Roman Dreams / ローマで見た夢:アレッサンドロ・ミケーレ 独占ロングインタビュー

自宅勤務の日々、次号の校了を進める合間に、SPURのバックナンバーを読み返している。
中でもこの困難の中、光を感じることができた言葉の数々が、2019年SPUR12月号掲載のアレッサンドロ・ミケーレとの独占インタビューの中にあった。
彼に会ったのはちょうど1年前の2019年5月、ローマでのクルーズショーの直後。自らが語る両親との思い出、少年時代の闘い、そしてアートへの愛と女性への賛歌、今のアレッサンドロを創り上げたかけらについて。「自分らしさ」を守り抜きながら歩んだ人生を聞きながら、なぜ、私たちは彼の創り出すものにここまで魅了されるのか、その理由が腑に落ちた忘れられない取材となった。
そのインタビューを、ここで再掲してみたい。


 

Roman Dreams
ローマで見た夢

 

PROFILE

1972年、ローマ出身。ローマのファッションアカデミーを卒業後、レ・コパンに勤務。その後90年代後半フェンディへ。2002年にグッチ入社。2015-’16年秋冬ウィメンズコレクションよりクリエイティブ・ディレクターを務める。

 アレッサンドロの深い森に分け入っていく。
 彼のローマのスタジオに足を踏み入れたとき、そう錯覚した。ドア近くにはジャングルのような植栽。天井と壁は、ゴールドのフレスコ画に彩られている。白いモールディングの飾り棚には、色鮮やかな無数の鳥の人形や手の模型やルネサンスの肖像画が並んでいて、隣のLEDライトスタンドと奇妙な対比を奏でていた。仕事机はまさに美のカオスだ。亀の甲羅のようなオブジェ、古代エジプト風の胸像、チンパンジーの木工彫刻。目を凝らすとヒグチユウコの「ひとつめちゃん」がこちらを見つめている。荘厳なようでいて愉快、不均衡の中の均衡。不思議とすべてが調和した夢のような空間にうっとりと心を委ねながら、アレッサンドロを待った。

photo: Pierre-Ange Carlotti

 

インタビュー後、SPUR30周年を祝うアレッサンドロの直筆カードが届いた

 


美に触れることで、人生は高められる
 サラサラとビーズのネックレスを揺らしながら彼は現れた。白いTシャツにグリーンのベロアパンツ、足もとは履き込んだ茶色のハーフブーツだ。チャオと言って黒い目を輝かせながら、深緑のベロアのソファに深く腰掛ける。「遊園地やサッカー観戦が好きな子どもじゃなかったからね。好きだったのは、自然と動物に囲まれて過ごすこと」という言葉そのままの場所で、表情は実にやわらかく見えた。シノワズリの刺しゅうのクッションに肘をもたせ掛けると、その姿はエクレクティックな情景に溶け込んでしまう。
「父に連れられてカピトリーノ美術館に通い始めたのは、6歳のとき。ほかにもヴィラ・ジュリア国立博物館やバチカン博物館にも出かけた。『いい子にしていたら、パパが週末にカピトリーノに連れて行ってあげるよ』なんて、よく言われてたな」
 生まれ故郷でショーを発表したばかりのローマの巨人は、カピトリーノ美術館を会場に選んだ理由について語り始めた。
「入り口のネプチューンの像が大好きでね。美しい大男ネプチューンが、水の中に寝そべっているさまは童話のようだった。長いひげがパパに似ていたせいもあるかな(笑)? 海を司る神ネプチューンはいわゆる『話す彫刻』の一体で、彫刻がしゃべっているように見せながら、ローマ人が政治的なメッセージを発信していたんだ。市民の代わりにしゃべらせるわけだから、彫刻はこの街の文化にとって大事なものだった。普通の市民が、彫刻という偉大な媒体を借りて、考えを表明できたんだよ」
 クルーズショー当日、ネプチューン像の前に掲げられた「表明文」を思い出す。「私の心を引きつける唯一のものがある――それはローマ帝国。今では存在しない、遥か昔の世界だから」と書かれた白布の旗だ。
「美術館や博物館に来るたび、これだけの多くの古代の名残が保存されていることに圧倒されながら、夢中で過ごした。異教徒の世界、神の世界。どれも僕には近しい感じがした。たぶん、自由を感じていたのだと思う。土中から発見された彫刻に熱狂したのも、消滅してしまった世界を語っているように見えたから。ここはかつて古代ローマの一部だった世界だけれど、今はもう存在しない――そこに夢を見ていたんだろうね。だから、子どもの頃は考古学者になりたかったんだよ」
 美に触れるきっかけを作った父は、アリタリア社勤務の技術者だった。
「父は70年代に航空技術者になったんだ。工員として入社して、勉強してキャリアを積んだ新しいタイプの技術者だった。芸術に造詣が深く、彫刻を手がけ、楽器を演奏し、文章も書いていた。『美や芸術に触れることによって、人生はよりよいものとなる』と教えてくれたのは、父。彼は自分を知るための、生きた学校だった。僕の中に、大切なものを蓄積させてくれたんだ」

