ブラインドサッカー®/若杉 遥選手にインタビュー。「新たな舞台で結果を残し、スポーツの魅力を届けたい」

パラアスリートが見つめる未来 vol.20

パラアスリートが見つめる未来 vol.20

ブラインドサッカー®/若杉 遥さん

SPUR11月号 若杉 遥 ブラインドサッカー®

ゴールボール女子日本代表として3大会連続でパラリンピックに出場したメダリスト、若杉遥選手。現在は競技を転向し、新たなフィールドで輝きを放っている。

「ブラインドサッカーは、ゴールキーパーを除く選手がアイマスクを着用し、鈴の入ったボールを使い、感覚を研ぎ澄ませて、仲間の声を頼りに行う5人制サッカーです。競技を始めたきっかけは、体験会への参加でした。そのときは、ブラインドサッカーらしいプレーはほとんどなく、みんなでボールをただ追いかけるだけで、終わってしまいました。もちろん楽しかったのですが、どこか物足りなさも感じて……。もっとやってみたいと監督に伝えたところ、練習に誘ってもらうようになりました。今思えば、それも監督の作戦だったのかもしれません(笑)」

ボールを投げる競技から、足で操るブラインドサッカーに転向した若杉選手。新しい物事に取り組むことへの前向きな挑戦心は、もともとの気質にあった。

SPUR11月号 若杉 遥 ブラインドサッカー®

©Haruo.Wanibe/JBFA

「私の病気は線維性骨異形成症で、視神経の周りに骨ができるものでした。治療中に一気に視力を失い、もう大好きなスポーツはできないと思っていたときに出合ったのがゴールボールです。その経験を通じて、ブラインドサッカーでも自分が成長する感覚や、新しいことを吸収する面白さを感じています。初めはドリブルも思うようにできませんでしたが、それさえも楽しかった。もっとできるようになりたいという一心で練習しているうちに、気づけば競技にのめり込んでいました。ゴールボールとブラインドサッカーの共通点は鈴の入ったボールでプレーするところ。なので、音を捉える感覚は競技が変わっても生かすことができました。私自身、ゴールボールでの経験をチームに還元したいと思っていますし、監督からもその役割を期待されています」

昨年は大怪我に苦しみ、約1年間競技から離れていた。手術、リハビリを経て、復帰1戦目となる今年5月に大阪で開催された国際大会では、キャプテンに就任。

「キャプテンという立場は、今まであまり経験したことがありませんでした。さまざまな選手がいるなかで一つの目標に向かっていく気持ちをまとめる難しさと、やりがいを感じています。私にとって新しい挑戦ですが、根底にはスポーツができる喜びがあります。だからこそ、ブラインドサッカーを通して、障がいの有無にかかわらずすべての人が楽しめるスポーツの魅力を伝えていきたいと思っています。今は10月にインドで開催される世界選手権に向けて、個人としての技術と、チーム一丸となって点を取りにいくスキルの両方をしっかり磨いています!」

若杉 遥プロフィール画像
若杉 遥

わかすぎ はるか●1995年8月23日、東京都生まれ。中学2年時に線維性骨異形成症により視力をほぼ失い、盲学校へ転校。その後、ゴールボールに出合い、2012年のロンドンパラリンピックから3大会連続で出場し、メダル獲得に貢献。’22年にゴールボールを引退し、ブラインドサッカーに転向。同年11月には早くも女子日本代表に選出。IBSAアジア・オセアニア選手権で優勝を飾り、以降も世界大会で準優勝など活躍を重ねる。アシックス所属。

若杉さんを読み解く3つのS

Smile

今年5月の復帰戦まで、1年間ほど怪我でチームを離脱し、悔しい思いをしました。今はブラインドサッカーができる喜びを日々噛みしめています。つらいリハビリを乗り越えられたのは、大好きなスポーツをもう一度思いきりやりたいという意志があったからです!

Sleep

遠征先で寝具が変わっても熟睡できるのが自分の強みの一つです! 睡眠は9時間ほど確保するよう心がけています。あと、寝る前はアロマオイルを使い、軽いストレッチや呼吸法で気持ちを落ち着かせて、リラックスしてから眠るようにしています。

Society

ブラインドサッカーに転向し、チームメイトやさまざまな人たちとの縁を大切にすることで、そこからつながる新たな出会いや、気づきが生まれることの面白さを実感しています。まさにそれがスポーツの醍醐味でもあり、これからも大切にしていきたいことです。

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