【パラアスリートが見つめる未来 vol.08】パラ陸上短距離/山下千絵さん、宮田美文さん(ミズノ)、大塚 滋さん(今仙技術研究所)

パラ陸上短距離選手の山下千絵さんと、彼女の義足板バネを共同開発している宮田美文さん、大塚滋さんによる3人での鼎談が実現。アスリートと国産義足メーカーの技術者が開発にかける想いに迫る

SPUR11月号 山下千絵

国産義足で世界に挑む選手と技術者の出会い

——山下選手はどのような経緯で競技用の義足「KATANAΣ(カタナシグマ)」を使い始めたのですか?

山下さん(以下、山下) もともとパラ陸上を始めた頃はヨーロッパメーカーの義足を使っていました。あるとき、お世話になっている義肢装具士さんから「KATANAΣ」をすすめられたのがきっかけで、使うように。初めて履いたときは圧倒的な軽さに感動しました。私は1gでも軽い義足を履きたかったので、まさにピッタリでしたね。この板バネの特徴は、真ん中にある大きな空気孔。この孔は世界初のデザインで、軽量化を実現しただけでなく、板バネを振り出す際に生じる空気抵抗を減らす役割があります。

宮田さん(以下、宮田) 近年では空気孔を設けたことによる強度低下を防ぐために、最先端のカーボン材料や設計を用いて改良しています。

大塚さん(以下、大塚) それまでは、海外規格の大きい体格の選手用のものが主流でしたが、「KATANAΣ」は日本人の小柄な体型にも合うようにコンパクトに作られているので、とても扱いやすいんです。

山下 これに替えてから膝が上げやすくなりましたし、明らかに足の回転数も上がりました。

SPUR11月号 山下千絵
(写真右から)1 トラック以外で使うためのスパイクカバー(右)と板バネにつけるスパイクソール 2 日常用義足のフットカバー 3 日常用義足モデル。2を先端にかぶせる 4 スポーツ初心者用モデル「KATANAα」 5 山下選手が現在使用中のモデル「KATANAΣ」。4に比べ、着地部分の板バネがよりカーブし、反発力が伝わる形状に。宮田さんいわく「競技用の義足は、足に似せた形から遠ざかるほどに、スピードアップがかなうようになった」

——2社による義足の共同開発を始めたきっかけを教えてください。

宮田 スタートは10年前の2014年頃で、東京パラリンピックの開催が決まったとき。弊社のカーボン技術を用いて、パラリンピアンたちを支えるギアの開発ができないかと模索していたんです。そんな折に今仙技術研究所さんとの共同開発のお話が挙がり、このプロジェクトがスタートしました。

大塚 弊社は、もともと日常用義足の製造が主だったのですが、これから競技用のものにも本格的に参入しようと思っていた矢先でした。あとは、板バネだけでなくスパイクソールを含めた開発を手がけたいと考えていたので、高度なカーボン技術を持ち、シューズも手がけているミズノさんはぴったりだなと。

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普段から使用しているトップアスリート向け義足板バネ「KATANAΣ」を持つ、パラ陸上短距離の山下千絵選手。「この軽さには履いた瞬間から驚きました!」

国産メーカーの強みは密なコミュニケーション!

——板バネから義足ができるまでの工程について教えてください。

山下 最初は長い状態の板バネをいただき、義肢装具士の方と相談し、私の身長や残っている健足の長さ、好みに合わせて切断して使っています。一度切ったら戻せないので、ミリ単位での調整が本当に難しくて。義足って、欲しいと思っても簡単に手に入るものではないんです。パラ陸上を始めて間もない頃は、同じくらいの身長の男性選手のお下がりをもらって使っていました。

大塚 板バネの硬さは3種類あって、その中から山下選手に一番合うものを選んでもらい、それを基準に微調整していきます。意外と、ピッタリとマッチするものが少ないので試行錯誤しています(笑)。

山下 私の好みは硬めのもので、それに合わせて、もともとある板バネの幅を広げ、硬さを強化してもらっています。板バネは、踏み込む脚の力を反発力に変えるためのものなので、自分のベストポジションでしっかり踏み込めば、跳ね返ってくるパワーが上がります。

宮田 義足作りはシビアな調整が必要ですよね。断端といわれる切断した脚の断面には、体重の3倍以上の荷重がかかるそうです。断端に直接触れるソケット部分を義肢装具士さんと整えていく作業のほうが苦労しているだろうなと。

