パレスチナの「もうひとつの物語」【KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2025】展示レポート③

閉幕まで1週間を切った「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2025」。レポートの最終回では、駆け込みで訪れたい展示を厳選して紹介する。

閉幕まで1週間を切った「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2025」。レポートの最終回では、駆け込みで訪れたい展示を厳選して紹介する。

アダム・ルハナ『The Logic of Truth(真実の論理)』

パレスチナの「もうひとつの物語」【KYOの画像_1

イスラエル軍によるパレスチナ・ガザ地区への攻撃が始まって1年半あまり。今現在も攻撃は続き、ガザ保健当局によるとこれまでの死者は5万人を超える。パレスチナ系アメリカ人の写真家、アダム・ルハナさんがレンズを通して映し出すのは、そんな過酷な現状の中でかき消されてしまっている、パレスチナの「もうひとつの物語」だ。

パレスチナの「もうひとつの物語」【KYOの画像_2

会場は、京都市指定有形文化財の八竹庵(旧川崎家住宅)。ルハナさんの祖国であるパレスチナの人びとの姿や風景が、伝統的な日本家屋に溶け込むように展示されている。「空間を新たに作り上げるのではなく、調和させることを考えました。日本の“ホーム”と、私の“ホームランド”を関連づける展示にしたかったんです」とルハナさんは言う。

パレスチナの「もうひとつの物語」【KYOの画像_3

ガザ渓谷の美しい小麦畑、家の中でコーヒーを飲みながらくつろぐ女性、無邪気な笑顔の子どもたち。来場者が目にするのは、暴力と搾取に満ちたパレスチナの“現実”とは異なる、あたたかく親密な写真の数々。メディアではあまり取り上げられることのない、パレスチナに生きる人びとの日常という見過ごされがちなイメージに、ルハナさんは光を当てている。

パレスチナの「もうひとつの物語」【KYOの画像_4

写真表現において、ルハナさんの視点が変わったのは数年前。定期的にパレスチナへ赴き、写真を撮り続けてきた彼は、あるときこれまでに撮った写真を見返して気が付いた。

「イスラエルの兵士に投石する少年、イスラエルとヨルダン川西岸地区を隔てる分離壁、入植者に焼かれたオリーブの木々。私が撮っているのは、“自分の頭の中にあるパレスチナ”に過ぎないのではないか。外国の写真家が撮るパレスチナ像をリメイクし、ステレオタイプを助長しているだけなのではないか」

ルハナさんは、パレスチナの占領や暴力といった表象から離れ、個人的な視点を通してその地に生きる人びとにレンズを向け始めた。2022年から取り組んでいるのが、ヨルダン川西岸地区の人びとの暮らしを記録した「Before Freedom」というシリーズ。今回展示されているのは、何千点ものフィルム写真からなる同シリーズの一部だ。

パレスチナの「もうひとつの物語」【KYOの画像_5

ボストンで生まれ育ったルハナさんは、幼い頃から年に一度、父親の故郷であるパレスチナを訪れ、祖父母や親戚とともに過ごしてきた。彼が映し出すパレスチナの日常の光景が、どこか楽園を彷彿させるのは、幼い頃の原体験が影響しているという。

「祖母が営む果樹園の風景や、いとこたちと遊んだ思い出など、幼少期の記憶が作品に反映されている部分はあると思います。パレスチナの限られた側面しか見ていない私が作り出すイメージは、抑圧の中で生まれ育ってきた人たちが抱くものとは異なるのかもしれません。私の作品には、占領や暴力を撮った写真もたくさんありますが、そこにフォーカスするべきではないと考えました。なぜなら、せめて私ができるのは、これまでに見たことのないものをみなさんに提示することだと思ったからです」

パレスチナの「もうひとつの物語」【KYOの画像_6

ルハナさんがとらえるパレスチナの日常は、ただ束の間の平和を切り取っただけのイメージではない。例えば、スイカにかぶりつく少年の写真。ごくありふれた行為のように思えるが、国旗やシンボルを掲げることが禁止されているパレスチナで、国旗の色を連想させるスイカにかぶりつくその姿は、軍事占領下で生き抜く人びとの静かな抵抗のメッセージと受け取ることもできる。ルハナさんは、こうした何気ない瞬間や仕草をとらえることで、パレスチナの人びとがさらされている不条理を浮き彫りにしている。

パレスチナの「もうひとつの物語」【KYOの画像_7

ルハナさんが写真を通じて目指すのは、暴力と悲しみに満ちた“偽り”のパレスチナの表象を解体し、真実を再構築することだ。

「パレスチナには、さまざまな現実や真実が存在します。今回の展示でお見せしているイメージは、明らかにガザ地区の現実とは異なります。今のガザが直面しているのは、圧倒的な暴力と破壊、そしてジェノサイドです。
死と隣り合わせで生きるガザの人びとの状況を伝える報道は、現状を理解するために欠かせない重要な情報源です。しかし、それらは必ずしもパレスチナの本質ではありません。私がお伝えしたいのは、それらはイスラエルによって作り上げられたパレスチナだということです」

土地を奪われ、夢も未来も、人間性も奪われ、戦争ばかりの地域で暮らす、弱く哀れな人びと。パレスチナ人に対してそのような印象をもつ人は多いかもしれない。だが、はたしてそれだけが真実だろうか。

パレスチナには、抑圧に屈することなく、尊厳と誇りをもって生き抜こうとする人たちがいる。絶望的な状況の中でも、希望を見出そうとする人たちがいる。平穏な日常が奪われる紛争地でも、そこには一人ひとりのかけがえのない日常の繰り返しがある。そのことを、私たちはどれくらい知っているだろうか。

語られるべき物語は、決してひとつではない。私たちは、何を真実と見るのか。ルハナさんの写真が、そう問いかけている。

アダム・ルハナ『The Logic of Truth』

会期:2025年5月11日まで
会場:八竹庵(旧川崎家住宅)
時間:10:00〜19:00
休館日:無休
入場料:無料

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