古いものと新しいものが共存するブックタウンであり、作家にインスピレーションを与え続ける文化の発信地。今はもうない場所や味、海を越えて訪れた日の感傷、古い記憶を元に、エッセイやホラー掌編を書き下ろし。ここでしか読めないアンソロジーが、この街の姿を映し出す

金原ひとみ、ファン・ボルム、背筋。3人ののタイトルイメージ

金原ひとみ、ファン・ボルム、背筋。3人の作家がひとつの街を描く【神保町文学】

古いものと新しいものが共存するブックタウンであり、作家にインスピレーションを与え続ける文化の発信地。今はもうない場所や味、海を越えて訪れた日の感傷、古い記憶を元に、エッセイやホラー掌編を書き下ろし。ここでしか読めないアンソロジーが、この街の姿を映し出す

人みたいな街 金原ひとみ

人みたいな街 金原ひとみ

石井スポーツ登山本店に十二時集合。という予定が、カレンダーの中で異彩を放っていた。ある日の会食で、登山が趣味だと話す担当編集者に、同席していた皆が自分も登山してみたい! と盛り上がり、じゃあまずは登山グッズを買いに行きましょうと指定されたのが、神保町の石井スポーツ登山本店だったのだ。

登山のことを何も知らない三人に、唯一の識者はとにかく靴だけはきちんとしたものをとアドバイスをくれた。ベテラン風の店員に初心者なんですけど、と声をかけると、初手でどこの山に登りに行くのか問われ、それだけで信頼度はマックスに到達した。とにかくサイズが合っていることが重要だと、計測から始まり、山形の台を登って隙間ができないかまでしっかり確認してくれた。

非常食や熊鈴、コーヒーを淹れるための道具、初めて見るグッズにテンションが上がったけれど、今回は最低限の装備だけでいいですと言われ、私たちはウェアやリュックを思い思いに購入した。

そして大きな紙袋を抱え、お昼ご飯に向かったのは山の上ホテルの新北京だった。皆がスタミナ麺スタミナ麺、と盛り上がっているから、なんですかと聞くと有名な逸品なのだと教えてくれた。出てきたスタミナ麺は大量のひき肉とエビが載っていて、冷たいスープは鶏出汁のコクがあるけれど酸味がきいてさっぱりしていて、いくらでも飲めてしまいそうだった。プリプリってこれまでエビに対して何度も口にしてきたけど、これまでのプリプリは全部嘘でこれが本当のプリプリ、と私は確信する。そして不意に、私は芥川賞受賞直後、次作のため山の上ホテルに缶詰になっていた時のことを思い出した。

人みたいな街 金原ひとみ

デビューするまで打ち合わせの電車賃すら捻出できないくらいお金のない若者だったため、ルームサービスをとってもいいと言われても遠慮してしまっていたのだけれど、担当編集者が来た時にルームサービスをとろうと言われ、何かの麺類を頼んだことがあった。あの時食べたのは、これだったのかもしれない。そう言えば、私がすばる文学賞の最終選考に残った時、編集者に呼び出されて打ち合わせをしたのも、山の上ホテル別館のロビーだった。

記憶がぐわっと蘇り始めたけれど、文庫の担当編集者の最近ムエタイを始めたという話に完全に心を惹かれ、蘇りかけた記憶を投げ捨てるように飛びついた。

もしも目の前で女性や子供が被害に遭って、自分が何もできなかったら一生後悔するだろうから。彼女はムエタイを始めた理由をそう説明した。彼女の言葉に打たれ、私は登山への気運が高まっていくのを感じた。そして同時に、彼女のような真っ直ぐな人を書きたいと思い始めてもいた。

人みたいな街 金原ひとみ

あれから三年が経った。あの後私たちは神奈川の金時山に登り、私は山道を歩き始めて百メートルで登山したいと言ったことを後悔したけれど、無事下山した時にはその達成感で浅はかに「また登りたい」と再び意思を覆した。だが実際にはその後二回高尾山に登ったのみだ。

山の上ホテルは休業して、少し前に明治大学が買い取ったとニュースが流れたけれど、新北京が再開されるのかは分からない。私はあの時のスタミナ麺が忘れられず、あれと似たスタミナ麺を出す店がないか定期的に調べては、見つけられずがっかりしている。この三年で私は離婚して、再婚もして、登山が趣味の編集者は異動で私の担当を外れてしまった。新北京のみならず、よく通った店も、いつか行こうとブクマしていた神保町の有名店も、コロナの余波もありいくつも閉店した。

