2020年クルーズ コレクションで登場した「グッチ ホースビット 1955」。アーカイブバッグの不変的な美しさをモダンに昇華。象徴的なホースビットハードウェアが個性を引き立てる
私は肺があまり丈夫ではないので、現在も外出は極力控えています。
そんなわけで、2020年はネットか近所で日用品を調達するくらいで、ほとんど買い物らしい買い物をしませんでした。そんな私に「外に出よう! 短い時間でいいから! お買い物にいこうよ!」と去年の十二月、声をかけてくれたのはスタイリストの清水奈緒美さんと作家の松田青子さんです。ほぼ一年ぶりの銀座、ほぼ一年ぶりの一万円以上になるであろう買い物、ほぼ一年ぶりの友達だけの……。
ときめきと緊張で爆発しそうで、前日はなかなか寝付けませんでした。コロナ前から「いいバッグを一つ買っとくといいよ!」と清水さんに提案されていて、彼女は私にぴったりだというバッグをその時にはすでに見つけてくれていた様子です。
当日、おのおの感染対策ばっちりで、資生堂パーラーで落ち合いました。久しぶりの自分が作ったものではない食事、それもとびきりなめらかなホワイトソースとトマトの味が濃いチキンライスに感動したあと直行したのは、グッチでした。普段はほぼ家族としか喋らず、仕事と家事しかしていない私にとって、入店するなり迫ってきた色と素材の洪水は、フェイスシールドのせいもあってか、なんだか3D映画を前にしているようでもあり、『オズの魔法使い』で突然、白黒からカラーに切り替わった場面のようでもありました。遊び心たっぷりの服やバッグのデザインから垣間見える人生に対して真剣な姿勢、スタッフさんの接客の流れるようなムーブ……。身体の芯が熱くなって、指先にまで血がどんどん巡り出したのがはっきりわかりました。「そのバッグ!」と清水さんがものすごい速さで棚に直行し、黒いショルダーバッグを選び取って私の肩にかけてみるなり、「それじゃない、赤だ!」と松田さんが断言してカラーが決定。
昔住んでいたアパートの家賃×五ヶ月分のお値段にもちろん目眩がしました。そもそも、この時点で、私が持っていた一番高いバッグは三万円程度だったのです。でも、「いや、いや、家に篭っていた一年間を今この瞬間、取り戻すぞ」と情熱が湧いてきて、財布の有り金(現金派)をはたいて購入しました。感染対策のため時間にすればとても短い滞在でしたが、集中と興奮でとても濃いものに感じられました。私だけではなく二人とも熱くなっていて、遠くから見たわれわれの身体から火花がパチパチ出ていたのではないでしょうか。「次は日本橋に行こうね」とかたく誓い合って、別れました。
帰宅後、初めてまじまじ眺めた、底光りするような質感の硬い赤のショルダーバッグは、私のどの手持ちの服にも合い、そしてどんな場所にも連れて行ってくれそうな、強大なエネルギーを放っていました。改めて相手の個性やワードローブまで考慮する清水さんの才能に感じ入りました。しかし、私はあれっきり、お出かけらしいお出かけはしていません。感染者数が下がらなかったので、日本橋にももちろんまだ行けていません。
だけど、このバッグを撫でるたびに、あの時、私の一年の被服代の平均額をはるかに上回る買い物を即決したこと、友達二人に背中を押されて得たあの勢いが蘇ってきて、私がきっと自由にどこにでも出かけられる未来を、保証してくれてるような気がするのです。
ゆずき あさこ●2010年に『終点のあの子』でデビュー。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。ほか代表作『BUTTER』『マジカルグランマ』など。