作家、アーティスト、書店オーナー。この地にゆかりを持つ人々が語る自分だけの場所とその記憶。ハートフルなエピソードとともに、追体験の旅へ。

【神保町】作家・書店オーナーなど、本と文化を愛する7人に思い出のスポットを聞いた
作家、アーティスト、書店オーナー。この地にゆかりを持つ人々が語る自分だけの場所とその記憶。ハートフルなエピソードとともに、追体験の旅へ。
山内マリコさん(作家)
変わらない街で、過去の自分を思い出しながら
小説家の卵だった30歳前後の頃によく通っていました。神保町は、歴史小説の大家が資料を集めていた街という印象、到底自分の手には届かない、知識の泉のような場所というイメージがありました。今でもちょっと気後れしつつ、ここに来ると29歳の自分と、時空を超えてすれ違う感覚を覚えます。
私にとってのメインスポットは「神保町シアター」。東京で一番好きな映画館です。初めて訪れたのは忘れもしない、2009年の年の瀬。「高峰秀子」特集の『放浪記』(’62)を観に行ったら、なんと満席で入れなかったんです! こんなに人気の映画館だったのかと打ちひしがれ、それ以降は前乗りしてチケットを買うように。2年ほど通い詰めていました。同じく常連だった山崎まどかさんにすすめられて、映画ブログも開始。鑑賞後の熱量そのままに、感想を書き綴っていました。観客の心をきっちりつかむ企画の編成も素晴らしく、「乙女映画」特集や「女優とモード」特集は忘れられません。
神保町シアターで映画を2本、3本とはしごするとき、空き時間によく足を運ぶのは「文房堂」です。かつての東京にあった文化的豊かさみたいなものが残っていて、店内を歩いているだけで心が満たされる。文房具から雑貨まで多彩な品揃え、楽しんでセレクトされていることが伝わってきます。
そして、「眞踏珈琲店」もお気に入り。ひっそりとした"穴蔵感"のある佇まいに、モダンな美意識が融合している稀有な存在です。天井まである作りつけの本棚には、興味深い選書の本がぎっしり。新書から小説、漫画まで、幅広いラインナップも面白い。ここで見つけた『新版大東京案内』(批評社)という本を、後日古書店で購入したりと、素敵な出合いもありました。
神保町の魅力は、専門性と間口の広さを併せ持つこと。なにも排除することなくさまざまなものが雑多に同居している。玉石混交の中から、自ら探し出す楽しみもある。その余白こそ、この街が持つ魅力なのかもしれません。
●東京都千代田区神田小川町3の1の7
☎03−6873−9351
◯営12時〜23時、12時〜21時(日・祝) 無休
●東京都千代田区神田神保町1の21の1
☎03−3291−3442
◯営10時30分〜18時30分(6階のみ〜18時)
㊡年末年始、6月1日
●東京都千代田区神田神保町1の23
☎03−5281−5132
◯営11時〜21時、10時〜20時(土・日・祝)※上映作品により変則的
㊡年末年始、不定休

やまうち まりこ●1980年、富山県生まれ。2012年『ここは退屈迎えに来て』でデビュー。主な著書に『一心同体だった』などがある。
上白石萌歌さん(俳優)
自分だけのお気に入りが、きっと見つかるはず
初めて訪れたきっかけは、「欧風カレー ボンディ」でした。欧風カレーをずっと食べてみたくて、5年ほど前に訪れたときからすっかり虜に。多いときは月2で通う時期もありました。以前、江口のりこさんとご一緒する機会があったのですが、そのときもここの話で盛り上がったんです。それまでは定番のビーフカレーを食べていましたが、江口さんはアサリカレーをおすすめなさっていて。それ以来、私の定番メニューになりました。魚介のあっさり感に濃厚なソースが絡み合って、とってもおいしいですよ。ビールやサワーなどお酒も複数あるので、昼から飲むことも。純喫茶のような雰囲気も素敵で、一人で入りやすいところも魅力です。テイクアウトのプリンは見た目も可愛くて、ちょっとしたお土産にもおすすめ。
お昼を食べたら、書店を巡りに。この街の醍醐味は、思いがけない宝物に出合えること。以前、ふらっと入った「内山書店」で購入した秋山亮二さんの『中国の子供達』(青艸堂)は、今でも特に気に入っている一冊です。ほっとひと息つきたいときは「神田伯剌西爾」へ。地下にある店内は物語の世界に迷い込んだようで、ときめきが止まりません。まるで時が止まっているかのように穏やかな場所で、いつも時間を忘れて友達と話し込んでしまいます。
そして思い出深いのは、「神保町 試聴室」。以前からファンだった、柴田聡子さんの弾き語り定期演奏会が開催されていたときに訪れました。50人ほどが入る小さな箱で、みんなが着席して耳を傾ける、まるで中学校の音楽室のような空間。ライブハウスというより、まさしく試聴室という名前がふさわしい、温かな場所でした。マイクを通さなくても聴こえるほどの距離で、アーティストや音楽とより深く、密につながることができるんです。
この街は、思いがけないご縁が広がりやすいところ。通りすがりの書店での偶然の出合いもあれば、お目当ての本を探しに専門店に行くのもいいし。皆さん親切に教えてくれて、その会話もまた一興です。ここで過ごす時間はいい意味でアナログで、デジタルに頼らず自分から楽しみを見つけ出していける。そこに惹きつけられて、ついつい通ってしまうのかなと思います。
●東京都千代田区神田神保町2の3 神田古書センタービル2F
☎03−3234−2080
◯営11時〜22時(LO21時30分)、10時〜22時(LO21時30分)(土・日・祝)
㊡年末年始
●東京都千代田区神田神保町1の7 小宮山ビル(書泉グランデ脇)B1
☎03−3291−2013
◯営11時〜21時、11時〜19時(日・祝) 無休(元日のみ休業)
●東京都千代田区西神田3の8の5
◯営開催されるライブ・イベントに準じる
不定休

