『エミリア・ペレス』でアイデンティティについて考える。男性社会の暴力と対比させた、女性たちのミュージカルについて、来日したジャック・オーディアール監督にインタビュー。

ジャック・オーディアール監督の映画は毎回題材もトーンも違えば、言語まで違う。最近の3作を挙げても、フランスにやってきたタミル人難民の男性を描く『ディーパンの闘い』(2015)、アメリカのゴールドラッシュを背景にした西部劇『ゴールデン・リバー』(2018年)、そして30代男女の恋愛模様を美しいモノクロ映像で描く『パリ13区』(2021)。その多彩さ、年を重ねても旺盛なチャレンジ精神には感心させられるが、最新作『エミリア・ペレス』では本当に驚いた。メキシコを舞台にしたスペイン語劇、しかも歌と踊りに溢れたミュージカルなのだ。ストーリーも劇的で、性別移行するトランス女性の主人公を中心に、4人の女性の運命がもつれあう。横浜フランス映画祭で来日した監督に、今この映画を撮った意図について聞いた。

ジャック・オーディアール監督の映画は毎回題材もトーンも違えば、言語まで違う。最近の3作を挙げても、フランスにやってきたタミル人難民の男性を描く『ディーパンの闘い』(2015)、アメリカのゴールドラッシュを背景にした西部劇『ゴールデン・リバー』(2018年)、そして30代男女の恋愛模様を美しいモノクロ映像で描く『パリ13区』(2021)。その多彩さ、年を重ねても旺盛なチャレンジ精神には感心させられるが、最新作『エミリア・ペレス』では本当に驚いた。メキシコを舞台にしたスペイン語劇、しかも歌と踊りに溢れたミュージカルなのだ。ストーリーも劇的で、性別移行するトランス女性の主人公を中心に、4人の女性の運命がもつれあう。横浜フランス映画祭で来日した監督に、今この映画を撮った意図について聞いた。

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オペラの企画から始まったキャラクターと物語

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——今回初めてのミュージカル映画ですが、脚本だけではなく音楽も一緒に練りはじめたのは、通常とは違うプロセスでしたか?

「元々オペラの原案のような形で書きはじめたので、最初から音楽が大きな部分になるのはわかっていました。ただ、振付を入れるかどうかはあとから決めたんです。で、だんだん形が見えてきた時に舞台にするべきか、映画にするべきか考えて。『映画にしよう』と決めると、改めて脚本を書き直しました。音楽担当も一緒に入れてやりはじめたのはその時なんですよ。そういったステップを踏んでいったのは、やはりいつもとは違っていました」

——そのせいか、今回はセリフより歌詞が印象に残りました。たとえば、ゾーイ・サルダナ演じるリタは最初の曲“El Alegato”で「暴力について話す時、男たちを許し、女たちを愛そう」と歌います。その時皮肉っぽく聞こえた歌詞が、最後に再び流れる時にはニュアンスが変わっている。今回は女性と男性、そして暴力のどんな側面を描こうとしたのでしょうか。

「暴力を描いた理由の一つには、物語の舞台がメキシコということがあります。いろんな社会問題を抱えていて、年間1万6千人くらいの人が行方不明になり、家庭内暴力や男性同士の暴力もある。『エミリア・ペレス』はその意味で、トラジェディ・ミュージカルなんですよ。もちろん、メキシコではなくて、同じように暴力や不正がある他の国が舞台でもありえたんですが」

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——そこでトランスジェンダーの女性を主人公にした意図は? 今トランスジェンダーは特に政治的ターゲットになっていて、その状況は、この映画の企画が始まった時よりずっと過激になっていると思うんですが。

「確かにいくつかの国で、トランスジェンダーの人々は大変な状況に置かれています。特にアメリカではトランプ政権になってから攻撃対象になっていて、本当に生きにくい状況になっている。ただトランスジェンダーを主人公にするアイデア自体は、ボリス・ラゾンの『Ecoute』という小説に基づいています。そこでは麻薬取引に関わる人間が性別適合手術を受けたいと思っているんですね。小説ではその続きが描かれていなかったので、続きを自分なりにふくらませて考えたのがこのストーリーなんです。それと、小説では男性弁護士が出てきたんですが、私は今回女性たちを描きたかったので、女性弁護士のリタにしたんですよ」

——少し話が逸れるんですが、私が監督の映画を見始めた頃には、マチュー・カソヴィッツやヴァンサン・カッセル、ロマン・デュリスというフランスでも一番カッコいい男優が次々出演していたので、その印象が強かったんです。でも本作を含め、マリオン・コティアール主演の『君と歩く世界』(2012)くらいからはリアルで新鮮な女性像の印象が強い。ご自分でそのあたりのギア・チェンジは意識されていますか? 

