なぜ今私たちは、Y2Kに心惹かれるのか?

トレンド再燃にあたり、ファッションの流行予測専門家であるジェラルディン・ワーリーと、Y2Kをこよなく愛するNYの実力派ファッションPR、ジア・クアンとともに、過去と今のY2Kスタイルを比較検証。まず、当時を振り返って、00年代とはどんな時代だったのだろうか?

「00年代初期、特に9.11以前は、イノセンスの最後の砦の時期だったと思います。SNS上で別バージョンの自分を演じることに拘束されることもなく、誰もが"今、ここ"で起きていることに夢中になれていた。また、メンタルヘルスや気候変動の危機が今ほど切実に話題に上っていなかったこともあり、ただただ無知に、至福の時間を享受していた時代と言えます」(ジェラルディン)

メガポップカルチャーが席巻し、インターネットを中心に最新技術が私たちの生活の利便性を次々と向上させていった。当時の文化背景、経済もまた、Y2Kを語る上で重要な要素のひとつだ。

「パリス・ヒルトンがY2Kカルチャーの中心人物でしたね。ラグジュアリーと大衆文化をミックスしてドレスダウンする新種のセレブリティ。チープで洗練されていないものでも、自分にとって魅力的であれば着用していました。それまでこの階級のセレブがそういったミックスをすることはありませんでした。彼女はSNS以前のセルフマーケティングの元祖でもあります。また、ウェブで音楽やイメージを共有するTumblrが盛り上がりました。バタフライや星、ハートといった絵文字のアイコンは、そういった場を通じて拡散され、ファッションにも伝播していったんです」(ジア)

「経済的にはたくさんのチャンスにあふれていた時代でした。若い世代は9.11後でさえお金の心配をする必要がなかった。仕事を始めたばかりの人でも昇進したり好条件で転職する機会がありました。SNSも盛んではないから他人からの評価をさほど気にすることなくいられたんです。ストリートウェアは今ほどハイブランドと融合せず、ファッション資本主義にも呑み込まれていなかった。正真正銘ストリート主導のアーティスティックなルーツにつながっていたんです。文化的には2003年の映画『マトリックス・リローデッド』が、光沢感あるレザーコートやタイトでフューチャリスティックな衣装を用いたことで、ランウェイにも影響を与えたのも印象的でした」(ジェラルディン)

アメリカのポップカルチャーと好景気を背景に広まったY2Kファッション。一言で表現すると?
「ハイ&ローミックス、"過剰なことへの賛美"ですね。00年代はアイドル、ティーン向けのラブコメディ、リアリティショーの誕生を受け、思春期のファンタジーを理想化したようなものがあったり、反対に過度にセクシーだったりと、なんでもありの時代でしたね」(ジア)

モノやコト、人間関係も無駄を削ぎ落とし、効率主義になりつつある昨今だが、一方で数年前からZ世代を中心にTikTokなどで盛り上がりの兆しがあったY2K。彼女たちを魅了した理由とは?
「90年代へのノスタルジーを使い果たし、興味の対象が00年代初頭に移ったのが要因のひとつ。オンラインアバターや『Dazed Beauty』といったプラットフォームの影響もありますが、特にZ世代は大きな社会問題に直面し、光を必要としています。未来に希望が持てないから、より気軽だった時代を復活させることで、その楽観性を再び取り入れようとしているのでは」(ジェラルディン)

「Depopなどのアプリを通したリセール文化の浸透も要因のひとつですね。Y2Kには永遠の"青春感"があります。ポップカルチャーに支配されていた私たちとは違い、膨大な情報から、当時を自分なりに解釈し、Y2Kを再定義し身につけることができる今の若い世代はとてもパワフルです」(ジア)

星の数ほどの可能性とエネルギーが詰まっていた00年代。振り返るだけではなく、今改めてY2Kスタイルを体験することで、眠っていた未来へのワクワク感が再び目覚めるのかもしれない。

Geraldine Wharry
パリ出身。1999年から米国でTRIPLE 5 SOUL、7 FOR ALL MANKINDなどのデザイナーとして20年の経験を積む。現在はファッション流行予測の研究家に転身。英国を拠点に多数メディアに出演。

Gia Kuan
台湾生まれ。ニュージーランドなど数カ国で思春期を過ごし、10年前にNYへ。プレス勤務後、2019年に自身のPR会社を設立。テルファーなど気鋭ブランドを担当。ギャラリーWHAAM!も運営。

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