悔いを残さないように、 挑戦をやめない。パラカヌー/髙木裕太さん【パラアスリートが見つめる未来 vol.18】

パラカヌー/髙木裕太さん

SPUR9月号 髙木裕太 パラカヌー

2大会連続でパラリンピックに出場し、日本パラカヌー界の男子エースとして活躍する髙木裕太選手。「パラリンピックで金メダルを取りたい」という強い思いが、彼を新たな挑戦へと導いた。

「もともと体を動かすことが好きで、小学1年生から大学までずっと野球ひと筋でした。大学時代に大きな事故に遭い、その瞬間は死んだなと思ったほど。なので、目が覚めて先生から歩けないと言われても、生きていられてラッキー、と思いました。車いすユーザーになっても、自分の中身は変わらないので。それからはできるスポーツ、車いすテニスや車いすソフトボールにチャレンジしました。そんなとき、車いすテニスで出会った同世代の友人がリオ2016パラリンピックで活躍している姿に感動し、次の東京 2020パラリンピックは、自分も世界の舞台に立ちたいと思うようになりました」

パラリンピックを見据え、自身の胸から下が動かせない身体の特徴を考えた結果、新たに始めた競技がパラカヌーだった。

「初めてカヌーに乗ったときは、知識がなかったので、自分に向いているのかわかりませんでしたが、とにかく気持ちよかった! 自然の中で水の上に浮く心地よさや、パドルを漕ぐ感覚にも魅了されました。今までにない経験を味わい、パラカヌーへの意欲が一気に高まりました」

SPUR9月号 髙木裕太 パラカヌー

©️アフロスポーツ

東京2020パラリンピックに続き、2024年のパリ大会にもカヤック部門で連続出場を果たした。その2大会の間に、競技への向き合い方に変化があったと語る。

「東京大会までの約4年間は出場とメダル獲得を目指し、がむしゃらに走っていました。体力が尽きるまで練習したり、力に任せてパドルの回転を速くして漕いだり。今考えると、筋肉バカみたいな感じで、体もしんどかったです。それから監督の交代をきっかけに、最適な体の動かし方や、パドルの軌道など技術面の指導を受けました。知識が増えた今では、タイムが伸びない原因を分析しながら、効率的に練習に取り組めるようになりましたね」

鍛え抜かれた上半身を持つ髙木選手に、今後さらに強化していきたいことを伺った。

「今後も心身ともにパワーアップを目指していますが、何よりも日本のパラカヌー界を盛り上げたいです。最近では、新しく競技を始めた選手にアドバイスをすることも増えてきました。みんなで速く漕げるようになって、いいライバル関係が築けたらうれしいです。直近の目標は、ヴァー(VL1)クラスの世界選手権で優勝すること。後悔しないように、パラカヌーだけにとどまらず、気になることにはどんどん挑戦を続けていきたいです!」

髙木裕太プロフィール画像
髙木裕太

たかぎ ゆうた●1994年10月12日、大阪府生まれ。野球部に所属していた大学1年時、交通事故による脊髄損傷で胸から下の感覚を失い、車いす生活に。その後、車いすテニス、車いすソフトボールを経て2017年からパラカヌーを開始。翌年からKL1クラスの日本代表選手に選出され、現在はW杯やパラリンピックなどの世界大会で活躍。’25年5月にポーランドで開催されたW杯では、VL1で優勝に輝いた。インフィニオン テクノロジーズ ジャパンに所属。

髙木さんを読み解く3つのS

Smile

2016年から始めた車いすソフトボールのメンバーと一緒に過ごす時間は、楽しくてかけがえのない時間。健常者も車いすに乗って一緒にプレーできるので、誰でも分け隔てなく楽しめるんです。10代から50代まで幅広い世代が参加し、いつも盛り上がっています!

Sleep

昔から寝ることが大好きで、中学生のときは放課後に友達と遊ぶ約束を忘れて、寝過ごして怒られることがよくありました(笑)。海外の遠征先で寝具が変わって寝られない人もいますが、僕は影響なく、しっかり安眠できます。体力の回復に欠かせないですね。

Society

車いすユーザーになってから、健常者の頃には出会えなかった人間関係や経験に恵まれ、人生の幅が大きく広がりました。またスポーツを通じた人とのつながりはもちろん、海外への渡航などを通じて新たな可能性にも触れることができ、とても充実しています。

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