ニコラ・ジェスキエール、かく語りき<後編>

ニコラ・ジェスキエールは確固たるビジョンで現代のファッションを作り替えた。その影響は今のモードの底流に広く深く根づいている

>>ニコラ・ジェスキエール、かく語りき<前編>


 ラグジュアリー・ファッションは、なかば当然のように非難されるばかりで、その“効率性”が評価されたためしはない。職人技を要する服が、デザインされてから完成にいたるまで、そのスピードたるや驚くべきものだというのに。ひとりのヘッドが率いる小さなチームが、多数のアイデアを練って形にし、ショー会場の使用許可を申請し、怒濤のスケジュールをこなしてどうにかショー開催にこぎつけるのは珍しいことではない。すべてをたった数週間で成し遂げるのだ。

 ジェスキエールは一年に三度この大仕事をこなしている。秋冬と春夏のプレタポルテ・コレクションをパリで二度(ジェスキエールはシーズンごとに、シューズ、アクセサリー、バッグを合わせた約60のデザインを手がけている)、クルーズ・コレクションを一度、遠隔地で披露する。最近、重視されているクルーズ・コレクションは、秋冬と春夏の中間に催されるため特に店舗に歓迎されている。ジェスキエール率いるルイ・ヴィトンのクルーズ・コレクションは、これまでにカリフォルニア州パームスプリングスのボブ・ホープ夫妻邸、モナコのパレス広場、ブラジルや日本の美術館、フレンチリヴィエラなどで開催されてきた。

画像: 2020年クルーズ・ コレクションより。 トップス、パンツ、グローブ<すべて参考商品>/ルイ・ヴィトン ルイ・ヴィトン クライアントサービス フリーダイヤル:0120-00-1854

2020年クルーズ・ コレクションより。
トップス、パンツ、グローブ<すべて参考商品>/ルイ・ヴィトン
ルイ・ヴィトン クライアントサービス
フリーダイヤル:0120-00-1854

 以前ジェスキエールは、自分は少年時代から細部まで徹底的にこだわるタイプだったと言っていた。パリ郊外北部にあるアトリエに行ったとき、彼が「ズームパワー」と呼ぶその性格がはっきり見て取れた。あれはひんやりと肌寒い朝だった。20数名のスタッフが集まって、床面の処理方法や、似たような複数の青いプラスチックパイプのそれぞれの違いについて話し合っている。アトリエの壁は真っ黒で、スポットライトの光がじかに彼らに当たっていたので、ニコチンの混じった呼息が黒い煙のように見えた。その光景は制作の打ち合わせというより、“映画の中に出現する映画のセット”のようだった。彼らが制作しようとしていたのは、“美術館に出現した美術館”とでもいうべく、ルーヴル美術館に設置する、ポンピドゥーセンターの超縮小版だった。

 ポンピドゥーセンターは、レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースが設計したパリの近代美術館だ。“内と外をあべこべにした”外観が、建設当初、酷評されたことでも知られている(くねくねと伸びた水道、空調、電気のパイプやエレベーターなど、普通は内部に隠れる構造要素が外にむき出しになっている)。ジェスキエールはこのミニチュア版の特設会場を、ルーヴル美術館の優雅な中庭「クール・カレ」に設置するのを心待ちにしていた。入れ子のごとく縮小されたポンピドゥーは、特徴的な、赤、緑、黄、青のパイプシャフトやダクトまで忠実に再現されている。制作には何週間も要した。

 そこで披露される2019-’20年秋冬コレクションの着想源は、80年代に10代だった彼がパリに来てすぐ訪れた、ポンピドゥーセンター周辺地区「レ・アール」の“混沌”だ。ジェスキエールの脳裏には、今も当時の様子が焼きついている。ちなみにレ・アールにはその昔、パリの中央市場があった。1971年に市場の解体後、地下鉄駅と商業施設に改装されるまで約10年、掘削された状態で放置されていたため、「パリのブラックホール」と呼ばれていた時代もある。シックでアヴァンギャルドなブティックが立ち並ぶなか、素性の怪しい人々(サギ師にドラッグディーラーに売春婦)や、初めて電車で都会に来たような同年代の若者が行き交うレ・アールに、彼は強い衝撃を受けたという。

 ジャン=ポール・ゴルチエ、クロード・モンタナ、ティエリー・ミュグレーたちもこの地区にブティックを構えていた。フィリップ・スタルクがデザインした、深紅色とメンフィススタイルが特徴の「カフェ・コスト」は、オープンと同時に話題のスポットになった。1977年にポンピドゥーセンター開館、続く1979年には大型商業施設フォーラム・デ・アールがオープン。過去に固執するパリの街で、レ・アールは爆発的な発展の中心舞台になっていた。

「あの頃に起きたことや、当時のスポーツウェアや慈善目的の古着屋といった、あらゆるエレメントの融合が、今のファッションの根底にある」と彼は考える。「多くの人がポンピドゥーセンターは悪趣味だと批判していたけど、時とともに重要なカルチャースポットになっていった。人間の体と一緒で、脳も鍛えなくちゃいけない。醜いと感じるのは、それを見たことがないせいか、見慣れていないからなんだ」。「デザイナーがもつ最高の自由は、すべて自分流に解釈できること。誰にも干渉されずにね」。

 ジェスキエールはそう確信しているが、もちろん立場はわきまえている。「コレクションが独創的で、斬新で、時機を得ているかっていうことで、デザイナーの評価が決まるのは当然のこと。ただ、過去のスタイルを自己流に引用しても、僕らがあれこれ言われることはないんだ。歴史映画の衣装なら正確さが求められるけど、デザイナーならこう言えばいい。『あくまでもこれは僕の見方。ちょっと曖昧で、いい加減だったり、大げさだったりするけれど、これが僕流なので』って」(続きを読む)

SOURCE:「Nicolas GhesquièreBy T JAPAN New York Times Style Magazine:JAPAN BY ALICE GREGORY, PHOTOGRAPHS BY PIETER HUGO, STYLED BY MELANIE WARD, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO DECEMBER 25, 2019

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