日本のゴールボール界をさらなる高みへ。宮食行次選手にインタビュー【パラアスリートが見つめる未来 vol.19】

ゴールボール/宮食行次さん

SPUR10月号 宮食行次 ゴールボール

男子ゴールボール日本代表であり得点の要として、圧倒的な存在感を放つ宮食行次選手。彼の人生が大きく動きだしたのは、2017年の冬。パラアスリート人材発掘事業に誘われたのがきっかけだ。

「小学5年生のときに、視界が少しずつ見えづらくなる進行性の病気、網膜色素変性症と診断されました。将来を見据えて地元の盲学校に進学し、マッサージの勉強をしていたんです。病気の進行とともに少しずつできないことが出てくる中で、新たに出合ったのがゴールボール。できることが増えていくのが楽しかったです。もともと野球やソフトボールをやっていたので、投げる動作には自信がありましたし、自分の可能性を広げてくれたような感覚でした」

その後、日本ゴールボール協会からの後押しを受け、東京2020パラリンピックを目指して本格的に競技へ打ち込むように。努力を重ねた結果、迎えた初のパラリンピックでは、チーム最多となる13ゴールを挙げて5位入賞。堂々たる結果を残した。

SPUR10月号 宮食行次 ゴールボール

©SportsPressJP/アフロ

「ゴールボールを始めてからの約4年間は、本当にがむしゃらでした。同時にパラリンピックで金メダルをとるには、まだ自分には足りないものがあると痛感しました。そこで思い切って、アスリート雇用で競技をサポートしてくれる企業への転職を決意。自分にとってのターニングポイントでしたね。競技に集中できる環境を整えることで、もう後戻りはできないという覚悟も湧いてきたんです。また環境の変化とともに、ゴールボール以外のトレーニングも取り入れるように。フィジカルの強化によって、自然と鋭い回転がかかり、遠心力でボールの中に入っている鈴の音が聞こえにくい理想の投球ができるようになりました」

そして、2024年のパリパラリンピックは有言実行し、世界の頂点に登りつめた。現在は自身のレベルアップと並行し、若手選手の育成にも注力している。

「人に教えるって、本当に難しいんです。特に全盲の選手には、体に触れながらポジションを伝えたり、一つひとつの動作を分解して言葉で丁寧に説明したり、工夫が必要。自分の目も今後どうなるかわからない不安はありますが、それでも日本代表として戦えることが幸せです。障がいがあることをあまりマイナスに捉えず、前を向いて進んでいけたらいいなと。だからこそ、これまで自分が経験してきたことは惜しまず伝えていきたいです。そして、いつか僕を蹴落として上に行くような若い選手が出てくるのを、楽しみにしています。でも、引きずり下ろされるまでは僕も粘りますよ。日本のゴールボールを、もっと強く、さらに高みへ引っ張っていきたいので」

宮食行次プロフィール画像
宮食行次

みやじき こうじ●1995年3月20日、大阪府生まれ。小学5年生のときに網膜色素変性症と判明。小・中学生時代は野球部、高校ではソフトボール部に所属し、球技に勤しむ。2017年に日本ゴールボール協会が主催した人材発掘プロジェクトをきっかけに競技と出合い、上京。その翌年には日本代表強化指定選手に選出される。2021年の東京パラリンピックでは5位入賞。2024年のパリパラリンピックでは金メダル獲得に大きく貢献した。コロプラ所属。

宮食さんを読み解く3つのS

Smile

体の半分は阪神タイガース愛でできていると言っても過言ではないくらい、大のタイガースファンです! テレビ中継をオンタイムで観られるよう、予定を調整するほど。阪神タイガースのチーム作りはゴールボールにも通じるものがあり、とても勉強になります。

Sleep

よく眠れるタイプなのですが、睡眠の質にこだわって快眠をサポートしてくれるアイテムを使っています。リライブのリカバリーウェア、睡眠用のアイマスクなど。あと、大きな体がのっても沈みすぎないマットレスを最近使い始めて、調子がいいですね。

Society

病気のことをマイナスに捉えていた時期もありましたが、今ではプラスマイナスゼロと思えるように。僕をきっかけに、ゴールボールを知ったという若手の選手もいて。視覚障がいがなかったら、こんな充実した人生を歩めていなかったと日々実感しています。

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