 

イタリアで妊娠中絶法が成立した日付。なお、別の修道女のルックのケープには妊娠中絶法の法令番号である「194」が書かれている photo:Finn Constantine 

 

自分らしくあるために。少年時代のいじめを乗り越えて
 父親が導いた生きた授業。そこで培ったものを礎に、実際の学校でもアレッサンドロは唯一無二の個性を貫いた。
「普通の格好で通学するほうが楽だったと思う。でも僕は人とは違っていたんだ。髪をブロンドに染めたのは12歳のとき。地域の規則にはまるよりも、僕自身でありたかった。ほかの人と同じようになるのは、確かに生きていく術のひとつだろう。でも、それでは人生の半分しか生きていないことになると思う。苦労してでも、自分らしく生きて何かを得たほうがいいんじゃないかな? 僕はただ自己表現がしたかった。何か人とは違うもの、自分そのものを確立したかった。これが何らかの形で、僕の今の個性や、自由な考え方の原形になったと思う」
 とはいえ、70〜80年代のローマ郊外での孤軍奮闘は苦労がつきものだったはず。
「もちろん。登校しようと家のドアを出た途端、事件勃発だよ。でも、それに勝たなくてはならなかったし、自分の考えには自信があった。たくさんの敵がいたけれど、数多くの仲間もいた。いつも明確な意思を持って振る舞っていたから、友好関係にある子どもたちの間ではリーダーだったよ。僕を嫌っている人、愛している人、両方いた。でも、全員に好かれるというのはあり得ないだろう? あの頃がなかったら、今日の僕は存在していないんだ。
 一番ひどかったのは中学だね。10代前半は、“小さな大人”になり始める時期で、個性が芽生えてくる。一方で、家庭での“刷り込み”にも影響される。イタリアの家庭は『男らしく、女らしく』という制約が多い。人それぞれ異なる考え方があるはずなのに、中学では家庭で育まれた固定観念がそのまま持ち込まれるから、難しかったな。パンツの形や髪型の違いは、誰にも害を与えないのにね。
 今はブロンドに染めた子が登校しても問題ない。僕があの頃、闘ったのも、ちょっとは役に立ったんじゃないかな」
 それはいじめ? 恐る恐る聞くと彼は答えた。
「当時はその言葉はなかったけれど、実際いじめでいっぱいだったよ。批判もされたし、『サッカーしたくない』って言うと、からかわれたり。でも、僕は元気な子どもだったから、そこまで苦労はしなかったな。敵対してくる人は、自分が前進するためのツールだと思っていたし、ほかの人の評価は気にしなかった。自分を信じているのは、今でも同じだよ」
 その早熟さには目を見張る。背景には両親の思慮深さもあるのだろう。
「両親は僕のことを理解していたから、決して『やめなさい』 とは言わなかった。普通はもう少し成長してから、自己肯定意識を持ち始めるのかもしれないね。10~12歳の子どもにはいろいろ制約があるけれど、自由にさせる余地を持たせるべきだと思う。なぜならその年代こそ、個性が伸びる時期なんだ。押さえつけると、個性の成長が抑圧されてしまう」
 かくして潮流にのみ込まれることなく、自らの直感に従ってファッションの世界に進んだアレッサンドロ。「やりたいことはすべてやってきた結果」とさらりと口にするその表情には、一切の気負いはない。
「『自然に』と思っていても、社会や家庭、友人に影響されてしまうことは多いよね。でも、僕は流されない。それが僕が存在する方法のひとつだから」。事もなげに語りながら手を組んだ指先には、浅葱色と黒のマニキュアがキラキラと輝いている。

