マーク・ジェイコブスの光と影

モード界の最先端を独走してきたマーク・ジェイコブス。文化の流れを予知する非凡の才能と、彼のデザインに触れるすべての人に深遠な感情を呼び起こす力―― 波乱万丈の人生の軌跡とともに、唯一無二の魅力の源を探る


「不安や恐れが僕にとっての原動力なんだ」とジェイコブスは話し始めた。

 11月のNY、ソーホー。巨大なファッション史の本がずらりと並んだ彼のアトリエで、私はジェイコブスと差し向かいに座っていた。56歳の彼は、見上げるような高さのプラットフォームブーツを履いている。軍装備品のような電子タバコ「Smok G-Priv」を持つ指先にはグリーンとサファイア色のラインストーンがきらめき、ジェルで整えた長めの黒髪にはバレッタを並べて留めている。ブラックのウールパンツに合わせているのは、セリーヌのピンストライプジャケットだ。そのダークグレーの襟元からは、ブルーのエルメスのシルクスカーフをのぞかせている。

画像: MARC JACOBS(マーク・ジェイコブス)。 2019年12月3日、NYにて撮影

MARC JACOBS(マーク・ジェイコブス)。 2019年12月3日、NYにて撮影

 どこにも隙のない彼の完璧なスタイルは、ある種の動物の鮮やかな体色と同じように、敵から身を守る鎧にも、相手を引き寄せる誘惑のサインにも見えた。すっと筋が通った鼻に、短く濃いひげを生やした、つんと突き出た顎。その彫りの深い古典的な顔だちが漂わせる厳格さとは対照的に、ハシバミ色の目はやさしさをたたえている。

 ジェイコブスを見て私が最初に感じたのは、反逆精神と繊細な弱さの両方だった。打ち解けやすく、率直な彼には、人生のすべてを語る準備ができていた。だが「どんな質問でも受けますよ」と彼に言われて、私はふと考えてしまった。ジェイコブスがこう言えるのは、これまでに山のようなインタビューを受けてきたからだろうか。それとも、クラブやアフターパーティ、ホテルやプライベートジェットといったイメージの陰で、精神的な強さ─大人になってからほぼずっと、過剰なほど注目を浴びてきた外向きの自分と、自分の本質を切り離して捉えられる強さ─を築いてきたからだろうか。

 ジェイコブスについてはすでに知っているような気がしていたし、才能と時代の精神をかけ合わせることができる稀有なデザイナーだというイメージをもっていた。約25年おきに現れるこうした特別なデザイナーたちはみんな、どこか神秘的だ。彼らのクリエーションが世に送りだされるまで、それがいったいどんなものになるかほかの誰にも予測できないからだ。

 たとえばイヴ・サンローランが女性にパンタロンを提案したのは、1966年に女性解放運動が起きる直前だった。でもあとから振り返ってみると、あの頃パンタロンが登場したのは当然だったように感じるのだ。要するにジェイコブスは、映画監督のデヴィッド・リンチ、米女性アーティストのリンダ・ベングリスたちと同じ、あの小さな集団に属している。

 彼らが現れた当初は世間を当惑させるが、ひとたびさまざまな文化面での先駆者であることがわかると、人々は彼らなしの世界を想像できなくなる。だが彩りの多い人生を歩み、アバター(註:自分の分身となるキャラクター)を次々と取り換えてきたジェイコブスは、クールで派手やかな“ペルソナ(註:心理学用語で外向きの人格、仮面)”を被っているために、過小評価されやすい。しかし、その裏を返せば、リアリティTV、ソーシャルメディア、オートフィクション(自伝的創作)に執着する病的な自己愛の時代が来る前から、彼はすでにセルフプロデュースの重要性を理解していたということになる。またジェイコブスは、小説家が自身のさまざまな性質をもとに登場人物をつくりだすように、彼の中のひとりは独創的な服作りに専念し、もうひとりは、彼のビジネスパートナー、ロバート・ダッフィー(現在65歳)の助けを借りて、ファッションビジネスの世界を刷新してきた。