かみしらいし もか●2000年、鹿児島県生まれ。俳優活動のほか、adieu(アデュー)名義で音楽活動も行う。8月21日から舞台『震度3』に出演。
エルフ荒川さん(芸人)
芸人仲間と笑い合い、泣き合い、ともに駆け抜けた日々
神保町は、上京して初めて居場所を見つけた、思い出の地。ここに来ることを決めたのは、ぶっちゃけ言うなら"ノリ"でした。もともと大阪で芸人活動をしていたけれど、全国区での仕事も増えてきた時期。ステージが上がるごとに、「先輩たちに追いつきたいけれど自分は何もできない」とフラストレーションがたまって、疲れ果てていたんです。「ネタも何もかも、もう一段上に行かなあかん!」となったとき。すべてを捨ててすべてを取るつもりで、上京を決意。今行動しないと、一生飛び込めないような気がしたから。
「神保町よしもと漫才劇場」に所属になり、最初はとにかく尖っていました。「絶対売れてやる!」という決意で、周りは全員ライバル。仲よくしちゃいけない、とまで思っていた。でもそんな私に、劇場の中で「エルフさん、東京へようこそ!」って誰かが声をかけてくれたんです。怯えていた私は、「まさかここ、ええとこなんちゃう⁉」と、一気に緊張の糸が解けたようでした。
当時の神保町劇場には若手しかいなくて、先輩後輩関係なく、友達みたいな感覚。みんな売れることに集中していて、切磋琢磨する日々でした。褒め言葉やアドバイスも積極的に口にしてくれて、今の私があるのは絶対にあのときのおかげ。同期のエバースやぼる塾さんなど、多方面で活躍している芸人の方々にたくさん刺激をもらいました。みんなとライブ後の打ち上げによく行くのは「紅燈記」。深夜まで営業していて、終電まで飲むのがお決まりのパターン。ここのママは気さくで明るくて、仲よしなんです。
神保町は今や私のホームタウンであり、癒やし。そしてなぜかここに来ると、ちゃんみなさんの「SAD SONG」を思い出して、泣きそうになってしまうんです。「この夢が終わる時はそっと教えてね」「さよならはまだ先でしょう」……決して広くない楽屋でみんな一緒くたになって、がむしゃらにもがいたり、笑い合った日々。そのすべてがこの街に詰まっているから。
●東京都千代田区神田神保町1の23 神保町シアタービル2F
☎03−3219−0678
◯営公演により異なる 不定休
●東京都千代田区神田神保町1の11の6
☎03−4362−6891
◯営11時〜翌1時 無休(年末年始は未定)

