【Interview with Betty Reid Soskin】100歳まで活躍したパークレンジャー、ベティ・リード・ソスキン氏が語る仕事への思い
世界最高齢のパークレンジャーとして2007年から2022年まで活動したアメリカ人女性がいる。国立公園の中で多くの人々と触れ合い、この仕事を深く愛した彼女に自らの物語を聞いた
パークレンジャーになったのは85歳のとき。高齢だからという躊躇はなかった
パークレンジャーとは日本では自然保護官と呼ばれ、主に国立公園を保護するためにパトロール・調査などを行う仕事である。一方、アメリカでは“レンジャー”が公園で活動する取締官のことを指し、“パークレンジャー”は園内にあるビジターセンターなどで自然解説を行うガイドとしての役割を担う者、という認識が一般的である。
そんなパークレンジャー界で最も著名な人物が、この春に100歳で引退したベティ・リード・ソスキン氏だ。彼女は15年間、NPSに所属しカリフォルニア州のリッチモンドにある「ロージー・ザ・リベッター第二次世界大戦ホーム・フロント国立歴史公園」に勤務していた。
「この公園は元は第2次世界大戦中に船を建造する『カイザー造船所』と呼ばれる場所でした。戦時中、ここで働いた女性を讃える目的で、2001年に史跡公園として設立されたのですが、同公園の目的や歴史などの説明に加えて、戦争中の自分の経験をお話しする活動が私のパークレンジャーとしての主なミッションでした」
そう語るソスキン氏は、この仕事に就く前は、カリフォルニア州議会のスタッフとして働いていた。その際、NPSのプロジェクトに参加した縁から、州議会退職後、公園で働くようになる。
「公園設立のためのプロジェクトに従事したことは素晴らしい経験で、この場所のためにもっと働きたいと思ったのです。パークレンジャーになったとき、私は85歳でしたが年齢を理由に躊躇するような気持ちはまったくありませんでした。それよりも自分が語るべきストーリーがたくさんありましたし、働き始めてからはどんどんこの仕事に夢中になりました。ユニフォームに初めて袖を通したときはとてもうれしかったですね。着るたびに自分が重要なミッションを任されていることが感じられて、レンジャーの制服が大好きでした」
ソスキン氏は週5日、公園に勤務し、彼女が園内をガイドするバスツアーは大盛況。常に2カ月先まで予約が埋まっていたという。
「来訪客の皆さんはいつも、興味深く私の話に耳を傾けてくれました。第2次世界大戦中に日系人の強制収容所で、多くの日本人が人生の大切な時間を失った話。ポートシカゴの惨事と呼ばれる、200人を超えるアフリカ系アメリカ人が亡くなった戦時下での事故の話などをよくしていました。どちらも教科書などでは大きく語られないことですが、当時を生きた私なら話すことができる。戦争中、戦地でなくとも苦しんだ人たちがいると伝えることに大きな意義を感じていました」
公園は誰もがアクセスできる場所であり、だからこそ社会にとって大切なもの
「あなたにとって、公園とは?」という質問には「私の人生のかけがえのない一部」と答える。
「パークレンジャーとして働いた年月を通して、多くの友人に恵まれ、魅力的な人々に出会いました。私は公園というパブリックスペースを愛しています。美しい自然が広がり、野生の動植物が生息し、ビジターセンターではさまざまなことに理解を深めることができる。そんな素晴らしい場所に限られた人たちではなく、すべての人がアクセスすることが可能なんです。それは社会にとって大切なことだし、守るべきものだと思っています」
引退しても、今もなお精力的に、ボランティアとして活動。オンラインで、戦時中やパークレンジャー時代の自身の経験を語っている。
「私が人生で見聞きしたことを語ったことで、園内のガイドに加えて、歴史や自分の経験をお話しする“語り部”という役割がパークレンジャーに加わったように思います。今後も公園というたくさんの人が集まる場所で、さまざまな物語が語り継がれていってほしいと思っています」
※National Park Serviceの略で、アメリカ合衆国国立公園局のこと。
Profile
Betty Reid Soskin
ベティ・リード・ソスキン●1921年生まれ、ミシガン州出身。この春まで「ロージー・ザ・リベッター第二次世界大戦ホーム・フロント国立歴史公園」でパークレンジャーとして活躍。地域社会活動家としても知られ、オバマ元大統領にもその栄誉を讃えられた。