 1993年には、クリエイティブ・ディレクターを務めていた「ペリー・エリス」で、ストリートとラグジュアリーを融合した“悪名高き”グランジ・コレクションを発表する。このときジェイコブスはまだ29歳だった。だがフランネルシャツをイタリアンシルクで、ベビードールドレスをポリエステルではなくシルクシフォンでリメイクしたこのショーは挑発的すぎると酷評されてしまう。彼はペリー・エリス(当時、品のよいアメリカンスポーツウェア・ブランドとして知られていた)から解雇される羽目になった。だがコンバットブーツを履いたケイト・モスの登場で締めくくられたこのショーは、グランジスタイルをハイファッションに昇華させたモード界の革命だった。これは、時代の気分をとらえ、人々の潜在意識を形にするジェイコブスの“神業”のほんの一例である。

 1984年に彼とダッフィーは会社を設立、その後「マーク ジェイコブス」を立ち上げたが、1993年のこのグランジ・コレクションこそが彼らの共同作業の結晶だった。1958年にパリの老舗レストラン「クロッシュ・ドール」で出会ったイヴ・サンローランとピエール・ベルジェが結成した共同体以来、久しぶりに現れた見事なコラボレーションだった。1997年にはジェイコブスが「ルイ・ヴィトン」のクリエイティブ・ディレクターに就任。以降16年間はふたつの顔をもち(最近のデザイナーにとっては当たり前のことだが)、ルイ・ヴィトンと自らのブランドの両方を統率した。ジェイコブスは老舗ラゲージブランドにウィメンズのプレタを導入しただけでなく、スティーブン・スプラウス、村上隆、リチャード・プリンスなどさまざまなアーティストとのコラボレーションを繰り返し、モードとアートを融合させた。これらのコラボレーションバッグや小物は今も熱望の的である。彼は、伝統に逆らいながらも確信に満ちたやり方で、メゾンのヘリテージを再構築した。新生ルイ・ヴィトンの大成功によって「伝統に忠実であることは尊ばれることだが、それだけでは退屈である」ことを実証したのである。

 常に時代の半歩先を見極める彼は、ショーで披露されたとき初めて、女性たちが“これぞ待ち望んでいたもの”と気づくようなスタイルを提案してきた。「マーク ジェイコブス」の、胸元の切り替えとラウンドカラーがきいた、セルリアンブルーの膝丈のレースドレス(2004-’05年秋冬コレクション)、ルイ14世風のスクエアヒールとバックルで飾ったシューズ(2012-’13年秋冬コレクション)、玉虫ピンクのスパンコールで覆った半袖のパジャマシャツドレス(2013-’14年秋冬コレクション)などが代表例だ。このブランドでは、時代に呼応した新しいアメリカン・ラグジュアリーを提案しながら、手の届きやすい価格帯を設定した。

 さらに2001年からはダッフィーとともに、採算性の高いセカンドライン「マーク バイ マーク ジェイコブス」をスタート。アーミージャケット、コットンのプレーリードレス(註:西部開拓時代風のドレス)、小物類(ロゴTやキーホルダー、トートバッグ)など、さらに価格を抑えたベーシックアイテムを提案し、ビジネスを拡大。高価格帯と低価格帯の両方の市場に進出した。これは新しい購買客へのアピールとなると同時に、のちに業界を席巻する“D2C(註:商品を直接消費者に販売するビジネス形態)”を予知した動きでもあった。(続きを読む)

SOURCE:「Marc, everlastingBy T JAPAN New York Times Style Magazine:JAPAN BY AATISH TASEER, PHOTOGRAPHS BY ROE ETHRIDGE, STYLED BY CARLOS NAZARIO, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO APRIL 03, 2020

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