発売中SPUR8月号の「読むクローゼット」の松田青子さんの作品に、「通りがかりの人に、Nice Boots!と声をかけられることがたまにあって、」というくだりがありました。
褒められた思い出というのは、鮮やかに側頭葉に刻まれるものです。というのも、その瞬間私の頭に蘇ったのが、片側2車線の車道沿いをとぼとぼ独りで歩いていたときに、どこか遠くから大きな声が耳に届いた記憶でした。学生だったから、20年以上の前の話です。確かに「Nice Shoes!」と言っている。はいー??と、その声の先に目を凝らすと、はるか向こう、反対側の歩道にまったく知らない青年の姿がありました。
イメージするなら、山手通りのあっち側とこっち側みたいなものでしょうか。私たちの間にはクルマがぶんぶん走っているのに、もう一回「Nice Shoes!」と必死で叫ぶさまに、思わず背後を振り返りましたよね。知り合いと勘違いしてるのかしら……騙されるのかしら……いやドッキリか……、どきどきしながらも、足もとのニューバランスを指さして「これ? ありがとう」と多少顔を引きつらせながら叫び返すと、いいね!と親指を見せた天真爛漫な笑顔は、今でも鮮烈に覚えています。
一体、あれはなんだったのか。百歩譲って上半身の何かならまだ分かるけど、あんなに遠くから、なんでスニーカーなんだ。とはいえ、ベージュとバーガンディの配色が気に入って購入したとっておきのニューバランスだったので、そのあとも足を入れるたびにニヤニヤしながら「これ、4車線超えのオーラのあるやつ」と長い間たいせつに履きました。
褒められる快感。その後何度か経験する機会に恵まれましたが、なにせそのときは史上最長距離だったので、「いい気分」の持久力が凄まじかった。今でもあの青年の視力と手間には敬意を抱いています。
実体験はその後、SPURの「おしゃれスナップ」担当になったときに、大いに生かされることとなります。「そのベルボトムから見えたゴールドのソックス、すごく素敵(だから撮らせて)!!!」「そのコートの中に着てるの、ヴォヤージュですか?めちゃくちゃきれい(だから撮らせて)!!!」「あなたとすれ違ったときすんごくいい匂いがしてびっくりした(だから香水教えて)!!!」。ストレートに、そして感情むき出しで核心に迫る直球勝負で、ずいぶん成果を上げることができました。人間、どんなに唐突でも本心で褒められてイヤーな気分になることはありません。イイと思ったらその気持ちを伝える。ちょっとしたこだわりは見逃さない。前向きな目ざとさをたいせつに、楽しくて役に立つSPURを創っていくための、ほんのちょっぴりの勇気をくれたのが、あの四車線越えの青年でした。
申し遅れましたが、このたび編集長となったイガラシと申します。読んでくださる皆さんに、ささやかなハッピーが届けられる場所がSPURであるならば、こんなに嬉しいことはありません。どうか末永くよろしくおねがいいたします。
最近の最大「Nice Shoes」案件はこれです。STINGさんの「ワインの夕べ」で、あの少し掠れた声で「ナイスですね」と褒めていただいたチャーチのオックスフォード。たとえ穴が開いたとしても、この靴を棄てることはもうできません……。
今週末の3連休は「読むクローゼット」からスピンアウトした、耳で楽しむファッション・アンソロジー「聴くクローゼット」を毎晩19:30にお届けします。朗読は多部未華子さん。「Nice Boots!」と声をかけられた松田青子さんの作品は17日(月)も登場しますので、現在発売中のSPUR8月号と合わせてお楽しみください。
着たい服はどこにある?
トレンドも買い物のチャンネルも無限にある今。ファッション好きの「着たい服はどこにある?」という疑問に、SPURが全力で答えます。うっとりする可愛さと力強さをあわせ持つスタイル「POWER ROMANCE」。大人の女性にこそ必要な「包容力のある服」。ファッションプロの口コミにより、知られざるヴィンテージ店やオンラインショップを網羅した「欲しい服は、ここにある」。大ボリュームでお届けする「“まんぷく”春靴ジャーナル」。さらにファッショナブルにお届けするのが「中島健人は甘くない」。一方、甘い誘惑を仕掛けるなら「口説けるチョコレート」は必読。はじまりから終わりまで、華やぐ気持ちで満たされるSPUR3月号です!