私たちが手放した服の行き先のひとつ、中古衣料リサイクル工場を取材。工業備品か、再原料化か、海外か。服が歩む第二の人生はここで決まる。
ワイドなスーツにジャージを重ねて現代の’80s風スポーツミックス
帽子・ネックレス・ピアス/スタイリスト私物
「メンズのピンストライプスーツを掘り出したとき、どう面白く着るかを考えました」と飯島朋子さん。ビッグサイズのシルエットを’80sイメージに捉え、スポーツアイテムをプラスして2020年代風に。マニッシュに傾きすぎないよう、インにレーシーなスリップを仕込ませた。素肌を見せてヌケ感をつくっている。「たぶん本当の下着だと思いますが、黒を選べばこんな風に使えます」。
戦後、化学繊維が登場して変化した日本の中古衣料史
私たちが戦力外通告した服のほとんどは、衣料リサイクル工場に集められている。1934年創業のナカノ株式会社は日本の繊維リサイクルの歴史を見つめてきた老舗工場。現在ここでは東京や神奈川、静岡東部の家庭から区や市の自治体が回収した古着を仕入れて選別、資源としてリサイクルしている。創業した昭和初期は、布はまだ貴重なものであり、衣服は傷んでボロボロになるまで着るのが一般的だった。当時の服は主に綿素材で、着古した後の繊維くずは紙の原料へ。それ以外の古着は工業的な清掃用布(ウエス)に、ウールの古着は再び服にするために再原料化(反毛)していた。50年代になると化学繊維が登場。服の大量生産が可能になり、一人が持つ服の枚数は劇的に増えたが、反対に手放すサイクルも加速。70年代にはまだ着られる服も捨てられるようになった。こうして化学繊維の古着が増えたものの、化繊の服のリサイクル方法が見つからず廃棄の危機に。しかしその現状に目をつけた海外のバイヤーによって、日本の古着の輸出が始まった。コンディションのよさもあって安定的に海外で売れるようになり、今では輸出量も増えて東南アジアや南米などに流通している。
“服から服へ”の国内循環が地球にやさしいリサイクル
ナカノの取締役である藤田修司さんによると、現在、日本で行なっている古着の回収方法は主に3つある。「市民が主体となり公民館や学校で集める集団回収、近頃は企業が主体となってお店に持ってきてもらう店頭回収も活発ですが、圧倒的にたくさん集められるのは、行政が資源物として家庭から回収する方法。この工場の古着も行政回収されたものです。工程としては、届いた古着から、まず古着バイヤーが目ぼしいものをピックアップ。その後、スタートする細かい選別はすべて手作業。全体の45%は東南アジアなどに輸出、そこで販売されます。暑い国なのでメインは夏物。それから20%は綿の服で、これはウエスに。30%はウールの服で、これは反毛の材料になり現在は車の内装材などに使われます。選別はメンズ、レディス、デニム、Tシャツ、色、柄など細かく分けられ、すべてを合わせるとその数は約230種類にもなります」。
ナカノでは年間約1万トンの古着を受け入れているが、実はほとんどがまだ十分着られる服。資本主義社会が続く限り、ファッション界の大量生産大量廃棄の現状に劇的な変化は望めないだろう。しかしバングラデシュで起こったラナ・プラザ崩壊の悲劇や、ブランドの在庫廃棄問題が契機となり、危機感を持って環境問題に取り組む動きも出てきた。今は、地球環境を考えサステイナブルにファッションを愛するために、業界も消費者もどう循環させるのかを考えるべき時期。「本当の意味でのリサイクルは“服から服へ”であり、僕たちが進めているのも地産地消を含めた国内循環です。国内で古着として販売されているのはごくわずかですが、それでもメルカリなど個人取引のシステムが登場して以前よりは増えました。この流れをいっそう進めていくと同時に、アパレル企業にも、環境を考えたものづくりや流通システムを変える視点を持つことが求められていると思います」。
ファッションが好きだから、買って手放すサイクルの速度を緩やかにしたい。そのために私たちができることは何か。吟味して買う、長く大事に着る、手放したら行方を想像する。その意識を持って服を愛するなら、現状は少しずつでも改善していくに違いない。