【作家・島本理生】ファッションについて綴る

作家・島本理生さんが紡ぐ、白をめぐる記憶の旅に誘われて

作家・島本理生さんが紡ぐ、白をめぐる記憶の旅に誘われて

白い領域の思い出

写真:海辺に干されている白いシャツ
シャツ/スタイリスト私物

時々、なぜか思い出す。

昔、お酒の席で、「黒い服が本当に似合うよね」とまわりから褒められた年上の女性が口にした台詞を。
「歳を重ねると誰でも黒が似合うようになるだけだよ」
その一言が引っ掛かって、そうかな、と内心首を傾げた。なぜなら私は昔から黒が似合わないからだ。でも、正しいのかもしれない。年齢的にまだ分からないだけで。それでリトルブラックドレスを着こなせるようになったらいいな。そう思った。

あれから十年近い時が流れて、似合う色は多少変わったものの、似合わない色はさほど変わらない。あいかわらず私が黒い服を着ると暗くて重たい印象になる。そして素敵な一点物のフォーマルドレスは大抵、黒だ。

だからちょっといい服が必要なときには何軒も回って、黒以外で似合う形を探すので、帰る頃にはくたくただったりする。
「誰でも黒が似合うようになるわけじゃないよ」
四十代になった今なら対等に言い合えるのにな、と苦笑する。

そんな私の偏愛は白い色に注がれている。

流行が変わるたびに少しずつ買い替える白シャツ、GUCCIのキルティングのチェーンバッグ、靴紐まで真っ白なZARAのハイカットスニーカー、何年もかけて買い集めたパールたち。

一昨年、作家生活二十年目の記念に買ったのはブシュロンのキャトルだった。

白い宝石といえば手入れに気を遣うパールしか思い浮かばなかったので、ゴールドにセラミックとはなんて画期的なのだろう、と思った。

セラミック部分の凹凸はホワイトチョコレートのようでいて、少し骨みたいにも見える。指に嵌めたキャトルが、いつの間にか、この体を日々支える骨格の一部になっている。

仕事で、日常で、心乱されることがあったときに白色を纏うと、いったんリセットされる気がする。白はすぐにたくさんの言葉で溢れかえってしまう私の感情をまっさらにしてくれる色だ。

疲れると、私はよく海を見に行く。泡立つ波打ち際も白い。

ここだけは誰も誘わずに一人で行くと決めている場所がある。

年に一度、スケジュールが空くと、旅行鞄を持ってその地へと赴く。三重県の鳥羽から伊勢をめぐる旅である。

新幹線の中で、韓国人作家ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳、河出文庫)を再読したときがあった。
「もしもあなたが生きているなら、私が今この生を生きていることは、あってはならない。」
という一節は、二人の子供を亡くした母親からのちに「私」が生まれたことに起因する。

自分の誕生以前に失われた姉と兄の命があって、彼らが生きていたならば自分は生まれてこなかったかもしれないという事実に、なぜ、どうして、と問いかけてもけっして答えは返ってはこない。

「私」はもし姉が生きていたらと想像して、自分と姉との生の交換を、本の中で試みる。

結局、それは不可能なのだが、今という時間の中で出会うことのなかった姉に対する慈しみが私の胸にも満ちていく。

静謐な言葉で綴られた「白い」記憶が、この世界に無数にある言葉にならぬ沈黙に光を与えている。

本の最後に著者はこう書き記している。

「揺らいだり、ひびが入ったり、割れたりしそうになるたびに、私はあなたのことを、あなたに贈りたかった白いものたちのことを思う。」

写真:きのことシルバーのリング
(下写真・上)キャトル ダブルホワイト リング スモール〈WG、ホワイトセラミック〉¥693,000・(下)キャトル ダブルホワイト リング ハーフ〈WG、ホワイトセラミック〉¥339,900(予定価格)/ブシュロン クライアントサービス(ブシュロン)

私はこの本を開くたびになぜか、すべての物事を説明して理解してもらう必要はないのだ、という安堵に包まれる。

遠い昔、色々あって自暴自棄になっていた年上の男性から、「僕に比べたら、あなたなんてちっとも孤独じゃない」という言葉を投げつけられたことがあった。

私はその瞬間に、ああ、自分はもうこの人にこの先死ぬまで心をひらくことはないだろう、と悟った。

すべての人の内側に等しく、きっと誰にも見せない白い領域がある。それを尊重することが愛だと思っていた。たとえ相手がいかに苦しい状況だったとしても、私の白い領域に勝手に色をつけたことは忘れられないだろう、と思った。

