2019.10.05

想像してみよう、これからの愛のカタチを。LOVE STORY

ジョン・レノンとオノ・ヨーコの"ベッドイン"から今年で50年。彼らの夢見たラブ&ピースな世界に、私たちは近づけているだろうか? 国籍も、年齢も、性別も飛び越えて。誰かと笑い合い、手をつなぐ明日のため、ファッションを通して、自由な愛のカタチを想像してみよう。さあ、心の窓を開けて――。

やさしさに包まれるエターナルな時間

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カーディガン 各¥145,000/ドゥロワー 青山店(ドゥロワー) サングラス 各¥50,500/マーション ジャパン(クロエ)

ペアで着たインパクトあるボーダーアウターは、ファーのようにフリンジ状のループニットを編み上げたカーディガン。サステイナブルなデザインに遊び心を潜ませて。

惹かれ合う二面性と昼下がりのランデブー

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(モデル右)コート¥288,000・パンツ¥76,000/メゾン マルジェラトウキョウ(メゾン マルジェラ) シャツ¥80,000/ブラミンク ブーツ¥38,000/バースデス (モデル左)オールインワン¥228,000・ブラウス¥150,000・バッグ¥164,000・ベルト(参考商品)・モカシン(参考商品)/ロエベジャパン カスタマーサービス(ロエベ)

ジェンダーレスにファッションを楽しむのがふたりのルール。カーキ×ブラックのマスキュリンなオールインワンを着た彼女は、ボウブラウスでエレガントな魅力も。対する彼のキーアイテムは、キルティング×ニット素材のハイブリッドコート。胸元に同じくボウタイをのぞかせて、さりげないリンクを。

まなざしのその先に、永遠を探して

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ニットケープ¥278,000・レギンス¥88,000・マフラー¥152,000(すべてジル サンダー+)・スニーカー¥80,000(ジル サンダー)/ジルサンダージャパン

都会からのエスケープを提案するラインとしてこの秋冬に登場したジル サンダー+はユニセックスのアイテムも展開。オーバーサイズかつ端正なシルエットとシックなカラーリングは、彼と一緒にオフを楽しめるシェアワードローブにぴったり。

青空に響くふたりのファンタジー

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(モデル上)Tシャツ¥5,074/オルゴー カーディガン¥120,000/ブラミンク パンツ¥110,000/アクネ ストゥディオズ 青山(アクネ ストゥディオズ) 帽子¥30,000/アトリエ ニュアージュ(シノナグモ) スカーフ¥4,630/SLOW 表参道店 ベルト¥2,900/BIG TIME 下北沢 ブーツ¥111,000/メゾン・ディセット (モデル下)Tシャツ¥5,074/オルゴー ジャケット¥52,000・パンツ¥30,000/オーラリー

古着のボーダーTシャツをリンク。彼女は、モヘアニットとビッグボウのように結んだスカーフでガーリーに。彼はトリコロールで、冬のマリンスタイルをアップデート。

比翼の鳥たちに愛の言葉を伝えて

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(モデル右)ジャケット¥348,000・ベスト¥150,000・シャツ¥93,000・パンツ¥160,000・ネクタイ¥24,000 (モデル左)ジャケット¥400,000・シャツ¥80,000・パンツ¥120,000・ネクタイ¥24,000・ベルト¥52,000/グッチ ジャパン(グッチ)

ラブ&ピースを祈るドレスアップはクラシカルなスタイルで。女性のマスキュリンな三つ揃いは、大ぶりのハウンドトゥースで遊び心も。コンパクトなジャケットのシルエットがバックスタイルも端正な印象。対するメンズはスーパーハイウエストパンツとレトロな"G"パターンジャケットでチャーミングに。

くつろぐ表情からのぞく、ふたりのディスタンス

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スカーフジャケット¥360,000・ニット¥155,000・デニム¥99,000・ミサンガブレスレット(2本セット)¥46,000・ベルト¥78,000/クリスチャン ディオール(ディオール)

リラクシングな時間を象徴するグリーンのスカーフ。腕を通せるスリーブつきのデザインなので、ニットにラフに羽織っても計算されたフォルムが完成する。ヴィンテージライクなサイドジップデニムと合わせて洗練されたカジュアルに。

