6月、ラグジュアリーファッションハウスのMCMが国内最大規模となるブティック、「GINZA HAUS 1」をグランドオープン。
マロニエ通りに面するこのブティックは、地上2階、地下1階の3つのフロア構成。最新作をはじめとするフルコレクションを取り揃え、希少なアーカイブピースも展示されており、ブランドのモダンでラグジュアリーな世界観を体感できる空間だ。また、日本のラグジュアリーストリートブランドのPHENOMENON(フェノメノン)、そして同ブランドとMCMとの協業レーベル「P+M(PHENOMENON+MCM)」もフルラインナップする、国内唯一のブティックでもある。
グランドオープンにあたり、ブティックではスペシャルなイベントが開催された。この秋に展開予定のPHENOMENONとmastermind worldとのコラボレーションとなるカプセルコレクションのインスタレーションが行われ、その後、マルチメディアアーティストとして活躍するKENTO MORIがスペシャルなパフォーマンスを披露。
KENTO MORIは、マドンナやクリス・ブラウンなどの専属ダンサーとして活躍した後、ダンス・音楽・AR技術を掛け合わせた独創的な表現を模索するARアーティストに転向。この日の会場では、最先端のリアルタイムモーションキャプチャーによりライヴで視覚エフェクトが生成されていき、世界トップレベルのダンススキルに裏打ちされた革新的で自由な表現に、オーディエンスは終始圧倒されていた。
パフォーマンスの興奮冷めやらぬバックステージで、KENTO MORIに話を聞くことができた。
ーー今日のパフォーマンスで表現したかったことは?
今日は2曲持ってきたのですが、1曲めの「Life」は“日本を世界に”をテーマにしていて、2016年に伊勢神宮での奉納の舞でも披露した曲。言ってみれば純度100%で僕を表現できる曲であり、MCMの(副社長・金)海利さんとの出会いのきっかけでもあったので、彼女からもリクエストをもらっていました。そして「Back to the Future」は過去・現在・未来をつなぐ曲で、自分への応援歌、そして“挑戦”がテーマでもある。この曲も気に入ってもらえていたので、2022年も挑戦を続けているMCMにぴったりではないかと思いました。
ーーパンデミックを経て、こうして再びオーディエンスを前にパフォーマンスができることへの思いを教えてください。
“LIVE”を大切にしてきたので、率直にうれしいです。ライヴとは、生きていることを実感し、みなさんともハートビートを共有できる場。人生自体もライヴだと思っているので、こういった貴重な機会を与えてもらったことに、感謝してもしきれないです。
ちなみに僕が初めてARライヴを披露したのは、LAのつぶれた電化製品の店の駐車場。なぜかというと、パンデミックでどこもかしこもクローズされていて、パフォーマンスのできる場所がそこしかなかったから。最も成功したワールドツアーとして知られるマドンナの「スティッキー・アンド・スウィート」ツアーのステージ、僕のキャリアはそこから始まったので、世界最高のステージも経験したし、同時に駐車場からの発信も経験している。つまり、どんな環境でもやれる。それが僕にとっての強みですね。
ーーマドンナやクリス・ブラウンなど名だたるスターとステージを共にされていますが、KENTOさんが体験してきたトップアーティストのステージとは?
ただ一言、チャレンジのある場所です。
僕が初めて大々的にメディアに取り上げられたのは、マイケル・ジャクソンが亡くなり、マドンナが彼を追悼したステージで踊ることになったのがきっかけ。
あの時にも僕は一貫して自分の夢に向かってチャレンジしていました。それは、前人未到でありたい、そして史上最“幸”でありたいというもの。たった一度の人生で、パフォーマー、エンターテイナー、ステージ人を目指すにおいて、最も躍動させてくれたのがマイケル・ジャクソンの音楽と世界観でした。彼と同じステージを経験せずには、次に行けないというか(※)。「ビリー・ジーン」を初めて聞いた時、イントロ最初のキックとハットで稲妻に打たれ、目の前にいた母と妹に「いま、俺の人生は変わった。絶対にこの人を一生愛すると思う」と言ってから25年間、その気持ちは変わっていません。自分の体というフィルターで膨張する愛を拡張して表現し、音楽というフィルターでメッセージを伝えようとしているのかな、と。
まだまだディベロップメントの最中だし、パンデミックの影響もあったけれど、2年前にARライヴを始めてから今も変わらず、世界の最先端でいたいし、このチャレンジが自分の心を最“幸”だと思わせるものでありたいと思います。
※2009年、KENTO MORIはマイケル・ジャクソンの「ディス・イズ・イット」ツアーのオーディションに合格していたが、マドンナとの専属ダンサー契約期間中だったため、やむなく参加を断念。彼が最初にマドンナの公演内でマイケルの追悼パフォーマンスを行なったロンドンのO2アリーナは、同じ月にマイケルの「ディス・イズ・イット」ツアー公演が予定されていた会場。
――KENTOさんにとってマイケルの存在は大きかったのですね。
いつも自分をドキドキさせてくれていたマイケルは本当に実在しているのか?と思っていた部分もあるけれど、「ディス・イズ・イット」ツアーのオーディションで彼と握手をしたことで、最後の最後にその存在を実感することができましたね。
ーーキング・オブ・ポップの手のひらの感触はどうでしたか?
