1954年にピンヒールを生んだのがロジェ・ヴィヴィエなら、このスタイルをスターダムにのし上げたのはマノロ・ブラニクだ。その特徴的なデザインを見れば、すぐにブラニクのシューズだと見分けがつく。きゃしゃなピンヒールの先端は咲きかけの花のように膨らみ、扇状に広がった上部は、カップをやさしく支えるフルートシャンパングラスの脚のようだ。引き伸ばしたようにツンととがったトゥと、かすかな丸みを帯びた甲は、白鳥のくちばしのようななめらかなラインを描いている。

ブラニクはバナナ・プランテーションのオーナー一家に生まれ、カナリア諸島の熱帯の地で育った。子ども時代には、イグアナのためにアルミホイルで靴を作っていたという。スイスで法律を、パリで芸術を学んでみたが、1960年代終わりになると舞台装飾家を目指してロンドンに降り立った。『真夏の夜の夢』の舞台装飾のデッサン(その中にはどういうわけかツタの葉とチェリーで飾ったハイヒールがあった)を米『ヴォーグ』編集長だったダイアナ・ヴリーランドに見せると、ブラニクはシューズデザイナーの道をすすめられた。

以来ロンドンで活動を続ける彼は、3万足以上のプライベート・シューズコレクションを所有している。これらは今までイギリス西部バース市の私邸に納められていたが、彼は今年、ロンドンのチェルシーにある本社近くの、温度調整された保管庫に移送することにした。現在74歳のブラニクは、「アーカイブ」という言葉には抵抗を感じるそうだ。「自分自身のレガシーなんて重要じゃないから」と彼は言う。「今一瞬一瞬を楽しみたいだけなんだよ」
SOURCE:「Manolo Blahnik」By T JAPAN New York Times Style Magazine
BY ALEXA BRAZILIAN, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO JUNE 19, 2017
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