【パラアスリートが見つめる未来 vol.04】パラスノーボード/小須田潤太さん

強みは陸上競技で磨いたスタートダッシュ。伸び代はまだ無限にある

SPUR7月号 小須田潤太

東京2020パラリンピックでは陸上走り幅跳び男子(義足T63)、北京2022冬季パラリンピックではスノーボードクロス(LL1)でいずれも7位に入賞し、夏冬二刀流を果たした小須田潤太さん。彼がパラスポーツを始めたきっかけはパラ陸上の第一人者である山本篤さんとの出会いから。

「21歳の頃、勤めていた引っ越し会社のトラックを運転していたときに交通事故を起こし、右脚の大腿部を切断しました。事故から3年ほどたち、偶然参加した義足メーカーのランニングクリニックの講師で来ていたのが、山本篤さんでした。その当時、生活のために義足を試していましたがうまくなじまず、松葉杖で過ごしていました。でも、同じように大腿部から切断している篤さんが義足をつけて颯爽と走る姿がすごくかっこよくて衝撃を受けたんです。イベントで久しぶりに体を動かしてみるとすごく気持ちがよくて、パラ陸上に興味が湧きました」

本格的に陸上を始めると、持ち前の運動神経のよさで才能を開花。

「競技用の高額な義足をまだ持っていないときは、篤さんに借りて一緒に練習をしました。実は、スノボ挑戦のきっかけも彼なんです。平昌2018冬季パラリンピックを目指していることを知り、『これは俺もやるしかない!』と。陸上では篤さんにかなわないですが、スノボなら勝てるかもと考え、すぐに始めました」

東京2020パラリンピックを終え、’21-’22年シーズンからはスノーボードに専念するようになった。

「パラリンピックに出場したことで、メダルが欲しいと強く思うようになった。最短ルートでのメダル獲得を考えたときに、ミラノ・コルティナダンペッツォ2026冬季パラリンピックが狙いめかなと。実際に競技をひとつに絞ってみて、改めて4年間という時間の短さを実感しています。今は、以前よりも競技に集中ができ、技術も向上していると感じます。僕の強みは、陸上競技で鍛えたスタートダッシュ。スノーボードを始めたときからリアクションスピードには自信があります」

SPUR7月号 小須田潤太
©Tonko Takahashi

4年に一度しかない大舞台に照準を合わせて、結果を出すことは並大抵のことではない。ただ、彼にとって高いモチベーションを保ち続けることは、難しいことではないと話す。

「モチベーションを常に維持するために、自分の身を置く環境が大切だと思う。代表チームをはじめ、篤さんや所属先の皆さんなど、周りに志が高い人が多いので僕も日々感化されています。開催まで残り約2年、やるべきことはまだまだあると感じます。ジャンプやターンの練習、直接競技に関係することではなくても新しいことにどんどん挑戦してみたい。今夏は体をつくり直し、滑り込んでいきたいと思っています!」

小須田潤太プロフィール画像
小須田潤太

こすだ じゅんた●1990年10月5日、埼玉県生まれ。2012年にトラックを運転中に単独事故を起こし、右大腿部を切断。リハビリの過程でパラ陸上を始める。東京2020パラリンピックでは、T63クラスで100メートルと走り幅跳びに出場。2018年からはスノーボードにも挑戦を始め、北京2022冬季パラリンピックはスノーボードクロスで7位入賞。2021-’22年シーズンからスノーボードに専念し、2023年のW杯ではスノーボードクロス(LL1)で初優勝に輝く。現在はオープンハウスグループに所属。

小須田さんを読み解く3つのS

Society

社内はもちろん、街中でも障がいのある僕と関わることで、何かしら感じてもらえると思っています。たとえば、義足を隠さずに歩いていると子どもたちが興味を示してくれ、僕から話しかけたりも。そういった行動から周囲が障がいについて考えるきっかけになりたいです。

Sleep

睡眠をしっかり確保しないと活動の限界がすぐに来てしまうので、一日9時間くらいは意識的に取るようにしています。飛行機の中や遠征先など環境が変わっても寝られるタイプです。カナダ遠征に行ったとき、着いてから時差ボケで14時間眠ったときは、自分に驚きました(笑)。

Smile

昨年9月に子どもが生まれて、一緒にいるだけで笑顔になれます。今まで海外遠征が楽しくて、まだいたいなと思うことが多かったのですが、先日の遠征では子どもに会いたくて早く帰りたくなりました(笑)。長い遠征中はテレビ電話をつないで元気をもらっています!

 

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