俵万智が紡ぐ、珠玉の5首。稀代の歌人とモードが出合ったら 

“「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日”日本で最も知られるあの短歌の作者が、今季を象徴するルックの写真をもとに、珠玉の5首を紡ぎ出した。この歌は、きっと千年先まで残り続ける。

“「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日”日本で最も知られるあの短歌の作者が、今季を象徴するルックの写真をもとに、珠玉の5首を紡ぎ出した。この歌は、きっと千年先まで残り続ける。

シャネル

シャネルのコート、帽子
コート¥1,507,000・ジャケット¥1,498,200・スカート¥643,500・帽子¥731,500・ピアス¥134,200・ベルト¥219,500/シャネル

意志を持つ人の瞳は美しい巴里の晶子と目があう水辺

カメリアのブローチをあしらった大きなつばのハットから視線を上げる。その姿が想起させるのは歌人・与謝野晶子の、帽子をかぶったポートレート。ガブリエル・シャネルがノルマンディー地方の海辺の街、ドーヴィルに最初の帽子店を構えたのは1912年。晶子がシベリア鉄道でパリに渡ったのも奇しくも同じ1912年のこと。ベルトを締めたツイードのスーツにマキシ丈コートを羽織って。薔薇色の冬服を映す水辺は、二人の意志ある女の姿を重ね合わせる。

ロエベ

ロエベのトップス、パンツ
トップス¥139,700・パンツ¥90,200・バッグ〈H17×W18×D11〉¥1,030,700/ロエベ ジャパン クライアントサービス(ロエベ)

バスタブに眠る私はオフィーリアにはならなくて歌いつづける

歌人が連想したのは、ジョン・エヴァレット・ミレーの絵画《オフィーリア》。極小のキャビアビーズをレザーに刺しゅうし、花々を表現した「スクイーズバッグ」が、緻密な油彩の描写に重なる。『ハムレット』のヒロイン、オフィーリアは花輪とともに川を流れ、死出の旅をゆくけれど、チェックのプルオーバーとボクサーショーツで心地よくまどろむ彼女はきっと違う。前を向き立ち上がるポジティブな意志をルックに託して。

エルメス

エルメスのドレス
ドレス¥1,111,000・イヤカフ各¥52,800・ブーツ¥460,900(参考価格)/エルメスジャポン(エルメス)

一着に一等賞の意味がありこの服ときるフィニッシュテープ

「騎士の精神を持つバイカー」というテーマを掲げ、強く気高い女性が闊歩するさまを提示したエルメス。馬具のプリントが施されたバーガンディのシルクドレスで駆け出す姿に、「服を数える『一着』と、『一等賞』が同じ意味を持っているって、なんて素敵」と俵さん。自分にとって最高のプライズになる服でテープを"切る/着る"、季節の喜びを歌った。第二歌集『かぜのてのひら』に収められた一首もあわせて鑑賞したい。"疑わずトラック駆けてくる一人すでにテープのないゴールまで"

ドリス ヴァン ノッテン

ドリス ヴァン ノッテンのブーツ
(右)ドレス¥365,200・靴¥144, 100・(左)コート¥315,700・トップス¥56,100・ブーツ¥228,800/ドリス ヴァン ノッテン

雪色のブーツで一歩を踏み出せば光のなかを歩いてゆける

誰もが口ずさめる歌の一部分を借り、新しい言葉を加えて詠む、和歌の世界の「本歌取り」。ドリス・ヴァン・ノッテンによる最後のウィメンズコレクションは、彼らしいスタイルに現在のクリエイティビティを重ねるような、本歌取りさながらの万感のルックが揃う。俵さんが掬い上げたのは、光に透ける桃色、ベージュ、薄荷色のペールトーンのレイヤード。過去に出合ったさまざまな雪の様相を心に描きながら、前を進んでゆく歌が生まれた。

クロエ

クロエのレースブラウス
ブラウス¥633,600・パンツ¥180, 400(参考価格)・ベルト¥176,000/クロエ カスタマーリレーションズ(クロエ)

たましいがレースまとって立っていた廊下は遠い日の滑走路

デリケートなシフォンレースを重ねたシースルーブラウスに、現代のフェミニニティを託したクロエの新クリエイティブ・ディレクター、シェミナ・カマリ。この儚げなレースを、たましいにまとわせた俵さん。薄衣のまま飛び立ったかつての自分は、美しい平和の空を羽ばたいているだろうか、とずっと問いかけ続ける歌になるはず。次ページからの作者自身による解題とともに、味わってほしい。

ファッションフォトから紡いだ5首の短歌について、歌人・俵万智さんが自ら語り、解題する

俵万智が紡ぐ、珠玉の5首。稀代の歌人とモの画像_6

「私にとっても、結構冒険でした」と、俵万智さんはほほえむ。

「私の今の歌の作り方は、日々の暮らしの中から小さな心の揺れを探してきて、それを種に紡いでいくというスタイル。こういうテーマで詠んでくださいと言われるのは苦手だし、あまり引き受けてこなかったので周囲にも驚かれました。けれど、写真を見て歌を紡ぐことを、題詠のひとつと捉えたら楽しめるかなと思ったのです。題詠とは、心の湖にぽちゃんと小石のように題が放り込まれたときに、広がる輪っかを見てそれが歌になるイメージ。写真が自分の心に飛び込んできて、どういう輪が広がるのか、静かに楽しんで観察するような時間がありました。歌ができてしまうと不思議よね、こうとしか言いようがない感じになっている」と、創作の過程を振り返った。