母に育まれた空想の翼
 母も特別な存在だ。映画界で働く母は、美への情熱にあふれた女性だった。
「50~60年代、映画産業は重要な位置を占めていた。母は30歳まで独身で、当時はかなり珍しかったはず。彼女は映画も仕事も大好きだったんだ。ローマのあの美しい時代を過ごせたのは、幸運だったと思う。当時、アメリカやイタリアの大きな映画会社があって、街には文化があふれ、国際的だったからね」
 まさに映画の芸術性が著しく高まった時代、彼女はアメリカ映画を愛した。銀幕の中の女優みたいにお化粧して寝ていたんだよ、と笑いながらアレッサンドロは続けた。
「昔の作品を含めて映画について多くを教えてくれた。映画の百科事典みたいな人だったんだ。出演者はもとより、配給元や編集者など全部知っていて、一緒に映画を観にいくと『もし私だったら、あそこの映画館に配給したわね。恋愛ものだけど、こんなほかの要素もあるから』『フレーミングがよくないわ』なんて」
 そんな母を見て、アレッサンドロの創造力が目覚め出す。
「チネチッタやハリウッドを思い浮かべながら空想し始めたんだ。ヴェールがかかった映像、ヴィーナスのような女性、異教の女神――仕事に活かすときは、それぞれのイメージを一旦崩壊させるんだ。たとえば、ベルリンのテクノクラブから出てきた女の子の顔に、ジュディ・ガーランドのメイクアップを施して、さらに別の髪型を組み合わせる。異なる素材を組み立ててほかのものを創り出し、語らせる。すると見る人に『何を象徴しているのかな?』と考えさせたり、何かを思い起こさせたりするだろう? その瞬間、記号は、ユニバーサルな言語になるんだ」
 事実、2020年クルーズショーでもさまざまな記号がちりばめられている。彼にとってショーは、いわば映画作品に置き換えられるものなのだ。
「ゲストは映画、つまり僕のショーの中に招待されているように感じてほしい。記号があることで、普通にショーを見るのとは異なる形で、ゲストはその中に参加できるんだ。個人的な何かをショーの中に取り入れることで、ルールやステレオタイプを打ち破ることができるはず。ルールは、距離を作り出してしまうもの。それがなくなって初めて、双方の距離が縮まる。つまり、僕が何かを語り、あなたはそれに捕らえられる――そうなったとき、一緒に生きているという実感が生まれるんだ」
ただし、と前置きして彼は続けた。
「双方が距離を取り、バリアを作ったままでいれば、きっと双方は平穏なままでいられるだろう。あなたは“汚染”も、“感染”もされることなく、ショーを見て家に帰る。個人的な想いを発信する僕のやり方は、もろ刃の剣でもあるんだ」

 

大輪の花を咲かせた卵巣、そして子宮。体部と頸部も細やかに描かれている photo: Ronan Gallagher

 