えるふ あらかわ●2016年にお笑いコンビ「エルフ」を結成し、2022年に東京進出。2023年、「女芸人No.1決定戦 THE W」で準優勝。
柳井わかなさん(漫画家)
我が漫画家人生、ここにあり
この街は、私にとって戦場。ずばり、漫画を描く場所です。初めてこの地に来たのは、高校生で漫画の賞を受賞したときでした。勉強会に参加したとき、初めてプロの漫画家さんの生原稿を見させてもらって。感動すると同時に、そこに到達するまでの道のりの長さにショックを受けたことを覚えています。その次は、大学生のときに自分の作品を持ち込みに訪れました。ここに来るときはいつも仕事一本。漫画のことしか考えていません。
2019年に連載が始まってからは、月に1回は必ず来る場所に。特にネームが上がるまで苦戦しているときは、週7で通っていました。集英社の最上階の会議室をとってもらって、お昼過ぎから深夜まで、缶詰状態。中でも思い出すのは、いいストーリーがまったく思いつかなかった駆け出しの日々のこと。「本当にこれでいいんだろうか?」「いや大丈夫、きっと面白いはず……」そんな感情が、行ったり来たりの繰り返し。10階の窓から見える日の落ちる景色を、不安と期待を抱えて眺めていました。まあ、やっていることは今も変わらないんですけどね。
おしゃれなカフェや素敵な書店がたくさんあることは知っているんですが、作品に必死でそんなことを考える余裕はなくて、実はあまり行ったことがありません(笑)。でも、グルメな編集の方に打ち合わせ時に連れて行ってもらった「ビヤホール ランチョン」はお気に入り。初めて訪れたときは、いかにも正統派の洋食店といった雰囲気で、「すごく神保町っぽい……!」と感動しました。大ぶりのエビフライと、こだわりの生ビールが最高です。
ピンポイントで訪れるのは、「文房堂」。手描きで描いていた頃、ネーム用紙をまとめるために重宝していた「クリッピー」というアイテムを初めて見つけた場所です。調べてみたらここのオリジナル製品のようで、わざわざこれを買うためだけに通っていました。今でも書類をまとめるときによく使っています。ほかにも、洋雑誌を扱う「magnif」には、90年代のストーリーを描こうかと思っていたときに、資料を探しに通っていたり。結局私と神保町の思い出は、"漫画"というひと言に集約されるみたいです。
●東京都千代田区一ツ橋2の5の10 神保町ビル
☎03−3230−7755(読者係)
◯営10時〜12時 13時〜17時
㊡土・日・祝日
●東京都千代田区神田神保町1の6
☎03−3233−0866
◯営11時30分〜21時30分(LO21時)、11時30分〜20時30分(LO20時/土)
㊡日・月・祝日

やない わかな●2022年まで、集英社の雑誌『別冊マーガレット』で『シンデレラ クロゼット』を連載。7月より、TBSのドラマストリーム枠で放送中。
高橋優香さん(書店オーナー)
ニューヨークで気がついた、日本の「紙の本」が持つ力
神保町は、世界で一番大きな古書店街だってこと、ご存じですか? 海外の友人と話していると、よく「日本にはなんでそんなに古書店が多いのか」と聞かれます。それはきっと、昔から古書の文化が根づいているから。そしてこの街に集う人が一緒になって、それを守っているからだろうと思います。
ニューヨークに2年間留学していたとき、「日本らしさってなんだろう」と漠然と考えていました。そのときに日本の写真集と出合って、衝撃を受けたんです。写真家個人のストーリーが表現されていて、レイアウトも斬新だった。印刷技術も世界でも最高レベルで、本としての表現を突き詰めていたんです。この世界を分かち合いたいという思いで、「小宮山書店」に入り、日々さまざまな年代のアートブックに触れてきました。
古書店街としての神保町の面白さは、みんなが同じ価値観を持っていないところ。自分にとっては1万円のものが100円単位で売られていたり、値段では語ることのできない自分だけの宝物を見つけることができる場所です。
独立して自分の店を持ってからも、よく訪れています。「うどん 丸香」は、ここで働いていたときからよく昼食を食べていた場所。シンプルに、かけうどんとちくわの天ぷらでいただきます。澄んだスープが体と心に染み渡るようで、さくっと食べてリフレッシュ。ほかに心落ち着く場所といえば、「GLITCH COFFEE & ROASTERS」もおすすめです。豆から選ぶことができるのですが、ここでは酸味が強いものをブラックで飲むのが好き。一杯ずつ丁寧に淹れたコーヒーは味わい深く、贅沢なひとときを過ごすことができます。
近くの「竹尾 見本帖本店」は外せない! 質感や手ざわりを問わず、さまざまな種類の紙が並んでいて、本当に精緻で美しい。実は私は大学時代から紙が好きで、地元の大阪にあった竹尾の店舗に通っていたんです。まさに紙という表現の可能性を教えてくれた存在で、今につながっているのかもしれません。
●東京都千代田区神田錦町3の18の3
☎03−3292−3631
◯営11時〜18時(最終オーダー:17時30分)
㊡土・日・祝日
●東京都千代田区神田小川町3の16の1 ニュー駿河台ビル1F
◯営11時〜16時 17時〜19時30分、11時〜14時30分(土)
㊡日曜
●東京都千代田区神田錦町3の16
☎03−5244−5458
◯営8時〜19時、9時〜19時(土・日・祝) 無休

