ポーランドの詩人【ヴィスワヴァ・シンボルスカ】の言葉に耳を澄ます

ヴィスワヴァ・シンボルスカの二冊『終わりと始まり』、『瞬間』が描く世界

ヴィスワヴァ・シンボルスカの『瞬間』と『終わりと始まり』
(右)『瞬間』(2022年、未知谷) (左)『終わりと始まり』(1997年、未知谷)

最近いつも持ち歩いて、折に触れて読み返している本があります。それが1923年、ポーランド生まれの詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカ(Maria Wisława Anna Szymborska)の詩集です。1996年にはノーベル文学賞を受賞した名のある作家なのでご存知の方も多いかもしれません。こちらは、そんな彼女の詩に触れられる代表的な二冊。

シンボルスカは決して多作ではなく、残した詩の数は250足らず。一貫して何かを一般化したり、総称したりせず、あくまでも個別性やパーソナルであることを大切にしていました。言葉遣いは難解ではありませんが、メタファーや示唆に富んだ表現が多く、行っては戻り、また時間を置いて開いて……という反復的な読み方をしています。ページをめくる状況やその時の気持ちによって、異なる読後感が生まれるのも不思議。

私が好きなのは『終わりと始まり』から「題はなくてもいい」という一編。川辺の木陰に腰をおろしながら、その光景を前にしたシンボルスカの思索がうかがえます。「束の間の一瞬であれも豊かな過去を持っている/土曜日の前にはそれなりの金曜日があり/六月の前にはそれなりの五月がある」、「茂みの中をとおる小道が踏み固められてできたのは/おとといのことではない/風が雲を吹き散らすためには、その前に/ここに雲を吹き寄せなければならなかった」と語ります。目の前の現実の向こう側に、堆積した時間の流れを見ること。日常的なディテールから、世界を思索すること。しなやかで強度ある言葉を通して、深く潜る想像力とは何たるかを教えてもらっている気がします。分からなさに対して答えを出すのではなく「分からないことが命綱であるように」(「詩の好きな人もいる」からの一節)、“知らない”ことを大切にしていた姿勢にも共感します。だからこそ、考えるのだと。

今の時代に、読むべき意味のある言葉たち

ヴィスワヴァ・シンボルスカの『瞬間』
美しい装丁にも惹かれました

1997年の『終わりと始まり』には、みずみずしい18編の詩が収められています。ノーベル文学賞記念の講演のテキストも収録されているのですが、こちらも何度でも読み返すべき名文。2022年に発売した『瞬間』では、2012年に亡くなるまでのシンボルスカの晩年にかけての作品が収められています。こちらは一編ごとに訳者の沼野充義さんによる解説つき。彼女の人生、そして歴史的な背景や原文のニュアンスまで言及した説明は、読み解く助けにもなります。同時に、沼野さんの古今東西を行き来する知識量も素晴らしく、感服。

時代背景として、通底して横たわっているのは戦争の影(彼女の詩は石内都さんの書籍「ひろしま」でも掲載されています)。人間の虚しく愚かな行いを書き表す表現の数々も、しんと胸を突き刺すもの。今の時代だからこそ、よりいっそう手に取る意味があるように思います。

上海での展示がひとつのきっかけに

上海のL+PLAZAでの「The City of Szymborska(シンボルスカの街)」展示風景
こちらは「郵便局(Post Office)」の展示。オープンスペースで入場無料。空間自体はそんなに広くありませんが、じっくり読み解くと時間がかかります

もっと早くちゃんと出合っていたかった……! と思うのですが、私が著作をきちんと手に取ったのは最近のこと。きっかけは、上海の前灘 L+PLAZAというモールで行われていたインタラクティブな展示でした。これがとっても素晴らしかったんです。「The City of Szymborska(シンボルスカの街)」をテーマに、テキストに基づいて博物館、郵便局、薬局、電話ボックスなど架空の街を表現。壁には「I prefer ●●」というフレーズが書かれたペーパーが貼られており、自由にそれらを取って持ち帰れるように。言葉を立体的に落とし込み、鑑賞者それぞれの行動を促す仕掛けが、詩そのものの世界ともよくリンクしているように感じました。キャプションの中国語は、翻訳カメラアプリを駆使してなんとか読み解きました……。残念ながら展示期間はすでに終了しているのですが、いつか日本でも見てみたい。

時代を経ても廃れない、むしろよりいっそう力を増して心にまっすぐに飛び込んでくる。曖昧な世界に輪郭を与える詩のちからに、改めて感銘を受けているこのごろです。

 ポーランドの詩人【ヴィスワヴァ・シンボの画像_4
シンボルスカのポートレートと解説
 ポーランドの詩人【ヴィスワヴァ・シンボの画像_5
壁に貼られたフレーズは、詩から引用されている。たとえば「I prefer the time of insects.」という言葉は、「星の時間よりも、虫の時間」というシンボルスカのフレーズから
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エディターSAKURABA

好きな服は、タートルネックのニットと極太パンツ。いつも厚底靴で身長をごまかしています。

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