夕闇に染まる、色あせないロマンス

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(モデル右)カーディガン¥250,000・シャツ¥66,000・スカーフ¥52,000・ベルト¥46,000・ブーツ¥140,000/セリーヌ ジャパン(セリーヌ バイ エディ・スリマン) パンツ¥24,815/オルゴー ソックス/スタイリスト私物  (モデル左)ジャケット¥415,000・デニム¥97,000・ベルト¥110,000・ブーツ¥235,000/セリーヌ ジャパン(セリーヌ バイ エディ・スリマン) 中に着たブラウス¥39,000/MACH55 Ltd.(コレニモ)

恋するふたりのフレッシュなカレッジスタイル。金ボタンが輝くブルジョアライクなノーカラージャケットには、フリルカラーのブラウスでロマンスもひとさじ。トラッドな赤いカーディガンの彼とパリシックな気分で寄り添いたい。

加藤登紀子さんが見たジョンとヨーコの愛のカタチ

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パジャマ 各¥27,000/THE MOTTHOUSE TOKYO(SLEEPY JONES)(モデル右)メガネ¥40,000/ブリンク ベース(サヴィル・ロウ)

IMAGINE THEIR LOVE STORY

60年代末、激動の時代に運命が引き合わせたふたり

 「これから電話がかかってくるので、待っていてください」。1981年のある日、突如そんな連絡を受けたシンガー・ソングライターの加藤登紀子さんのもとに、電話をかけてきたのは、ほかでもなくオノ・ヨーコさんだった。「あなたの手紙を読みました。ぜひ会いましょう」と。彼女の夫ジョン・レノンが凶弾に倒れてから半年ほどがたち、世界中がヨーコさんの動向に注目していた頃だ。

 ザ・ビートルズの一員として音楽界の頂点に立つジョンと、前衛芸術家として活躍するヨーコさんが、ロンドンで開かれていた彼女の個展の会場で対面したのは1966年11月のこと。ジョンは当時まだ最初の妻と結婚していたが、強く惹かれ合ったふたりは交際を始め、表現者として、社会活動家として、お互いをインスパイアし密にコラボレートしながら、一緒に人生を歩むことになる。カウンターカルチャーを象徴するカップルの誕生だった。

 まずは、ロックの枠を逸脱した実験的アルバムを連名で発表するようになったジョンとヨーコさん。その傍らで、ベトナム戦争やアメリカの公民権運動、パリの五月革命などに揺れる世界を背景に、反戦運動に身を投じる。アプローチは型破りで、1969年3月に結婚したふたりは、新婚旅行で訪れたアムステルダムのヒルトン・ホテルで、ラブとピースを訴えるパフォーマンス“ベッドイン”を敢行。7日間をベッドの上で過ごし、世界中から集まった記者たちと議論を交わした。

 その半年後には、ずばり『ウェディング・アルバム』と題された、3枚目の連名作品が登場する。A面はお互いの名前を呼び合うふたりの声で構成し、B面にはアムステルダムでの記者とのやり取りを収録。“ベッドイン”ともども波紋を呼んだことは言うまでもなく、「あのときは、“こんなことをしでかして頑張ったわねえ”って、私もミーハー気分で見ていました(笑)」と、加藤さんは振り返る。

 ちなみにこの時期の彼女もまた、世界の動きと同調するようにして学生運動が激しさを増す日本で、よりよい社会の到来を願いながら活動する、ひとりのアーティストだった。1968年には、卒業式をボイコットする学生たちと、母校東京大学でデモに参加。このときに、学生運動のリーダーだった藤本敏夫さんと出会い、服役中の彼と1972年に結婚した際には、世間を大いに騒がせている。常に問題意識を高く持ち、独自のスタンスで音楽と向き合っていた加藤さんは、ジョンの死を受けてヨーコさんに一通の手紙を送った。これを機に、交流が始まるのだ。