たかはし ゆか●ファッションブランドでキャリアを積んだのち、神保町の老舗「小宮山書店」に勤務。2023年より「Hi Bridge Books」をオープン。
山崎まどかさん(文筆家)
90年代から今も愛する、お気に入りの場所
さかのぼること30年前、1990年代のこと。さまざまなカルチャーの中から、まだ世の中に出ていないものを掘り出すことが楽しくて、中古レコードや古本探しに夢中になっていたんです。ちょうどその頃は、"乙女"とか"ロマンティック"という言葉が象徴的だった時代で、神保町はまさに代表的な土地でした。今も昔も、自分だけのお気に入りを見つけ出す楽しさがここにはありますね。
中でも思い出の場所は、「ブラッセルズ 神田神保町」。初めてベルギービールを飲んだのはここだったし、実は夫と知り合った場所でもあるんです。20代前半の頃、クレプスキュールというベルギーのレコードレーベルが好きで、当時このお店はその系列店。友人とよく集まっていました。昔からよく行く書店といえば、「北沢書店」。密かなお目当ては海外の古いペーパーバックです。「日本語訳はないけれどこんないい作家がいたなんて!」と驚くことも。ここで出合ったアルフレッド・ヘイズという小説家にはハマりましたね。ほかにも、「Style’s Cakes & Co.」のタルトは絶品! 普段は入手困難ですが、「文房堂」の上のカフェでも食べられるんです。お気に入りの本を読みながら、ゆっくり味わいたいですね。
●東京都千代田区神田小川町3の16の1
☎050−5262−4366
◯営17時〜23時、12時〜23時(土・日・祝)
㊡月曜
●東京都千代田区神田小川町3の16の6
☎03−3291−6910(お取り置き受付時間は9時〜10時)
◯営12時〜18時
㊡水・土・日・祝日
●東京都千代田区神田神保町2の5 北沢ビル2F
☎03−3263−0011
◯営12時〜17時
㊡日・祝日

やまさき まどか●コラムニスト。神保町の喫茶店で今、読みたい本は、各月をテーマに古今東西の小説や詩を集めた「12か月の本」(国書刊行会)。
髙林孝行さん(神田古書店連盟会長)
この街のディープな秘密、教えます
この古書店街は実は、戦前から続いているんですよ。空襲のときも、焼けずに残っていたんです。私が幼少期から遊んでいたのが、「錦華公園」。昔は一時期、ここで神田古本まつりが開催されていたこともありました。池には鯉が泳ぎ、よくザリガニを釣ったりしていて。今も、子どもから大人まで集う憩いの場ですね。
老舗のグルメといえば、「新世界菜館」。中国料理の名店で、上海蟹や紹興酒が有名です。お気に入りはですが、実はカレーがおいしいとの噂。どうやら昔は賄いだったのを裏メニューとして出したら評判になって、今では定番なんだとか。
そしてこの街の心臓と言っても過言ではないのが、「東京古書会館」です。古典籍から洋書・漫画まで、さまざまなジャンルの古書が集まるオークション会場。古書店はここから仕入れています。束になった本に封筒が置かれ、自分の希望額を入札し、10円単位で競り合う世界。本当に僅差の戦いです。落札した中には自分の店の専門外のものが入っていることも。そういう書籍を、安い価格で店先に並べておくんです。よく、「神保町で掘り出し物を見つけた」って言うでしょう? それ、実はこういう仕組みです。
●東京都千代田区神田猿楽町1の1の2
●東京都千代田区神田神保町2の2の39
☎03−3261−4957
◯営11時30分〜15時(LO14時) 17時〜22時(LO21時)
㊡日曜
●東京都千代田区神田小川町3の22
☎03−5280−2288(会場直通・会期中のみ)
◯営10時〜18時(金)、10時〜17時(土)
㊡日曜・祝日

たかばやし たかゆき●生まれも育ちも神保町。「東陽堂書店」の3代目。神田古書店連盟の会長として、近年では街の景観の保存にも尽力している。
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