東京から遥々五時間近くかけて鳥羽駅に降り立つと、海沿いの道には浜焼きの店が立ち並んでいる。

昼から海を眺めて焼き牡蠣を食べてビールを飲み、お店の女性がサービスで出してくれた自家製の塩辛などを突く。えぐみもなく濃厚で甘い塩気がきいた烏賊はとても美味しい。

鳥羽の町には真珠の店が点在している。ほろ酔いで散歩がてらジュエリーを眺めて、繊細な色の違いを味わう。昨年はほんのり桜色を帯びた一粒パールのピアスを買った。

そして伊勢市内へ移動して一泊したら、翌朝から半日かけて伊勢神宮を参拝する。内宮を流れる五十鈴川の静かなきらめきは曇天でもくすむことなく美しい。

正式なお参りを済ませたら、神様に預けていくものがある。それは死者への祈りだ。

数年前、初めて伊勢を訪れた晩、たまたま、尊敬していた人の死を知らされた。それ以来、身近な人が亡くなると私は伊勢まで祈りに行く。そして真珠を買う。貝の体内で生成された真珠は小さな命そのもの、そして小さな死そのものだ。

葬送と心の整理を終えたら、艶やかな丸い光を旅行鞄にしまい、東京へ帰る。

家族や友達や馴染みのバーのマスターにお土産を渡したら、自分への贈り物はジュエリーケースの中にしまう。

白い物を、そういえば男性から贈られたことがほとんどなかった。

磁器の小皿、花束、帯締めといった白いプレゼントをくれたのは皆、女性だった。男性は大抵、自分の好きな色か、ピンクや水色なんかの愛らしい色を選ぶ。

一度だけ年下の青年から、何度かご飯をごちそうしたお礼に、白色の円形のケースにCHRISTIAN DIORのロゴだけが入ったハンドクリームをもらったことがある。

包み紙を開けたときに不意を突かれて、異性に白い物を送るのは意外と思い切った行為だな、と初めて気付いた。下手をすると考えずに選んだようにさえ見える、相手に対しての修飾語を持たない色だから。

私は、すごく素敵な物をありがとう、とお礼を言った。普段はどちらかといえばクールな彼がそのときには軽く力を込めて言った。
「売り場で見て、絶対にこれだと思ったんです」
後日、食器洗いを終えて乾いた手にクリームを塗りながら、私も誰かのための色を選んでみたいと思った。

画像:飛行機

最後に、ふと思い出した。

つい最近、長い付き合いの女友達が私のバッグを指さしたときのことを。
「本当に白いバッグが好きだよね。私は物の扱いが雑だし、白を選ぶなんて考えたこともないな」
たしかに若い頃は私自身、白いバッグや服や靴なんてすぐに駄目にしてしまうだろう、と敬遠していた。

大人になって手入れを覚えたんだな、としみじみ納得しかけたとき、突然、真逆の記憶が蘇った。

学生時代に短編小説を書いて、初めて賞をもらった。私はその賞金で服を購入した。

一目見て好きという気持ちだけで選んだ柔らかな肌触りのプルオーバーは、それこそ真っ白だったのだ。トリコロールカラーを模した赤と青のラインが袖に細く入っていた。

母の再婚相手の義父と折り合いが悪かった私は、血の繋がらぬ保護者の給与からではなく、正真正銘、自分のお金でそれを手に入れたことが誇らしく嬉しかった。自由って好きな服を遠慮なく選び取れることなんだ、と実感した。

そのプルオーバーは何度か着るうちにやっぱり汚してしまって、服としての寿命は短かった。

それでも私の記憶の中には、包装紙を開いた瞬間のまっさらな状態で、その服はある。あの鮮明な配色、きっぱりとした赤と青とを柔らかく包むような白が、今も自分の原点にある気がする。

島本理生プロフィール画像
作家島本理生

1983年、東京都生まれ。2001年「シルエット」が第44回群像新人文学賞優秀作に。2003年『リトル・バイ・リトル』で第25回野間文芸新人賞、2015年『Red』で第21回島清恋愛文学賞、2018年『ファーストラヴ』で第159回直木賞を受賞。ほかに『ナラタージュ』『憐憫』など著書多数。