「私にとっても、結構冒険でした」と、俵万智さんはほほえむ。
「私の今の歌の作り方は、日々の暮らしの中から小さな心の揺れを探してきて、それを種に紡いでいくというスタイル。こういうテーマで詠んでくださいと言われるのは苦手だし、あまり引き受けてこなかったので周囲にも驚かれました。けれど、写真を見て歌を紡ぐことを、題詠のひとつと捉えたら楽しめるかなと思ったのです。題詠とは、心の湖にぽちゃんと小石のように題が放り込まれたときに、広がる輪っかを見てそれが歌になるイメージ。写真が自分の心に飛び込んできて、どういう輪が広がるのか、静かに楽しんで観察するような時間がありました。歌ができてしまうと不思議よね、こうとしか言いようがない感じになっている」と、創作の過程を振り返った。
最近、ファッションに詳しい知人を得て、装うことをクリエイティブだと感じるようになったのも、この企画を引き受けるきっかけになったという。
「服を着るのも言葉を使うのも人間だけで、人が人であることのひとつの大きな要素。機能性だけを考えるなら同じものを着ていればいいけれど、デザインを考え、新しい着こなしを楽しむというところはやっぱり文化だと思うんです。短歌は、古くからある五七五七七という形にみんなが今の言葉を注ぎ込むことで千年以上続いてきたもの。ファッションにも似た側面があるのでは」。
早速、俵さん自身に生まれたての5首を解題していただいた。
意志を持つ人の瞳は美しい巴里の晶子と目があう水辺(1)
与謝野晶子をスーパーウーマンと評する俵さん。「晶子にとってのパリは大きな帽子に象徴されていただろうと思います。強い意志を持って生きることは内面の美しさを耕してゆく。それが外にあふれるのが瞳ではないでしょうか」。歌では、瞳と水面の輝きのイメージもつながってゆく。「湿原のところどころで光る深い水たまりを『谷地眼(やちまなこ)』といいます。水が目のようにキラキラと見える姿を表した、そんな素敵な言葉も思い出しました」
バスタブに眠る私はオフィーリアにはならなくて歌いつづける(2)
オフィーリアはハムレットの恋人。花輪とともに川に流され、歌を口ずさみながら死にゆくヒロインの姿を描いたミレーの《オフィーリア》の絵を重ねながら、歌にはある仕掛けが込められている。「バスタブに眠る私はオフィーリア」という上の句で、作中主体は一度オフィーリアに“なる”。そしてつながる下の句で、今度は「オフィーリアにはならなくて」と切り替わるのだ。「絵の中のオフィーリアのように、切なさや一途な愛を抱きしめながらも、写真の女性はその先を行く人であってほしい。未来に向かってもう一度立ち上がる姿を感じ、こういう歌になりました」
一着に一等賞の意味がありこの服ときるフィニッシュテープ(3)
「大事な一着って『よし、この季節の一等賞!』と気分が上がりませんか? 自分の一等賞がこの一着という気持ちでフィニッシュテープを切るような、そんな服のある季節ってすごく幸せだと思います」。ファッションから歌を詠むにあたり思い出したのが、野田秀樹作・演出の舞台作品『キル』だそう。「大好きな芝居で5回も見ました。切る、着る、KILLを重ねた彼一流の言葉遊びがあり、ファッション業界もテーマになっています。かつて見た芝居の言葉が伏流水のようになって今、湧いてきたのかもしれません。歌って、出てくるときは一瞬のように見えるんですけれども、一瞬の前にある長い時間がその言葉の重みを支えてくれるんです」
雪色のブーツで一歩を踏み出せば光のなかを歩いてゆける(4)
「雪って本来なら溶けてしまうけれども、それがブーツになることで、光に溶かされるのではなく、光の中を進んでいける」。日本各地で暮らした経験から、俵さんは雪の記憶をたどっていく。大阪に住んでいた頃は、降ればはしゃぐ対象だった雪。一方で福井の豪雪には自然の強さと怖さを感じた。「石垣島では玄関の靴箱に私のブーツを見つけた近所の小学生女子たちが、目をらんらんと輝かせ、奪い合うようにそれを履いて、わが家の廊下を行ったり来たりしていたのを思い出しました。みんな島ぞうりしか履かないし雪を見たことがない。ちょっと胸が熱くなるような光景でしたね。冬に冬らしい格好ができるって幸せだとも思いました。仙台に住む今、ブーツは自然の中で自分がきっちり大地を踏みしめて歩くための相棒といえるかな。それを雪色という自然の色で詠むのもなかなかいいな、と思いました」
たましいがレースまとって立っていた廊下は遠い日の滑走路(5)
「レースってきゃしゃで繊細で壊れやすいし、透けるような美しさはたましいの着るものにふさわしい。たましいそのものがレースのような感じもします。そして廊下は学校と外の世界の間にある。そこから羽ばたいていくイメージが滑走路と共通するのではないでしょうか」。俵さんは、もうひとつ種明かし、と言葉を継いだ。「この歌を詠むとき、心の中にあったのは『戦争が廊下の奥に立つてゐた』という渡辺白泉の無季俳句です」。日中戦争最中の1939年の作品。「とても怖い俳句です。まだ庶民は戦争を対岸のことのように思っているけれど、時代は傾き、2年後には太平洋戦争に突入してしまう。そのなんだか嫌な時代の空気を白泉が感じ取って、気がつけば戦争が廊下の奥に立っていた、と書いた」。まるで滑走路から戦闘機も飛び立つ現代を描いているよう。「そう、本当にそうなんです。私自身、彼のこの俳句を今の時代に警鐘を鳴らす新鮮な作品として、出会い直す——そうしたくはないけれど、出会い直さざるを得ない懸念を感じて詠んだところもあります。もちろん、壊れ物のようなたましいがレースをまとっていた思春期を思い出してもらってもいい。そこから飛び立って、自分はどういう空を今、飛んでいるのだろうか。考えてもらえる歌になっていれば、と思います」