でも、建て替え中の三省堂書店もそろそろ元の場所に戻ってくるし、打ち合わせによく利用していた古瀬戸珈琲店は健在で、今もたまに行く。二十年くらい前、集英社の会議室で執筆していた頃、よく編集者とサクッとご飯に使ったげんぱちや源来酒家もまだ現役だ。当時の私はまたここか……と横柄なことを思っていたけれど、四十になりそういう店が長く続くことの有り難さを今は痛感している。最近、神保町ではスリランカカレーが盛り上がっているとオススメのお店を教えてもらったり、生まれて初めての本屋兼バーに連れて行ってもらったりもした。あの時のムエタイの話を生かした小説も、二年弱の連載を経て今年刊行となった。

店も人も入れ替わり続けるけれど、神保町には脈々とカレーや出版、音楽やスポーツという文化が受け継がれているのを実感する。ほとんどの土地に、自分が勝手に行くところ、勝手に変わっていくところ、という印象を持っているけれど、神保町には「いつもお世話になってます」というどこか人格的な認識がある。それは人と土地が強く結びつき、共に進化してきた街だから、なのかもしれない。

これからも本を買いに行ったりカレーを食べに行ったり、これから本気を出すからきっとまた登山本店にも行くし、取材や打ち合わせにも行くだろうし、新北京が再開した暁には定期的に通います。これからも末長く、よろしくお願いします。

金原ひとみプロフィール画像
金原ひとみ

かねはら ひとみ●1983年、東京都生まれ。2003年『蛇にピアス』(集英社)ですばる文学賞を受賞し、デビュー。翌年同作で芥川賞を受賞。その後も『TRIP TRAP トリップ・トラップ』(KADOKAWA)、『持たざる者』(集英社)など数多くの話題作を発表。’22年に柴田錬三郎賞を受賞した『ミーツ・ザ・ワールド』(集英社)は映画化し、10月24日に公開予定。

神保町を歩いた ファン・ボルム(牧野美加 訳)

神保町を歩いた ファン・ボルム(牧野美加 訳)

二〇二三年一一月、東京で開催されるK‐BOOKフェスティバルに招待された。自分が訪れることになるエリアが「神保町」であると知り、すぐにネットで検索してみた。最初のページに表示された記事のタイトルには「書店」「書店の街」「本の街」といった言葉が並んでいて、記事を何本か読んだわたしは直感した。神保町は、そこを旅するわたしのような読者、あるいはわたしのような作家にとって記憶に残る旅先なのだろう、と。少なくとも、旅行はどうだった? と聞かれて、うーん、まあまあかな、という適当な答えで済ませられる場所ではないのだろう、と。東京から戻ったわたしは知人に写真を見せながら神保町についてこう説明した。

「街全体が一つの書店。道を歩いていて書棚が目に入ってくるんだから。これ見て、外壁が書棚になってるでしょ」

そのとき訪れた東京では、韓国の小説やエッセイに惜しみない愛情を注いでいる人たちに出会った。神保町のある建物で開催されたK‐BOOKフェスティバルは、韓国の本を翻訳出版している日本の出版関係者や、韓国の作家や本に関心がありわざわざ足を運んだ日本の読者でにぎわっていた。わたしはそこで生まれて二度目の海外でのトークイベントに登壇し、サイン会もした(生まれて初めての海外でのトークイベントは、その前日、東京のある書店で経験した)。自分の本を読んでくれた外国の読者と対面するなんて、作家としての目標や夢を頭に描いてみるときですら想像もできなかったことなので、その年、わたしは想像を超える経験をしたと言える。

三泊四日のあいだ、日程が入っているとき以外はずっと神保町にいた。休んでいるとき以外はずっと神保町を歩き回っていた、とも言える。ホテルからフェスティバルの会場まで何度も歩いたし、グーグルマップで見つけたカレーの名店にも歩いていった。評判のナポリタンスパゲティーを食べにいったのに閉まっていて引き返したこともある。特に行くあてがなくても、あっちにずーっと歩いていっては戻ってき、こっちにずーっと歩いていっては戻ってくることもあった。もともと歩くのが好きなわたしは、旅先の街を歩くのももちろん好きだ。歩くのは、多くの旅行客が訪れる有名な街でなくてもいい。ホテル裏のひっそりした路地でもいいし、ホテルから一番近いスーパーマーケットに行く道でもいい。だから、神保町をあちこち歩き回るのも楽しかった。

