現代美術作家の蔡國強さん。その力強いクリエイティビティにインスパイアされたアンソニー・ヴァカレロ氏の強い想いと敬意を背景に、サンローランのコミッションワークとして実現したのが、福島県いわき市四倉海岸での「白天花火《満天の桜が咲く日》」でした。
最終目標として99000本の桜をこの土地に植えることを目指す「いわき万本桜プロジェクト」。代表の志賀忠重さんは、開会にあたり、私たちにこう語りかけました。
「震災後、誰も来なくなってしまったふるさとに何かしなければならない。そう思って、万本桜プロジェクトを立ち上げました。誰もが一生のうち一度は来たくなるような場所を創ってみたい、と」
「今のペースで行くと、250年から300年くらいかかるような構想です。原発がいいかどうかは別にしても、そのときにあった自分の気持ち、皆の気持ちを忘れないために今後200年、300年と続けていきたいと思っています」
未来の子供たちへの贈り物となるように。このプロジェクトを支援するのが、世界的なアーティストである蔡國強さん。彼といわきの出会いは、1988年にまで遡ります。80年代中旬から95年まで日本に暮らした彼がたびたび創作の拠点にしたのが、いわきでした。
「彼が初めていわきにやって来て会ったとき、若くて、面白くて純粋で。新しく弟ができたような気持ちになりました。そのときの彼は実績もありませんでしたが、彼が思うことを実現してあげたいと思い、毎日のようにいろいろお手伝いをしました」
蔡國強さんがことばをつなぎます。
「私たちはいわきの人たちの思いやりに深く感動し、彼らに心から受け入れられました。それ以来、いわきは第二のふるさとのように感じられるようになりました。当時の私が考えたスローガンは、この土地で作品を育て、ここから宇宙と対話し、ここの人々と一緒に新しい時代の物語を創る、というものでした。この30数年間の間、私はいわきの人たちと一緒に、小さな港から船を出したのです」
アメリカやカナダ、フランスからスペイン、そしてデンマークまで。共に旅を重ね、各地でエキシビションを成功させ、世界的芸術家として成長を遂げるまでの道のりは、決して平坦なものではなかったはず。それでも蔡さんは朗らかに語るのです。
「一緒に髪が白くなり、動きもやや鈍くなってきましたが、人生を通じてお互いにかけがえの無い友人として出会ったことは、本当に幸せなことです」
「この縁は今日、私をいわきの海岸に連れ戻しました。この土地は過去に大地震、津波、そして原子力災害の衝撃を受けました。4万発の花火が、亡くなった命に鎮魂の祈りを捧げ、人間が自然に与えた傷と悲しみに捧げます」
白天花火が届けた自然への畏敬の念と、友情。いわきの子供たちの歓声に彩られながら、見たことのない「白い菊」や白黒の「波」、「記念碑」そして「桜」が、大空を舞いました。
イベント後に訪れた「いわき回廊美術館」。植樹された桜の木々と、子どもたちが描いた桜の絵に出会いました。
いつか、遥か彼方の宇宙からも、ここ福島の桜が見えるように。
30年を超える友情がつなぐ美しいストーリーは、まだプロローグに過ぎないのです。
いわきへの旅の2日後、国立新美術館・サンローラン共催のエキシビション「蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」(会期:2023年6月29日(木)~8月21日(月))のプレスプレビューへ。集大成ともいえる圧倒的な規模の展覧会、私はエントランス付近にそっと飾られた展示に心を奪われました。これらは蔡國強さんの父・蔡瑞欽さんが描いたマッチ箱。四角くて小さな宇宙に、彼の原点がすべて詰まっているように感じられたからです。
蔡國強さんの作品群をディープラーニングさせたカスタムAIプログラムと「対話」する、という革新的なプロジェクトも必見。ストーリーを伝えられたAIが何枚かの画像を生成し、作家が創作を重ねるというコラボレーションから生まれた情景は、不思議なロマンティシズムをたたえた無類の美しさ。
人工知能と協業する試みから生まれた受胎告知と名付けられた作品は、作家が「あなたは誰ですか? どこから来ましたか? どこへ行くつもりですか?」とAIに問うプロセスを出発点としたもの。その回答が実に詩的で、愕然とするのです。ぜひ会場で足を運んで、説明文を読んでみてください。