パラ陸上(走幅跳・短距離走)/湯口英理菜さん【パラアスリートが見つめる未来 vol.14】

前例のない挑戦を続ける 両脚義足のジャンパー

SPUR5月号 湯口英理菜 パラ陸上(走幅跳・短距離走)

湯口英理菜選手は、現在日本で唯一の両脚大腿義足の陸上競技選手(T61クラス)だ。彼女のように、両脚の膝上から義足の人が競技をする場合、車いすを使う場合が多く、両脚義足で陸上競技に取り組む選手はこれまで日本には誰もいなかった。

「先天性の障がいにより3歳のときに両大腿骨から下を切断し、物心がついた頃には義足で生活を送っていました。当時から体を動かすことが大好きだったので、スポーツの習い事を探していました。車いす競技をすすめられましたが惹かれず……その後、中学校に上がるタイミングで、現在も日常用義足を作っていただいている鉄道弘済会の義肢装具士の方からパラ陸上をすすめてもらいました」

競技用の義足は履きこなせるようになるまでにかなりの時間を要する。それでも彼女はめげることなく、競技にのめり込んでいった。

「何よりも自分の体を動かしてスポーツを楽しみたいという思いが強かったです。ただ最初は競技用の義足で立つのも大変で、一人で歩くこともできませんでした。日常生活で使う義足とはまったく異なり、トランポリンの上を歩いているような感覚に近いんです。徐々に慣らしていき、納得して走れるようになるまでに2年半ほどかかりました。高校生で初めて試合に出場し、競技場の電光掲示板に自分の記録が出たときに、今までの努力を一つ結果として残すことができたように思えて、すごくうれしかった。それからもっと成長して、記録を出したいと思うようになり、本格的に競技に取り組むようになりました」

SPUR5月号 湯口英理菜 パラ陸上(走幅跳・短距離走)
©アフロスポーツ

2019年に大学へ進学後、走幅跳のトレーニングも始めた。そして、現在もさらなる高みを目指し、前例のない挑戦を続けている。

「私のT61クラスでパラリンピックに出るために走幅跳を始めました。助走のタイミングの取り方を体に染み込ませるために、メトロノームを使って練習をしてみたり、ウエイトを増やすために食事やトレーニングを変えてみたり、練習を工夫して行なっています」 

そして、何よりパラ陸上に出合い、自分自身の障がいに対する思いにも大きな変化があったと語る。

「それまでは、心のどこかで『自分は障がい者だから』と疎外感を感じていましたが、記録に挑む中で物事を前向きに捉えられるようになりました。直近の大きな目標は、2028年のロサンゼルスのパラリンピックに走幅跳で出場すること。ハードな冬季練習の真っ最中なので、4月のシーズンインが待ち遠しいですね。私の活動が障がいのある子どもたちの選択肢の一つになってくれたらうれしいですし、少しでも希望を与えられるような存在になりたいです」

湯口英理菜プロフィール画像
湯口英理菜

ゆぐち えりな●2000年5月12日、埼玉県生まれ。両脚に先天性の障がいがあり、3歳のときに両大腿骨から下を切断し義足に。中学時代にパラ陸上に出合う。2023年の日本パラ陸上競技選手権大会で走幅跳(T61)に出場し、2m58のアジア記録を樹立。その後も記録を伸ばし、現在の自己ベストは4m10。走幅跳だけでなく2024年の世界パラ陸上競技選手権大会の100m(T61)で6位入賞。またT61クラスの200mの世界記録を保持する。日本航空に所属。

湯口さんを読み解く3つのS

Smile

実家で飼っている猫と触れ合っているときが、現実逃避できる、一番の癒やしの時間です! 社会人になってから一人暮らしを始めましたが、時間を見つけてはよく遊びに帰っています(笑)。遠征や合宿などで離れている期間が長くなると、特に会いたくなりますね。

Sleep

クッションを脚の間に挟んで寝るとリラックスして深い眠りにつくことができます。合宿先などに持っていけないときはバスタオルを丸め、代わりになるものを作り、現地調達する形で工夫しています。あと、アロマオイルで気持ちを落ち着かせることもあります。

Society

競技を通して、社会とのつながりを日々感じています。記録を更新することで応援してくださる方が増えたり、取材のオファーをいただいたりなど。記録に挑戦できることがうれしく、「障がいがあるから」というネガティブな感情が湧くことがなくなりました。

 

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