【パラアスリートが見つめる未来 vol.09】シッティングバレーボール/田澤 隼さん

スピードのある激しい攻防戦の中でボールをつないで点を勝ち取る

SPUR12月号 田澤 隼

シッティングバレーボールとは、その名の通り“座ったまま(sitting)行うバレーボール”のこと。臀部を床につけた状態でスパイクやサーブを打ったり、トスを上げたりする。そんなルールがわかりやすく、健常者も親しみやすいパラスポーツ。この競技を始めて約1年で日本代表に選出され、今や代表チームの支柱となっているのが田澤隼選手だ。

「義足のスポーツイベントを訪れた際、関係者からシッティングバレーボールを紹介されて知りました。小学3年生から社会人までバレーボールをやっていた経験と、高校3年生のときに全日本高校選手権に出場した実績を買ってもらい、スカウトしていただきました」

田澤選手いわく、バレーとシッティングバレーは似て非なるもの。ボールを処理する感覚や技術が生きることもあるが、使う筋肉や鍛える部位はまったく違うそう。

「実際やってみると、難しかったです。床からお尻を浮かせてはいけないルールに初めは戸惑いました。バレーは足で動いて手で取りますが、シッティングバレーは手と足を使い、お尻を移動させてからボールを取るので、動作が一つ多い。さらにスペースは狭く、3mほどの距離間で時速80キロのボールを受けることも。ボールの衝撃を、骨盤と背骨を使って吸収するイメージです」

シッティングバレーはバレーと比べて、コートの面積が3分の1近くとひと回り小さく、ネットの高さは男子1.15m、女子1.05mになる。

「床に近い位置でプレーを行うため、落ちるギリギリでボールを拾ってつなぐ、緊迫感のあるプレーは見どころ。あと、素早いラリーに対応するために、選手それぞれによって工夫された動きにもぜひ注目してほしいです。そして、何よりも障がい者と健常者が一緒に楽しめるのが魅力だと思います。たとえば、パイプ椅子に紐を張って、簡易的なコートを作れば特殊な器具も必要ありません」

SPUR12月号 田澤 隼

最後に、田澤選手にけがをして義足になってからの変化を伺った。

「右太もも下からを切断した直後は、今後の生活へ不安がよぎりました。でも、何事も捉え方次第と思い、生きる上ではどうにかなるだろうと切り替えて事態を受け止めました。僕、デフォルトが笑顔で前向きなタイプなので(笑)。けがを負って気づいたことは、人はみんな、誰かに頼って生きているということ。それまでは、全部一人でやらないといけないと思い込んでいました。でも、いろんな人と交流する中で障がいの有無にかかわらず、ずっと誰かに助けてもらいながら生きてきたんだなと思うようになりました。もちろん、自分ができることはして、手助けが必要なことは頼るように。そういう意味では、障がい者も健常者も同じかなと。以前よりも、人とのつながりをより大切にするようになりました」

田澤 隼プロフィール画像
田澤 隼

たざわ じゅん●1993年3月4日、青森県生まれ。小学3年生からバレーボールを始め、弘前工業高等学校3年のときに全日本バレーボール高校選手権に出場を果たす。19歳のとき農作業中の事故により右脚を切断。2016年にシッティングバレーと出合い、千葉パイレーツに所属。2017年の日本選手権では優勝に大きく貢献し、現在では6連覇まで記録を伸ばす。また、競技を始めた当初から日本代表に選抜され、杭州2022アジアパラ競技大会は6位、2023年にエジプト・カイロで開催されたW杯では8位に入賞。

田澤さんを読み解く3つのS

Society

けがを負ってから人とのつながりを大切にするように変わりました。お互いに気持ちよく過ごせることを考えて、周りに気を使わせすぎないように気配りや目配りを心がけています。また、さまざまな障がい者の方と接する機会が増えて、自分の視野が広がったと感じています。

Sleep

柔らかいベッドで常に寝てばかりいると、体がベッドに合わせるようになるそうで、調整を兼ねて、硬いフローリングの床で寝ることもあります。あとは寝る前にダラダラとスマートフォンを見ないようにすべく、使用時間を制限できるアプリで管理しています。

Smile

今年の2月に第一子が誕生して、日々の成長を見守ることが何よりも楽しくて幸せな時間です。寝返りを打ったり、離乳食を食べるようになったり。できることが少しずつ増えていく瞬間を見ることができると、やっぱり癒やされますね。きつい練習の疲れも吹っ飛びます!

 

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