ドラゴンのガウン ▶ 村田沙耶香

セントラル・セント・マーチンズを卒業後、皇室や財界、芸能界の顧客に向けてドレスを制作している藤井陽介の作品。鈍い光沢が優美なシルク生地に面相筆で女竜が描かれている

 Yosuke Fujiiの美しい洋服やバッグの写真を初めて見たとき、「囚われた」という気持ちになった。美術品のようなそれらが形成している世界に閉じ込められたような、引き摺り込まれたような。そんな恍惚とした憧れが、出会いだった。
 この美しいブランドを教えてくれたのは、お友達の犬山紙子さんだった。彼女がとても素敵な羽織の写真と共に、アカウントのアドレスを送ってくれた。
 それからは、熱心に写真を眺めた。美しいオーガンジーから透ける光、身に着けている女性の手足、スカートを曲線にしている身体。全てが重なって、それぞれの作品の世界を成立させていた。バッグも美しいが、ドレスの写真には特に引き摺り込まれて、いつまででも見つめていた。美しい布と、繊細な絵と、肉体が混ざり合って、作品たちは生きているように見えた。
 実際にデザイナーさんにお会いし、作品を直接見ることができたときは、不思議な気持ちだった。あの幻想的な作品の数々を作った人は、妖精なのではないかとすら思い始めていたので、お会いしてご挨拶できるという実感が湧かなかった。
 現物を目にしたとき、写真で想像していたより一層緻密で美しい絵が、布の上にゆったりと流れていることに、改めて驚いた。描かれた線の一本一本を見つめたまま動けなくなった。あまりに美しいので、触っていいのかどうかわからず、棒立ちになってしまった。どうぞご自由にお試しください、と言われ、おそるおそる触れる。シルクの布を指で撫でると、それに呼応して緻密な絵が震えた。
 特に、惹きつけられたのは、深い紺色のガウンに泳ぐ竜の絵だった。繊細な鱗が緻密に描かれた、柔らかな印象の竜がガウンの背に描かれており、前から見ると尻尾が左肩の上で泳いでいる。竜なのに、強さより優しさを感じさせた。
「あの、これ、一度だけ羽織ってみてもいいでしょうか」
 世界に一匹の竜だ。こんな出会いはもう訪れないと思い、勇気を出して切り出した。
 鏡の前で、竜を壊さないように、と念じながら、そっと自分の肉体をガウンで包む。溜息が出た。深い紺の心地よい絹が肌に吸い付いて、私の身体の形に膨らみ、それに合わせて竜も形を変える。鏡で後ろを見ると、左肩の骨を守るように、竜が漂っていた。
 デザイナーの藤井陽介さんは、絵を壁に飾るのではなく、一緒にいられるような形はないかと模索し、このような作品を作るようになった、とお話しになっていた、と思う(うっとりとして、ぼんやりしていたので、何か言葉を聞き違えているかもしれない)。そのお話を聞いたとき、この世界で一匹しかないこの竜の絵を、着たい、と思った。
「私、この竜、連れて帰ります」
 声が上ずった。世界で一匹の竜の相棒が自分でいいのか、不安もあった。けれど、陽介さんも、犬山さんも微笑んで、私と竜の出会いを喜んでくれた。
 ふわふわと、浮かれながら帰った。あの美しい竜とどこに出かけよう。お買い物をした後の帰り道、想像するのが好きだ。竜のガウンも、想像の中で何度も羽織るうちに、ぼやけたり、奇妙に鮮明になったり、大きくなったり縮んだりした。そのことすら愛おしかった。
 本当に愛する服とは、着ていないときも一緒に暮らしている感覚がある。ふとした瞬間に、目の端で竜が揺れているだけで、幸福になれる。
はやくこの麗しい絵を纏って大好きな人たちに会いに行けますように。そう願いながら、一番とっておきの場所に、世界でただ一匹の竜が泳いでいる部屋で暮らしている。

むらた さやか●2003年『授乳』で群像新人文学賞・優秀作受賞。’16年『コンビニ人間』で芥川賞受賞。近著は『地球星人』『丸の内魔法少女ミラクリーナ』。

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