題を考察して立てた13のテーマで展開されている。それは夢、母なるもの、森、宇宙、夜、不思議の国のアリス、キマイラ(ミノタウロスに代表される想像上の動物)、メリュジーヌ(半身蛇体の女性)など。
「13のテーマの共通点は、ナチュラリスム。〝自然〟や動物はシュルレアリスム全体で繰り返し扱われてきました。体の一部が木に変形するなど、人間と人類以外の自然が一体化するのです。まったく関係性のないものが融合することも多々あります。最も象徴的なのは、貝殻から手が現れる構成のドラ・マールの写真(1)ですね」と、オタンジェ。ピカソの愛人だったことでも知られる写真家、ドラ・マールの個展が2019年にシャネルの支援により開かれたのは、ほかでもないポンピドゥー・センターだった。個展ではアート写真だけでなく、彼女が手がけたファッション写真やビューティの広告も数多く紹介。写真の分野では、女性シュルレアリストたちがモードとアートの距離を縮めていった。
2 Claude Cahun(Lucy Schwob)クロード・カアンの《Le Coeur de Pic》(1936)。Yves Rocherのメセナにより1995年に購入。銀塩写真のテストプリント/MNAM AM 1995-275
たとえばマリア・グラツィア・キウリがディオールで着想源としたこともあるクロード・カアン(2)は、当時としては至極挑発的な男装のセルフ・ポートレートの一連で物議を醸した。オタンジェによれば、作家でもあったカアンは作品だけでなく自身の在り方で〝ハイブリッド〟を生き抜いた、真のシュルレアリスト。また元モデルでマン・レイのアシスタントから愛人、ミューズになったリー・ミラーは、実験的なポートレートだけでなく、社会性のあるドキュメンタリー写真も多く残している。折しもこの秋には映画『Lee(原題)』が公開された。シナリオの焦点はリーがファッション・フォトグラファーから戦争レポーターに転身してからの話だが、ポール・エリュアールをはじめシュルレアリストの友人たちとの逸話も挿入されていて興味深い。
話がそれたが、オタンジェいわく「境界線を持たないシュルレアリスムがモードに影響を与えたのは当然のこと」。当時のシュルレアリスト・モードの第一人者はエルザ・スキャパレリだ。彼女のロブスター・ドレスに代表されるコラボレーションであまりに有名なのが、サルヴァドール・ダリ。本展にはモードのアイテムは含まれていないが、彼の複数の絵画と並んでロブスターを受話器に見立てた作品《ロブスター・テレフォン》が展示されている。そしてオタンジェが挙げる、モードとシュルレアリスムのつながりの最も顕著な例は、1938年の国際シュルレアリスム展。ジョアン・ミロ、アンドレ・マッソン、マルセル・デュシャンをはじめ16人のアーティストたちが、それぞれの解釈による〝服〟を着せたマネキンを展示したのだ。
3 Leonora Carrington"(不思議の国の)アリス"のテーマより、女性作家レオノラ・キャリントンの《Green Tea》(1942)。キャンバス地に油彩(個人蔵)
現在、ポンピドゥー・センターを中心に、シュルレアリスムを再発見しようという動きはパリ中に広まっている。同美術館とパリのアートギャラリー委員会、そしてアンドレ・ブルトン・アトリエ協会が結託して始めたプロジェクトが〝パリ・シュルレアリスム〟だ。参加している38のギャラリーの一つ、8区のラファエル・デュラッツォではレオノール・フィニ、ドロテア・タニング、レオノラ・キャリントン(3)ら女性アーティストたちをフィーチャー。キャリントンは幻想的な作風だけでなく、裕福な家庭に反発した少女時代、歳の離れたマックス・エルンスト(4)との情熱的な恋愛など、その人生も非常に興味深い。また7区のギャラリー・ミンスキーではスキャパレリとのコラボレーションで知られるレオノール・フィニ(香水「ショッキング」のボトルをデザイン)を、3部構成で紹介。これらの展覧会のおかげで、街頭にはシュルレアリスム関連の展覧会ポスターが点在している。
4 Max Ernst"政治的モンスター"のテーマより、マックス・エルンストがスペインの市民戦争への批判をこめて描いた《L’ange du foyer》(1937)。後にアーティスト自身がつけた副題「Le Triomphe du surréalisme(シュルレアリスムの大勝利)」は、本展のポスターに最適。キャンバス地に油彩(個人蔵)
