時代が変化を求めても、エルメスは変化を拒む。永遠に変わらないこと、それが彼らの最大の武器なのだ。世にも稀有なメゾンを支える7人のクリエーターが語る、その魅力と知られざる裏側
エルメスには毎年テーマがある。昨年は《Let’s Play!》で、今年は《In the pursuit of dreams(夢を追いかけて)》だ。デザイナーたちが時間をかけてインスピレーションを得られるように、テーマは36カ月前に、創業家6代目ピエール=アレクシィ・デュマ主催のプライベートディナーで発表される。ピエール=アレクシィは、ビジネス面とクリエイティブ面の両方を約30年間統率してきた彼の父、ジャン=ルイ・デュマが2006年に引退を表明して以来、アーティスティック・ディレクターを務めている(現CEOはピエール=アレクシィの従弟アクセル。エルメスは上場企業だが創業者一族が今も実質的な支配権を握っている)。1987年からクリエイティブ・ディレクターを招く定例ディナーを催していた父親を見習って、彼もこの伝統行事を受け継いでいるというわけだ(ディナーにはいかにもフランスらしく哲学者が招かれて、テーマについてあれこれ難解な話をするらしい)。
エルメスで30年近くシューズデザインを手がけてきたピエール・アルディは、ジュエリー部門も統括している。彼が得意なのは、テーマをあえて文字どおりに解釈し、同時に遊び心を盛り込んだデザインだ。今年はプラットフォーム部分を雲形にくりぬいたスエードシューズや、ヒールが人工衛星のような形をしたパンプスを提案した。またメンズ・プレタポルテを手がけて30年以上になるヴェロニク・ニシャニアンは、2019-’20年秋冬コレクションに馬車の幌のように羽根を広げたドラゴンのモチーフを取り入れた。
フレグランス部門では、伝説の調香師ジャン=クロード・エレナの後継者として2016年よりクリスティーヌ・ナジェルが専属調香師を務めている。彼女は今年のテーマを抽象的に解釈して、フローラル調の香水を編み出した。その香りは「ホワイトムスクの甘さ」に「白日夢」をかけ合わせたものだそうだ。
3人の話を聞くと、エルメスのクリエイティブ・ディレクションがこのうえなく自由でラフなことがわかる。先述のピエール=アレクシィ・デュマは、ブラウン大学でビジュアルアートを学んでいたという、しなやかな身ごなしの長身の男性だ。彼をよく知るには、8区の彼のオフィスを訪れるのが一番手っ取り早い。われわれが思い描くイメージとはほど遠く、室内のいたるところに物があふれ、とても完璧とは言いがたい。だが、そのなかには優れたアート作品も紛れ込んでいる。フランス人アーティスト、ガブリエル・レジェのオプティカルな彫刻作品をはじめ、大半はコンセプチュアルアートだ。ほかに目につくのは、まだ半分ほど荷物が入ったままの段ボール箱(ピエール=アレクシィがここに越してきてからすでに3年以上たつ)。
横長の低い棚には美術書やオークションカタログがひしめき合っている。棚の上に並ぶのは思い出の詰まった雑多なガラクタで、インテリアデザイナーの母親がクリスマスギフトとして彼女のスタッフに配ったぜんまい仕掛けの小さなスイマー人形、メゾンのロゴがついたネオンオレンジ色のヘルメット、ギリシャ神話のヘルメス神(メゾン名とは無関係だが、偶然にもヘルメスは商業と競技の守護神だ)の箱入りプレイモービルなどがある。いろんなものがごちゃごちゃ積まれたデスクから、彼は自ら「パーソナル・トーテム」と呼ぶオブジェをつかんで、両手を差し出した。それは真鍮のなめくじ(「人々に疎まれる哀れな生き物だけど、じつは美しいよね」)と、カエル(「僕は跳ぶよ」)だった。(エルメスはこれからどこへ向かうべきか)
SOURCE:「The Defiant Ones」By T JAPAN The New York Times Style Magazine:JAPAN BY NANCY HASS, PHOTOGRAPHS BY OLIVER METZGER, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO APRIL 12, 2019
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