「いや、一番最初の女性主人公は、『リード・マイ・リップス』(2001)です」

——ああ、エマニュエル・ドゥヴォスがすごくセクシーでした。

「特にそこからやり方が変わったわけではありませんね。むしろ毎回題材としてこういうものが欲しい、こういう語り口にしたい、とういうところで女性が主人公になったり、ならなかったり、という感じです。その都度変わるし、今後また男っぽい映画を撮るかもしれない。ただ今回はオペラというアイデアが元々あったので、女性カルテットにしたかった。まったく異なる事情を抱え、まったく違う体験をする4人の女性、それぞれの声をカルテットにしようと。フォトジェニックな意味でも、この4人を映したかったんです。女性の社会を描くために、キャストはあの組み合わせにしました。麻薬取引や暴力、男性社会のヒエラルキーと対比させるためにも」

セレーナ・ゴメスのために作ったカラオケ・シーン

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——私が好きなのはセレーナ・ゴメス演じるジェシーがカラオケで“Mi Camino”を歌うシーンです。男女のロマンチックな場面に、「ありのままの私を愛したい」という歌詞を持ってきた意図は?

「私はセレーナ・ゴメスという人のことはあまり知らなかったんです。ただソーシャルメディアのフォロワーがすごく多くて、影響力のある人だということがわかった。とても人気のあるシンガーでありながら、脆さみたいなものを抱えていて、自分でも病気のことなどを発信していることを知ったんです。するとみんなが彼女を助けたい、みたいな気持ちになって。撮影が始まった時には、“Mi Camino”という歌は予定になかったんですよ。でも撮影が進むうち、セレーナがセレーナとして表現できる歌が必要だ、という話になって。セレーナという闘士を助けなきゃ、とみんなが思ったんです。そこから作った曲なので、かなりスピーディに作ったシーンですね。で、一番シンプルなセッティングとして撮れるのがカラオケで、明るい雰囲気で歌う場面にもしたくて。だから、あのシーンは彼女が愛する人に向けて歌っている感じもあれば、セレーナ・ゴメスとして歌っている感じもあるという」

——いい話ですね。監督はカラオケはするんですか?

「まったくしません!(笑)」

オスカーでゾーイ・サルダナが助演女優賞を受賞

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——アカデミー賞では、ゾーイ・サルダナの助演女優賞と、彼女が歌う“El Mal”が歌曲賞を獲得しました。あの場面でリタが着ている赤のスーツは、サンローランのクリエイティブ・ディレクター、アンソニー・ヴァカレロが作ったものですか?

「はい。衣装担当のヴィルジニー・モンテルが、ヴァカレロと協力して制作しました」

——“Mi Camino”とは違って、とても大がかりな場面で、迫力のある見どころになっています。

「あれは本当に最初から作り込んでいったシーンですね。他にもいくつか大がかりなダンス・シーンがあって、さっき話にも出た最初のリタの曲“El Alegato”と、“El Mal”、それに病院で手術をどうするんだ、みたいなやりとりをする場面も。ああいった歌もダンスもあるシーンはあらかじめ作り込んでいて、初日に撮影したのが市場で繰り広げられる“El Alegato”でした。技術的にも難しかったんですが、綿密に準備して、あそこで撮影のやり方を確認してから、他のミュージカル・シーンも撮っていったんです。“El Mal”はゾーイ・サルダナと振付のダミアン・ジャレのふたりがずっと前から準備していたんですよ。彼女はダンサーなので、パワフルな場面になりました。ただゾーイ以外の出演者とは撮影前日に初めて顔合わせしたので、ダミアン・ジャレがかなり苦労した場面でもあるんです」

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『エミリア・ペレス』
3月28日(金)より新宿ピカデリーほか全国で公開
監督、脚本/ジャック・オディアール
キャスト/ゾーイ・サルダナ、カルラ・ソフィア・ガスコン、セレーナ・ゴメス、アドリアーナ・パスほか
2024年、フランス映画
配給/ギャガ

制作/サンローラン プロダクション by アンソニー・ヴァカレロ

エミリア・ペレス公式サイト>

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