【インタビュー】スタイリストを志した理由、次の目標。百々千晴さんに聞いた"これまで"と"これから"

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ロンドン留学を経て学んだ自己アピールの大切さ

洗いざらしのTシャツにデニム、深紅のリップが添えるひとさじの女らしさ。シンプルなカジュアルはスタイリスト百々千晴さんの代名詞。メディアや広告、セレブリティのスタイリングのみならず、数々のブランドとコラボレーションをしてヒット商品を生み出し、現在はファッションアイコンとなりYouTubeで発信者としても活躍している。さまざまな枠を軽々と飛び越え、マルチに才能を発揮する新時代のスタイリストはどのように誕生したのか。
「中学生の頃からファッション誌を読み始め、ソニア・パークさんの『CUTiE』の連載を見てスタイリストを目指すようになりました」

地元である徳島県の宍喰にサーフィンに来ていた編集者と知り合ったことで、道は開かれる。高校卒業と同時に上京し、専門学校に通ったのち、19歳から3年強の間、師匠・野崎美穂さんのアシスタントに。この頃が、人生で最も過酷だったと振り返る。
「早朝から深夜まで撮影準備や返却作業に追われ、休むどころか寝る暇もなかった。とにかく仕事しかしていなかったので、遊び方も知らないままスタイリストになるのはよくないと思い、独立前にロンドン留学を決意しました。語学学校に行き、古着屋を巡ってパブで飲む。アシスタント時代には考えられないような自由気ままな暮らしで学んだのは、自信を持って自分がやりたいことを堂々と主張するということ。日本では私なんて……という謙虚な姿勢がよしとされることが多いけど、海外ではそれではスルーされてしまう。多少不安でも、できます! と言えばチャンスをつかめるんだとわかったのは大きな収獲ですね。世界では控えめと言われているイギリス人ですら私には自己主張が強く映って。自分をアピールしないことはむしろ失礼なことなんだなと実感しました」

ロンドンから帰国後、事務所に所属したことでセレブリティの仕事も増加。抜け感のあるスタイリングはもちろん、どんな相手にも態度を変えることなく淡々と仕事に取り組む姿勢に、業界からのラブコールが絶えない。「仕事においては特に、衣装よりもその人のパーソナリティや個性が引き立つようなスタイリングを心がけています」

 

時代の流れに乗って発信者となり、広く知られる

その後、2020年に始めたYouTube「DODO TUBE」は、登録者数8.5万人を誇る人気チャンネルとなった。「自分から発信するようになったきっかけは、コロナ禍における自粛生活中のインスタライブ。その頃、生まれて初めて朝、昼、晩と一日3回キッチンに立って。こんなこと自分の人生において最初で最後かもしれないから、今を楽しむためにやってみようと思いきってスタートボタンを押したんです」

昼間のキッチンからお届けした初ライブの視聴者は300人ほどだったそう。
「何かを伝えたいというよりみんなと会話しているだけなんです。料理が得意ではなかったので、料理のコツを視聴しているみなさんから教えてもらったりしているうちに盛り上がって。その後に始めたYouTubeに関しても、編集担当の方と会話している感覚で取り組んでいますね」

百々さんがYouTubeで紹介する商品はヒットすると評判になり、その影響力に注目しているブランドも多い。
「紹介したものが売れる理由も自分では正直よくわからないんです。私が好きなものはこれだけど、みんなは特に買わなくてもいいんじゃないと、どこかで思っています。そんなフラットなところがいいのかもしれない」

時代を先取りする洞察力を生かし、ブランドとのコラボレーションにも早々にチャレンジ。デビュー間もなくしてすでに、スタイリストの熊谷隆志さんが手がけていたメンズブランドGDCのレディスラインをプロデュース。
「チャンスがあればなんでも取り組みたいと思っています。今はそれがYouTube。裏方だろうが自分が表に出ようが、とにかく仕事がしたい」

今では多くのファンにとって、憧れのファッションアイコンである彼女にとってのアイドルを聞いたところ、フィービー・ファイロと即答した。
「自身のサステイナブルブランドを立ち上げるというニュースを聞いてすごく楽しみにしています。続報がなかなか届きませんが、いつまででも待ってるからねー!という感じ」

ほかに動向を追っている好きなメゾンはザ・ロウ、ジル サンダーやボッテガ・ヴェネタ、ルメールだという。
「シンプルなファッションを追求することで、パーソナリティを最大限に引き出すことができる。どれだけ引き算できるかがポイントです」

 

大好きな服に触れられる、今の環境にとにかく感謝

基本的には仕事を選別はせずに、スケジュールさえ合えばどんなことでもチャレンジしてみるという。
「大好きな服に囲まれ、やりたいことを仕事にできている今の環境に本当に感謝しています。常に、たくさん仕事をしたい。暇だと精神的に不安定になってしまうタイプかもしれません。自分がどう見られるかというブランディングよりも、仕事をしたいという思いが先に立つ。同じことを繰り返すだけではなく、いつも前進していたい。少し気分が乗らない現場があったとしても、そこから人脈が広がったり、何か得られることはあるから、やらないよりはやったほうがいいと思っています」

百々さんに憧れ、スタイリストを目指している人へアドバイスするなら?
「偉そうなことは言えないのですが、夢は大きく。努力はコツコツと。私が一番努力したのはなんといってもアシスタント時代。休めないし、眠れないうえに、独立しても仕事があるかわからない。このつらさがいつか報われる日が来るのかなと思いながら忙殺されるのは精神的に本当にキツかった。でもいわゆる会社員には向いていないと自分で認識していたし、仮にスタイリストを選ばなかったとしても仕事をする以上は乗り越えないといけない壁があるとわかっていたので頑張りました。いつかつらくない日が来ると信じて」

トップスタイリストとなった今も多忙を極める百々さんを突き動かす原動力は、服への愛と“やりたいことがあるから”というシンプルなもの。
「おいしいごはんも食べたいし、旅行にも行きたい。我ながら明快なモチベーションだと思います」

今後のプランは特に決めず、時代の流れに乗って楽しみたいと語る。
「スタイリングがすごく好きだし、私の基軸はやっぱりスタイリスト。今はYouTuberやライバーと思われているかもしれなくて、たまにドキドキしたりするけど(笑)。でもなるようになるって思っています」

【インタビュー】スタイリストを志した理由の画像_2

1 SPUR2016年12月号「フリーSTYLINGダンジョン」。撮影 Masanori Akao 〈whiteSTOUT〉
2 SPUR2016年7月号のカバー。撮影 Kiyoe Ozawa
3 『週刊文春』。撮影 Yasutomo Sampei
4 ディレクションを務めるブランドTHE SHISHIKUI
5 KOSÉ 雪肌精の広告ビジュアル。画像提供/コーセー
6・7 「DODO TUBE」のサムネイル。ルームツアーやショッピング密着など、人気コンテンツが多数

Profile
Chiharu Dodo
どど ちはる●1980年、徳島県生まれ。2002年に渡英し、’04年よりスタイリストとしての活動をスタート。インディペンデント誌『ユニオン』の創刊に携わり、’19年からは自らのブランド「THE SHISHIKUI」をスタート。’20年に開設したYouTubeチャンネル「DODO TUBE」でもさまざまなコンテンツの発信を行なっている。

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