ダッフルコートの神様 ― クリスマスに読む、冬の服のはなし ―

 ある冬の日曜日。10歳の私は、教会の日曜学校へ行き、重たいキャメルのダッフルコートを捨てることを決意しました。

 いとこのお姉さんからお下がりでもらったダッフルコートは、厚くて硬いしっかりとしたウールのオーセンティックなデザイン。子ども心には着心地が悪い、ダサい、としか思えず、大嫌いだったのです。大人になった今ならわかるのですが、子どもがクラシックな服を着ているのはとても可愛いもの。母はそのダッフルコートを私によく着せようとしてきました。

 その日も、母は嫌がる私にダッフルコートを着せて、満足げに送り出してくれたのでした。重たいコートを着て、友達に流行遅れだと思われないかしら、と不安になりながらとぼとぼと歩いて教会へと行き、入り口でコートを脱いだときに、その天啓(というと絶対に怒られますが)はやってきたのです。「今日は暖かいからコートを脱いで帰っても不思議ではない。どこかに忘れてきた、ということでイケる!」と。めちゃくちゃ罰あたりなひらめきですが、そのときの私は真剣でした。

 思いついてからは、どきどきびくびくの連続です。讃美歌を歌っているときも、お祈りしているときも、どこか上の空。十戒には、「盗んではならない」とはありますが、「捨ててはならない」とはない。でも、この罪悪感、半端ない。
 ついに日曜学校が終わり、帰る時間に。私はコートを置いているコーナーには目もくれず、意を決してえいやっと教会を出ました。コートを着てきたことなんてすっかり忘れて、無邪気に外で遊びたくてたまらないやんちゃ盛りの子どもを装って。そして家に帰ったのです。

 結果、一発でバレました。しかも母には私がわざと置いてきたことまでお見通しで。教会へ戻って今すぐとってこい、とたたき出されました。絶望です。また来た道をとぼとぼと戻り、教会の前でうなだれていると、牧師さんの奥さんである日曜学校の先生がたまたま出てきました。「あら、コートを忘れちゃったんでしょ」と、奥さんは一点の曇りもない瞳で、やさしくコートを手渡してくれました。まさかこんな小さな子どもが、この重衣料を大胆にも捨てようとしてるなんて1 ミリも思っていない様子なのが、子ども心につらかったことを覚えています。こうして、私のロード・オブ・ザ・ダッフルコートの短い旅はあえなく終わったのでした。あとにも先にも、あんなにはっきりと服を「捨てよう」と思ったことはありません。

 その数年後、思春期を迎えた私は、渋谷系ブームにのり「ダッフルコートの似合う男子とつき合いたい」と夢見るようになりました。でも、その夢は今に至るまでかなえられていません。神様はきっと見ていたんですね。ダッフルコートの神様の怒りが解けるのを、今でもじっと待っているところです。

(SPUR編集T)

 ― 期間限定 ―
SPURスタッフの冬の服のはなし

プロの作家やクリエイターでなくても、服にまつわる忘れられない記憶は必ずある。みなさんからご応募いただいたエピソード以外に、今月はSPURの誌面づくりに関わる人々に思い起こしてもらった「ストーリー」を期間限定でピックアップしました。

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