歩いていて急に小腹が空いたらコンビニでおにぎりを買って食べたりもしたし、街のそこここにある書店を見物したりもした。店先のワゴンに積まれた本を見物し、店内で本を手に取る人たちも見物し、外壁の書棚に並ぶ本も見物し、その外壁の書棚も見物した。今さらながら、なぜ中に入ってみようと思わなかったのか(どうせ日本語が読めないので入ろうという気にもならなかったのだろう)。それでも、そうやって外からちらちらうかがいながら——韓国でも外国でも書店を見かけるたびに思うように——この書店もいつまでもここにあってほしいなと考えていた。

歩きながら、自分の歩いているこの街が意味していることについても考えてみた。一〇〇軒以上の書店が連なる街、新刊より中古本を売る店がはるかに多い街、それぞれ独自の趣向や専門性で勝負する書店の街。この街が意味するのは、本を愛する人たち、本を売り買いする人たちが依然として存在しているということだ。これはけっして取るに足らない事実ではない。ネットフリックスやショートフォーム(短い映像コンテンツ)に象徴される激流のなかにあっても、過去から流れくる支流にしっかり根を下ろし——かつてその支流のほとりで生きていた人たちが長年そうしてきたように——本を作り、売り、読む人たちが今も存在しているという意味なのだから。彼らの存在そのものがその支流を未来へとつないでいく行為なので、こういう街が残っている限り、わたしたちはこれからも読んだり書いたりできるはずだ。

二〇二四年四月に再び神保町を歩いた。神田川のそばのホテルから二〇分歩いてきて、五カ月前に歩いた街をまた同じように歩いてみた。まだ早い時間だったせいか、店を開けている書店はなかった。でもわたしは、五カ月前に目にした外壁の書棚を思い浮かべながら、がっかりすることなく歩いた。書店は間もなく店を開けるはずだから。

ファン・ボルムプロフィール画像
ファン・ボルム

大学でコンピューター工学を専攻し、ソフトウェア開発者として勤務。初の長篇小説『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』(牧野美加訳、集英社)が2024年本屋大賞翻訳小説部門の第1位を受賞し、話題に。他著書に『毎日読みます』(牧野美加訳、集英社)など。

理想の私 背筋

理想の私 背筋

東京国立近代美術館でアートを堪能、靖国神社に参拝、皇居の周りをお散歩——。

九段下、オフィス街のど真ん中で涼子はスマホを見つめていた。

東京に出張なんてそうそうあるものじゃない。しかも取引先との打ち合わせは予定よりもかなり早く終わった。予約した新幹線の乗車時間をわざわざ早めることもないだろう。せっかくの機会だ。少しでも東京観光をして帰りたい。

そんな思いで今、現在地に近い観光スポットを探している。

どうせだったら浅草まで行ってみようか。だが、平日とはいえ東京だ。観光客で混雑しているのだろう。スクロールを続けつつそんなことを考えていたとき、それが目に留まった。

『神保町で古書店&カフェ巡り♪』

タイトルの下には神保町の街並みを写した画像が見える。歴史を感じさせる古書店が軒を連ねる、ノスタルジックな風景に心が惹かれた。

今日の夜には帰る予定の京都の風景を思い浮かべる。生まれ育った土地は今や外国人向けに古都をアピールしており、居心地が悪く感じることも多い。東京も同じだろうとは思うが、せっかく観光するのだから、少しでも作り物ではない歴史を感じたいと思ってしまう。

マップアプリの指示に従い、専大通りを歩きはじめた。

理想の私 背筋
理想の私 背筋

記事に書かれていた老舗のカレー専門店で遅い昼食を済ませたあと、街中を散歩しはじめる。

靖国通りには涼子と同じ、観光目的の人の姿が多く見える。思った通り、過度に観光地化されていない風景。それをうれしく思う。いくつかの古書店を冷やかしたあと、少し奥まった路地に足を向けた。

普段なら入ることをためらうであろう、鄙びた雰囲気の一軒。色あせた背表紙の分厚い書籍が並ぶ書棚が入口から見える。だが、旅先で感じる非日常感が背中を後押しした。

カウンターには、中年の男性がひとり。涼子を一瞥したあと、手元の本に目を戻す。歓迎はされていないが、拒否もされていないらしい。数坪程の店内、涼子は書棚の間の狭い通路に足を向けた。

BGMは流れておらず、静寂に包まれている。古い紙のにおいが、図書館を思い出させる。書棚に収められた膨大な書籍、その数だけ存在する歴史に想いを馳せながら、歩を進める。