5 サザビーズでシュルレアリスムの展示・競売と新しい展示場のオープンを記念したパーティにて。シュールな創作フードはライラ・ゴハーとジャン=ミッシェル・ロリエのコラボレーション。/Courtesy of Jean-Michel Loriers
アートギャラリー委員会が配布した〝パリ・シュルレアリスム〟のギャラリーや書店マップには、シュルレアリスムにゆかりが深い地も記されている。ぜひ訪ねたいランドマークはパリ16区、当時のアートメセナ・カップル、シャルルとマリ=ロールのノアイユ子爵夫妻の元邸宅。館内のボールルームは1930年にルイス・ブニュエルの前衛映画『黄金時代』のVIP試写会とパーティが開かれたことで有名だ。2003年にバカラの旗艦店兼ミュージアムとなった建物は去る9月に改装オープンを遂げ、それまでプライベートだったボールルームはメゾン・バカラの一部として、ブックローンチなどのイベント時には一般客も入れるようになった。
新しいオフィスのお披露目にあたってシュルレアリスムの展示・競売を企画し、さらに盛大なパーティを開いたのは、オークションハウス、サザビーズ。パーティでの創作フードのデザインはフード・アーティストのライラ・ゴハーが、実際の調理はベルギーの王室御用達ケータリング業者、ジャン=ミッシェル・ロリエとのコラボレーションで実現した(5)。パーティではシーフードタワーをはじめ、マグリット(6)にインスパイアされた巨大なリンゴやダリの絵画を着想源としたバラのケーキ、そしてチョコレートの壁の一連が登場。著名作品からのモチーフだけでなく、プレゼンテーションの形態やサイズでありきたりな料理の域から脱するという意味でのシュールなフードが会場をにぎわせた。
6 René Magritte"夜"のテーマより、ルネ・マグリットの《L’Empire des lumières》(1954)。キャンバス地に油彩/ブリュッセル マグリット美術館、ベルギー王立美術館
7 Giorgio de Chirico"傘とミシン"のテーマよりジョルジョ・デ・キリコの《Le chant d’amour》(1914)。キャンバス地に油彩/MoMA
ギャラリーが立ち並ぶ8区のマティニヨン通りで行き交う人々の足を止めたのは、ジャック・ラコスト。通常赤で知られるダリのリップ型ソファのダスティ・ピンク版(8)が同ギャラリーのウインドウを飾ったのだ。これは内装家・家具デザイナーのジャン=ミシェル・フランクがロロン・ドゥ・レスペ男爵のために1938年に手がけた、シュルレアリストな映画上映室とボールルームの内装の部分的再現だった。
8 Salvador Dalí サルヴァドール・ダリによる《メイ・ウエスト・ソファ》(別称 ボッカ ソファ、1937-’38年頃)。ジャン=ミシェル・フランクがインテリアのプロジェクトのためにピンクのサテンと赤のベルベットで特注した一点もの(個人蔵)。/Courtesy Galerie Jacques Lacoste ©Hervé Lewandowski
9 1923〜’29年にマン・レイが手がけた4つのモノクロサイレント映画(『Emak Bakia』『L’Etoile de Mer』『Retour à La Raison』『Les Mystères du Château de Dé』)をジム・ジャームッシュが一つにまとめて公開した映画『Return to Reason』のポスター(フランス版)。サウンドトラックは彼自身のバンド、スクワールによる実験音楽。/Courtesy of Potemkine Films
11月に入ると大規模な写真フェア『パリフォト』で、ゲストの映画監督ジム・ジャームッシュが、膨大な数の展示の中から、影響を受けたというシュルレアリスムを基準に約30点の写真をセレクト。これに続き、ジャームッシュがマン・レイによる4つの映像作品をまとめた映画『Return to Reason』(9・10)も市内の映画館で一般公開されている。
10 映画『Les Mystères du Château de Dé』のワンシーン。/©Man Ray 2015 Trust ADAGP, Paris 2023
1966年にブルトンが他界したあと細々と続いたものの、1969年には新聞『ル・モンド』でその〝訃報〟が告げられたシュルレアリスム。ただしこの区切りはあくまでアート史上でのムーブメントの輪郭で、今でも〝超現実主義〟の火が消えることはない。
「その哲学に則れば誰でも、いつの時代でもシュルレアリストになれるのですから」。オタンジェはこう締めくくった。