山下 そうですね。かすり傷くらいでも痛くて走れなくなります。私に限らず、義足を使っているアスリートは断端のケアは入念にしていると思います。小さい違和感を抱いたまま走ると、体に大きなダメージを受けることも。調整役になる健足側の腰は常に痛いです。だからこそ、エラーを少なくするために、トレーニングと体のケアをしっかりしていくことがマストですね。

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初期から採用したBOA社のダイヤル締め込み方式で簡単に着脱でき、しっかりと固定されるソール。長さに応じてカットもでき、使い勝手がよく海外選手も使用している

——そのためには、板バネの調整も重要になってくるのでしょうか?

大塚 僕らも山下選手の義足の調子を確認するために、競技場での練習を見学させてもらうことがあります。5月に開催された世界パラ陸上競技選手権大会の際は現地に向かいました。研究を進めていく中でいろいろ見えてくることがありますが、まずは選手の声を反映したいですね。

山下 いつも親身に話を聞いてもらっています。すぐにフィードバックができる環境はありがたいと、改めて実感しています。

大塚 お互いに技術やアイデアを出し合っていいものを作り出す作業は楽しいですし、やりがいもあります。

宮田 国産メーカーの強みは、日本人同士だからこそできる密なコミュニケーションだと思っています。海外メーカーも素晴らしい製品を作ろうとする思いは同じですが、こちらは選手たちとの距離が近い分、意見交換をして、より最適なものを提供できるのが強み。もちろん記録がどうでもいいわけではないのですが、アスリートに全力を出し切れたと思ってもらえたら、それだけで僕たちは十分です。義足は選手たちの力を発揮させる道具にすぎないので。

山下 心強い技術者の皆さんや義肢装具士の方に支えてもらっています。

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断端に義足をはめるために重要なソケット部分

義足を通じて、多様性を受け入れられる共生社会へ

——義足の認知が広がっていると感じますか?

宮田 東京パラリンピック後に、少しずつではありますが、義足が浸透してきていると思います。一般ユーザー向けのランニング用義足も、以前と比べ発注が増えました。

山下 私も小学校へ講演会に行ったとき、義足の存在が浸透したと感じました。子どもたちに聞くと、テレビで義足アスリートが走っている姿を見たことがあると言うんです。義足は走っていると、ポンポンと弾んでいるように見えるので、硬いカーボン製の実物を見たときに、まず驚かれます。さらに、私が実演しているところを見て、びっくりしている反応をもらえるのは楽しいですね。そういう子どもたちのリアクションを見たときに義足やパラスポーツの普及活動のやりがいを感じます。オフシーズンに、多いときには月に2回ほど、講演を行なっています。

宮田 僕たちもトップアスリートの義足を開発する上で得られる技術を、もっと広めていきたい。これから走りたいと思っている障がいがある人たちに向けても、何か貢献していきたいですね。

大塚 「KATANAα(カタナアルファ)」はこれから走りたいと思っている一般の義足ユーザー向けのものです。日常生活用の義足で走ることはできないので、もう一度走ってみたいと義足ユーザーの方が思ったときに、国産で手の届く価格帯のスポーツ用義足があれば、その夢を後押しすることができます。最近では、これをつけて運動会でかけっこに参加できたお子さんがいました。

山下 素敵です! 日常生活に義足が登場することで、より多くの人の理解が深まるといいなと思います。

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義足を通じて断端にかかる負荷の構造を解説
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スポーツエントリー層に向けた板バネ「KATANAα」。日常用義足からの取り換えが容易に
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山下千絵

やました ちえ●1997年7月13日、神奈川県生まれ。小学4年生のときに交通事故で左膝から下を切断。大学で受けた講義をきっかけに競技用義足に興味を持ち、パラ陸上を始める。SMBC日興証券株式会社に所属。

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宮田美文

みやた よしふみ●1987年にミズノ入社。フィットネス品、自転車用品、ゴルフ用品などの開発を経て、近年は義足の板バネをはじめ、頑丈で軽量なカーボンをスポーツ品以外に応用する研究に携わる。

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大塚 滋

おおつか しげる●2001年に今仙技術研究所入社。LAPOC事業部に配属。骨格構造型モジュラー型モジュラー義足部品の研究開発に従事。日常用義足部品や小児用の義手開発、スポーツ用義足部品の開発を担当。

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