店の雰囲気から、専門書ばかりが並んでいるのかと予想していたが、意外にもジャンルは幅広いようだ。昭和に刊行されたであろう雑誌の書棚も見える。

なんの気なしにそのなかの一冊に手を伸ばしたところ、見覚えのあるタイトルが目に入った。

それは涼子が今でも書店で手に取ることがある女性向けファッション誌の創刊号だった。

この雑誌、こんなに前からあったんだ。

裏表紙の「1989年11月号」という文字を見て、感慨深い気持ちになる。手にしたのは、偶然にも涼子が生まれた年に発売されたものだった。

それを手に、カウンターへ歩きだした。

理想の私 背筋

レトロな雰囲気を味わえる喫茶店。ネットでそう紹介されていた店で、アイスコーヒーを注文する。

店内に流れるのはジャズミュージック。オレンジ色の照明がテーブルを照らしている。涼子は鞄から先ほど買った雑誌を取り出した。

買ったことに興味本位以外の理由はなかったが、読みはじめると思った以上に楽しく思える。

よく知っている雑誌のはずなのに、年代が違うとまるで別の雑誌を読んでいるようだ。時代を感じさせるファッションはもちろん、ラジオカセットや、今は見なくなった清涼飲料水など、広告ページすらも新鮮に映る。

夢中になって読み進めていたとき、妙なページを見つけた。

冬物のコートの特集ページ。ポーズを決めるモデルの写真のなか、人型に切り取られている箇所があった。そこだけ向こう側のページが見えている。

そのあとも、ひんぱんにページのなかにぽっかりと空いた人型の「穴」を目にした。いずれもモデルを切り抜いたと思われる。カッターを使ったのか、どのようなポーズを取っていたのかがわかるほどにきっちりと切り取られている。

その意味に気づいたとき、涼子は微笑んだ。確か母から聞いたことがある。スマホはおろか携帯もなかった頃、ファッションの情報の最先端は雑誌だったと。気に入ったコーディネートを切り抜いてノートに貼りつけ、スクラップブックを作る文化もあったそうだ。

きっとこの雑誌の元の持ち主も、そうだったのだろう。本来ならばそのような古書は不良品扱いだろうが、涼子はそれがうれしく思えた。時代を超えて手にしている雑誌に、かつての読者の面影を感じることができたからだ。

運ばれてきたアイスコーヒーを飲みつつ考える。四十年近く前にこの雑誌を切り抜いた女性は、どんな人だったのだろうか。

私と同じで、仕事を頑張りながら休日には旅行に行って、彼氏はいなくても別に寂しさなんて感じていない。そんな女性だったらうれしいな。そんな想像を頭のなかで広げる。

今も生きているなら、母と同じ世代なのかもしれない。娘ぐらいの年の私が今こうやって読んでいると知ったら、どんな顔をするのだろう。

考えていると、ポケットのなかでスマホが振動した。会社からだろうか。今日は直帰すると伝えたはずなのに。現実に引き戻されたことを恨めしく思いつつ、ディスプレイに目を遣る。

『新着メッセージがあります。』

SMSのポップアップだった。ほとんどLINEしか使っていないはずなのに、誰からだろう? 深く考えずに、タップする。

理想の私 背筋

送り主不明のメッセージには、画像が添付されていた。

そのおぞましいコラージュを、咄嗟に脳が拒否する。時代を感じさせるデザインの冬物のコートを着て、笑顔でポーズを取るモデル。だが、モデルの頭には大きさの違う目が大量に貼りつけられている。そして、コートの裾からは同様にして貼りつけられた大量の足が生えていた。

いずれも雑誌に掲載されていた写真から切り抜いたものなのだろうか。褪せた色のノートに貼りつけられたそれは、スクラップブックの一ページを写したもののように見えた。余白には歪んだ文字で『りそうのわたし』と書いてある。

これは一体———。出来損ないの宇宙人のような異様な姿をしたモデルのコラージュ写真から目を背けたとき、不意にスマホが振動し、思わず取り落としそうになる。

また、メッセージが届いていた。

『ずっとずっと待ってた。見つけてくれたから、やっとでれた』

理想の私 背筋

帰りの新幹線で、涼子は悪夢を見た。目と足がたくさんある女が笑顔でこちらを見ている夢だ。

夢のなかで確信していた。これからずっと、この夢を見ることになるのだろう。かつて、歪んだ理想を描いたどこかの誰か。歴史に触れることで、私はそれを見つけてしまったから。

理想の私 背筋
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背筋

せすじ●2023年『近畿地方のある場所について』(KADOKAWA)でデビュー。同作は映画化し、8月8日に公開予定。他著書に『穢れた聖地巡礼について』(KADOKAWA)、『口に関するアンケート』(ポプラ社)など。

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