パラ陸上/兎澤朋美選手にインタビュー。「スポーツを通じて、 価値観を更新し続けたい」

パラアスリートが見つめる未来 vol.21

パラアスリートが見つめる未来 vol.21

パラ陸上/兎澤朋美さん

SPUR12月号 兎澤朋美 パラ陸上

現在、100mと走り幅跳び(ともにT63クラス)でアジア記録を保持する兎澤朋美選手。義足のアスリートとして挑み続ける彼女の歩みは、決して平坦ではなかった。

「高校生のとき、東京2020パラリンピックの招致が決まり、関わってみたいと漠然と思ったのが競技を始めたきっかけでした」

小学5年生で骨肉腫を発症。左脚の太ももから下の切断を選択せざるを得なかった。

「人工関節を入れるか、切断するかのどちらか。体を思い切り動かせる未来を残したいと思い、後者を選びました。小さい頃から体を動かすのが大好きで、その機会を失うのは嫌だったので」

その決断が、やがて彼女を陸上競技へと導いていく。

「義足をはいて走り出した当初は、不安定さとの闘いでした。どのタイミングで地面に足がつくのかわからず、何度も転びました。大学進学後、本格的に陸上競技を始めたときも、周囲は幼少期から経験を積んできた猛者ばかり。ウォーミングアップだけでも全力を尽くさなければならず、泣きながら練習に食らいついていました」

だが、2年目には国内大会でトップ選手に迫り、手ごたえを得る。2019年の世界選手権大会で銅メダルを獲得、東京2020パラリンピックの出場権を手にする。

SPUR12月号 兎澤朋美 パラ陸上

©SportsPressJP/アフロ

「待ち望んだ夢の舞台は、コロナ禍によって制約の多い環境での開催でした。思い描いていたものとは違いましたが、自国開催で多くの人に応援してもらえたのは大きな財産になりました」

周囲からの「可哀想」という目線が「すごい」「かっこいい」と憧れのまなざしに変わっていったことも、彼女の内面に大きな変化をもたらした。

「転機は、パラリンピック金メダリストである、ハインリッヒ・ポポフさんとの出会い。『なぜスポーツを始めたの? 人生を豊かにするためでしょう』と言われ、ハッとしました。競技は真剣に取り組むもの。でも、楽しんでもいいと気づき、競技中に笑顔でいることを意識するように。パリ2024パラリンピックでは、歓声に背中を押され、純粋に競技を楽しめました」

今後について聞くと「自分の選択を正解にしたい」と力強く語る。

「3年後のロサンゼルス2028パラリンピックを目指し、しっかりと競技に向き合っていきます。そして、私がスポーツに救われたように、今度は私が誰かのきっかけになりたい。ランニングクリニックで指導に携わった参加者の方から、『子どもと一緒に走れるようになった』と言われたことが印象に残っています。走ることが人生を変える瞬間に立ち会えるのは、私にとっても大きな喜びです」

兎澤朋美プロフィール画像
兎澤朋美

とざわ ともみ●1999年1月14日、茨城県生まれ。小学5年生で骨肉腫を発症し、翌年に左脚を切断。義足での生活を選び、大学進学を機に陸上競技を本格的に始める。T63クラスの走り幅跳びと100mを主戦場に実績を重ね、2021年の東京パラリンピックに初出場を果たす。その後も自身が持つアジア記録に挑み続け、今年の日本パラ陸上競技選手権大会では走り幅跳び4m88、100m15秒55と両種目でアジア新記録を樹立し、優勝を飾る。富士通に所属。

兎澤さんを読み解く3つのS

Smile

練習の段階から笑顔で楽しむことを意識しています。本番でも過度に力まず、自分を追い込みすぎないで臨めるようになりました。「ここまでしっかり積み上げてきたから、あとは成果を出すだけ」と前向きに切り替え、試合を心から楽しむマインド作りができています。

Sleep

遠征時は競技用の義足など荷物が多いので、自分の枕は持参しません。現地でバスタオルを重ねて高さを調整するなど、工夫しています。たまに考え込みすぎて寝られないときは、仕方ないと割り切ります。気持ちの切り替えが快眠の秘訣につながっているかもしれません。

Society

スポーツが持つ力を、競技者として活動を続ける中で改めて実感しました。できないと思っていたことができるようになる経験は、自分自身の気持ちを変えてくれます。今は競技に注力していますが、いずれは走る楽しさを伝える活動にも、力を入れていきたいです。

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