自分の体は、自分で決める。その権利はこんなに大きい
 2020年クルーズ コレクションで最も印象的だった記号が、花で描いた子宮だ。その背景には、アレッサンドロの強い想いがある。
「僕は女性的な世界を近しく感じられるものすべてを愛している。女性には、女性ならではのテーマがある。母性的な感受性や、力強い生命観――それは、われわれすべての生命につながること。だからわれわれ、すべての人間は、フェミニニティを感じ取らなくてはならないんだ。
 僕はすべての男性が、女性の世界を見るべきだと思っている。そして自分の中の女性性を探すことも忘れてはならないと。自分の中に男っぽさを見ることを恐れない女性に対し、男性は内なる自分の女性らしさを見いだすことを恐れている。自分の中の女性的な部分を知り、それと向き合う男性は、一番魅力的な男性だと思う。なぜなら、彼らを女性と結びつける一番強い部分に、気づいているわけだからね。子宮は、女性が持つシンボルではあるけれど、一方で、男性も無関係ではありえない。子宮は、普遍的な物語の一部となりうるのだから」
 花と子宮を結びつけた理由はこうだ。
「子宮に花をメタファーとして用いたのは、いのちを生み出す意味を掘り下げたかったから。子宮は、いわば庭。また、1978年のイタリアの妊娠中絶法成立以来の、自由と個人主義について問題提起したかった。個人主義や、他人との違い――異なる体や異なる選択から、美は形成されている。子宮は『いのち』であり、これらの問題を総括するのに、一番よい方法だと思った。自由であることを断言する権利、それはわれわれに帰属するもの。それに向けて後退するのではなく、前進するべきだと僕は考えている」
 花の子宮だけではなく、〝MY BODY MY CHOICE〟というメッセージや、イタリアで妊娠中絶法が成立した1978年5月22日の日付も話題を呼んだが、それらはスローガンTシャツから端を発したものだという。
「僕は70~80年代のポップカルチャーで育った世代だけれど、この時代に生まれたTシャツによって、平等化が進んだと思っている。かつて貴族と使用人など、イメージや所属を隔てていたのがジャケットとシャツだった。そこへ70年代にTシャツが興隆して、皆が統合されたんだ。Tシャツにはいろいろなことが書かれ、メッセージを発信していたよね。僕自身、Tシャツからたくさん学んだ。歌詞や学者の言葉などTシャツにさまざまなメッセージが書かれていたように、服にミステリアスなメッセージなどを綴ってきたよ。
 でも今回は簡潔なことを、大きなグラフィックで書いたんだ。自分の体について決める権利の大きさと同じくらい大きく、そして寺院や教会に掲げられているような碑文をイメージして、はっきりと。人類に女性に、また自由にとって、星が生まれた日のように1978年5月22日は重要な日付。女性が自由を勝ち取った大切な日なんだ。僕はもちろん新聞も読むし、世の中の動向も見ている。最近フェミニズムに関するいろいろな話題が取り上げられているけれど、そのいくつかに怒りを感じた。僕の服は、僕と一緒にそれに反応したんだ、言わなければならないと」

 

ルックの背面には「私の体 私の選択」  photo:Finn Constantine

 

ステレオタイプのモデルは要らない。その人の本質を見てみたい
 2019年初夏にローンチしたリップスティックのキャンペーンでは、不規則な歯並びの口もとのアップ写真を採用。超個性的なモデルが闊歩するアレッサンドロのランウェイにも、力強い信念が込められている。
「僕の物語を伝えるためのモデル探しには力を入れている。ほかとは違う顔が必要なんだ。ステレオタイプは見たくない、見たいのは人そのもの。モデル探しは、もはや執念。というのも、服に袖を通すことで人の体が異なった表情を見せるように、服は体の美徳の中にこそ生きるものだから。モデル探しは、服やコレクションと同じくらい大切なこと」
 ありのままの個性を謳歌する、千差万別のモデルが次々に登場する彼のショーは、いつも見ていて楽しい。その折衷技の切れ味に、われわれは、あぁ、やられた!とうなるのだ。デザイナーの中には自己完結型の小難しいタイプの人もいるけれど、あなたは違いますね? そう聞くと彼は即答した。
「そのとおり。服は、僕にとって情熱そのもの。この部屋を見てもわかるように、モノを敬愛しているんだ。中でもいのちを吹き込まれたモノを愛している。それと同じように、僕が服を創って、それらの服が語り出す。だから僕と、僕の創るコレクションは、圧倒的な愛情関係にあるんだよ」
 そう言ってほほえむ漆黒の瞳に吸い込まれるように、はっと現実に戻った。ここローマで、一見風変わりな金髪の少年がいた。芸術家肌の父親と、玄人はだしの映画評論家の母親がいた、人とは違う彼を、いじめる人々がいた。信念を味方に、軋轢にあっても自分らしさを抱きしめた少年の夢と勇気と愛情が、彼の服には全部ある。だから、私たちはグッチから目が離せないのだ。今までも、これからも。

SOURCE:SPUR 2019年12月号「Roman Dreams ローマで見た夢」  interpretation: Megumi Takahashi

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