「私は1981年に生まれ故郷のハルビンで公演をすることになったんですが、次の時代に踏み出すためにけじめをつけに行ったようなところがありました。どうしても戦争をしたことを背負って行くことになるので。それでふとヨーコさんに手紙を書こうと思いついたんです。日本はアメリカと軍事同盟を結んでいて、日本の平和を願うということは、アメリカの平和にもつながる。ジョンが亡くなった今、アメリカで生きる日本人としてさらに重要な役割を担うだろうヨーコさんに心からエールを送りたい――といった内容でした。そうしたら彼女から電話があったんです。ひとつの部屋が一日で埋まるほどたくさんの手紙が世界中から届いていたのに、私の手紙は目にまっすぐ入ってきたそうで、“これは奇跡よね”って」

今も胸に響くジョンとヨーコのタイムレスなメッセージ

 こうして加藤さんは1981年7月に、ニューヨークのロングアイランドで暮らしていたヨーコさんを訪ねる。

「門で迎えてくれた彼女に開口一番、“あなた、あの刑務所の人と結婚した人でしょ”と言われたので、“そうです”と答えて(笑)。海が見える庭で、芝生に座り込んで話をしました。家の窓からジョンの音楽が聴こえてきたんですが、あの日、亡くなってから初めて彼の歌を聴いたんだそうです。そして、“あなたのご主人は壁を壊そうとして、とても大変だったのね。壁はなかなか壊せるものじゃない。でも窓を開けることはできる。ジョンと私は、ひたすら窓を開けることをしてきたの”という話をしてくれました。『イマジン』のPVは、ヨーコさんがひとつずつ窓を開けていくという内容で、そこにははっきりとした意味があったんです」

 ジョンが1971年に発表したおなじみの名曲「イマジン」は、加藤さんもコンサートでたびたび披露している。じつはヨーコさんの著書『グレープフルーツ』に着想を得た曲で、2017年になって彼女は正式に共作者として認定されたばかり。生前も没後も夫に寄り添って支え、同時に先駆的な女性アーティストとして自らの表現活動を続けている彼女の功績の大きさは、やっと広く認知されつつあるようだ。

「女の本質は沼だと私は考えていて、魔界とつながって運命を引き寄せるような部分があるから、正体を突き止めるのは難しい。ヨーコさんはまさに底知れぬ沼みたいな人で、そういう女性が逆に、自分をはっきりカタチにして発信する男性と出会うと、うまく成り立つというか。ジョンは彼女と一緒になったことで、大きく羽ばたけたのかもしれないって思うんです。40歳で亡くなった彼は若いままだけど、それからもジョンの名前を守るというのは大変な仕事だったでしょうね」

 ひるがえって昨今の不穏な世の中は、まさに50年前の世界、あるいは第二次世界大戦前の世界と比較されることもしばしば。そんなきな臭さを感じながらも、加藤さんは、「時代を変えようとする力は常にある」と指摘する。

「そして、普通の人が普通に生きなくちゃならないときに下す、正しい判断みたいなものに、いつも希望が残されてるように感じます。たとえばアジアの貧しい地域に行くと、国は果たすべき役割を果たしていなくて、ほとんどNGOに支えられているんですよ。つまり人々の連帯ですね。大きな力じゃなくて小さな支え合いがすごく役立っていて、国という枠組みがどんどん無意味になっていくんじゃないかと私は思っています。だから、それこそ大きな壁は壊せないけど、人々の心の窓を開けられさえすれば、連帯できる。国家なんてもういらないという、『イマジン』のジョンとヨーコさんのメッセージは、今も胸に響くんです」

interview & text: Hiroko Shintani

Profile |  加藤登紀子
1943年、現・中華人民共和国のハルビン生まれ。東京大学在学中にアマチュアシャンソンコンクールで優勝し、’66年にデビュー。「赤い風船」でレコード大賞新人賞に輝く。以来80枚以上のアルバムを発表し、国内外で公演する傍らで、環境問題にも広く取り組んでいる。11月からは、年末恒例の「ほろ酔いコンサート2019」を全国で開催。詳細は、https://www.tokiko.comから。

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SOURCE:SPUR 2019年11月号「想像してみよう、これからの愛のカタチを。」
photography: Bungo Tsuchiya〈TRON〉 styling: Kayo Yoshida hair: Takayuki Shibata〈SIGNO〉 make-up: DAKUZAKU〈TRON〉 model: Mae, Mats cooperation: Owlpark・Hiroaki Kobayashi, PROPS NOW