僕の名前が呼ばれ、ステージ上からマイケルの元に走っていって握手をしたあの瞬間は、僕にとってはきっと、死ぬ前にも思い出すであろう“ザ・モーメント”のひとつですね。握手をした時は、「包み込まれた」という感触でした。本当は手を離したくなかったけれど、変な奴だと思われたくない、となんとか我に返りました(笑)。
ーー挑戦を続けながら、ARを用いた“目に見える音楽”という表現にたどり着いた経緯を教えてください。
最初のきっかけはやはりマイケルです。彼は音楽だけでなく、映像やパフォーマンスでも自分ならではの世界を作っていましたから。僕も僕なりの表現をしたいとやってきたなかで、2013年の伊勢神宮での奉納の舞において不思議なことがありました。僕が踊っていた時に現地で撮影していた人たち、もちろん新聞社のカメラマンもいたわけですが、彼らの写真にオーブ(光の玉)が写っていたんです。最初は埃か虫と思いましたが、よく見ると僕の動きに合わせて、光の位置が変わっている。僕は肉眼では何も見ていないけれど、これらの写真を見てしまったことは大きかったですね。
その後、Moment Factoryというデジタルアートにおける世界最高峰のプロフェッショナルに出会うのですが、最初のミーティングで、彼らの前で実際にパフォーマンスをしたんです。その時、「いまケントから出ているオーラは何?」と聞かれました。きっと僕が表現する風・空・水・土・火・宇宙の動きを感じてもらえたんでしょうね。そのエネルギーを可視化しようということで、拡張現実のコンセプトが固まりました。最先端のテクノロジーを追求するというよりは、僕が表現していたことをわかりやすく「見せよう」という。今後は紗幕やボディスーツがなくてもダイレクトに動きとビジュアルを連動できるようになるかもしれないし、そこに向かうためのワンステップごとを着実に歩んでいきたいです。
ーーご自身の表現活動だけでなく、キッズ向けのダンスワークショップも開催されていますが、ダンスを未来につなげていくうえで大切にしていることは何でしょうか?
子供たちのエデュケーションは、僕にとっての、言うなれば政治活動です。マイケルも言っていましたが、世界が変わるためには子供が変わっていく必要がある、と思っていて。未来と同義である子供たち、接し方次第でいろいろな可能性を秘めている子供たちに何を見せるのか。北極・南極大陸以外、今までに50カ国を回りましたが、どこに行っても人間は一緒だった。言葉や外見によって違うように見えても、目と耳とハートビートで感じることで、簡単に仲間になれてしまうのがダンスなんです。僕はマイケルからスピリットの表現を教わったと思っていますが、次は僕が子供たちに伝えていきたいですね。
自由なスピリットで挑戦を続けるKENTO MORIの表現活動は、ジェンダーや国境に縛られず、トラベル、カルチャー、テクノロジーをインスピレーション源にクリエイションを発信するMCMの理念と共鳴していることを実感した一夜。感度の高いオーディエンスを巻き込みながら進化を続ける両者の、次の一手を見守りたい。
ケント・モリ●2006年、21歳にて単身渡米。ダンスアーティストとして活動を始め、2008年にはマドンナの「スティッキー・アンド・スウィート」ツアーの専属ダンサーに抜擢され、2009年にはマイケル・ジャクソンの「ディス・イズ・イット」ツアーのオーディションに合格。その後もクリス・ブラウン、アッシャーといったトップアーティストたちの専属ダンサーを務め、50カ国200以上の主要都市でパフォーマンスを行う。2020年には音楽と最先端のリアルモーションキャプチャーを組み合わせた表現で、マルチメディアアーティストとして活動を開始。アメリカを拠点に活躍しながら、キッズを対象にしたダンスワークショップも開催している。https://km1world.com/
MCM GINZA HAUS 1
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