最近、ファッションに詳しい知人を得て、装うことをクリエイティブだと感じるようになったのも、この企画を引き受けるきっかけになったという。

「服を着るのも言葉を使うのも人間だけで、人が人であることのひとつの大きな要素。機能性だけを考えるなら同じものを着ていればいいけれど、デザインを考え、新しい着こなしを楽しむというところはやっぱり文化だと思うんです。短歌は、古くからある五七五七七という形にみんなが今の言葉を注ぎ込むことで千年以上続いてきたもの。ファッションにも似た側面があるのでは」。

早速、俵さん自身に生まれたての5首を解題していただいた。

意志を持つ人の瞳は美しい巴里の晶子と目があう水辺(1) 

与謝野晶子をスーパーウーマンと評する俵さん。「晶子にとってのパリは大きな帽子に象徴されていただろうと思います。強い意志を持って生きることは内面の美しさを耕してゆく。それが外にあふれるのが瞳ではないでしょうか」。歌では、瞳と水面の輝きのイメージもつながってゆく。「湿原のところどころで光る深い水たまりを『谷地眼(やちまなこ)』といいます。水が目のようにキラキラと見える姿を表した、そんな素敵な言葉も思い出しました」

バスタブに眠る私はオフィーリアにはならなくて歌いつづける(2) 

オフィーリアはハムレットの恋人。花輪とともに川に流され、歌を口ずさみながら死にゆくヒロインの姿を描いたミレーの《オフィーリア》の絵を重ねながら、歌にはある仕掛けが込められている。「バスタブに眠る私はオフィーリア」という上の句で、作中主体は一度オフィーリアに“なる”。そしてつながる下の句で、今度は「オフィーリアにはならなくて」と切り替わるのだ。「絵の中のオフィーリアのように、切なさや一途な愛を抱きしめながらも、写真の女性はその先を行く人であってほしい。未来に向かってもう一度立ち上がる姿を感じ、こういう歌になりました」

一着に一等賞の意味がありこの服ときるフィニッシュテープ(3) 

「大事な一着って『よし、この季節の一等賞!』と気分が上がりませんか? 自分の一等賞がこの一着という気持ちでフィニッシュテープを切るような、そんな服のある季節ってすごく幸せだと思います」。ファッションから歌を詠むにあたり思い出したのが、野田秀樹作・演出の舞台作品『キル』だそう。「大好きな芝居で5回も見ました。切る、着る、KILLを重ねた彼一流の言葉遊びがあり、ファッション業界もテーマになっています。かつて見た芝居の言葉が伏流水のようになって今、湧いてきたのかもしれません。歌って、出てくるときは一瞬のように見えるんですけれども、一瞬の前にある長い時間がその言葉の重みを支えてくれるんです」

雪色のブーツで一歩を踏み出せば光のなかを歩いてゆける(4) 

「雪って本来なら溶けてしまうけれども、それがブーツになることで、光に溶かされるのではなく、光の中を進んでいける」。日本各地で暮らした経験から、俵さんは雪の記憶をたどっていく。大阪に住んでいた頃は、降ればはしゃぐ対象だった雪。一方で福井の豪雪には自然の強さと怖さを感じた。「石垣島では玄関の靴箱に私のブーツを見つけた近所の小学生女子たちが、目をらんらんと輝かせ、奪い合うようにそれを履いて、わが家の廊下を行ったり来たりしていたのを思い出しました。みんな島ぞうりしか履かないし雪を見たことがない。ちょっと胸が熱くなるような光景でしたね。冬に冬らしい格好ができるって幸せだとも思いました。仙台に住む今、ブーツは自然の中で自分がきっちり大地を踏みしめて歩くための相棒といえるかな。それを雪色という自然の色で詠むのもなかなかいいな、と思いました」

たましいがレースまとって立っていた廊下は遠い日の滑走路(5) 

「レースってきゃしゃで繊細で壊れやすいし、透けるような美しさはたましいの着るものにふさわしい。たましいそのものがレースのような感じもします。そして廊下は学校と外の世界の間にある。そこから羽ばたいていくイメージが滑走路と共通するのではないでしょうか」。俵さんは、もうひとつ種明かし、と言葉を継いだ。「この歌を詠むとき、心の中にあったのは『戦争が廊下の奥に立つてゐた』という渡辺白泉の無季俳句です」。日中戦争最中の1939年の作品。「とても怖い俳句です。まだ庶民は戦争を対岸のことのように思っているけれど、時代は傾き、2年後には太平洋戦争に突入してしまう。そのなんだか嫌な時代の空気を白泉が感じ取って、気がつけば戦争が廊下の奥に立っていた、と書いた」。まるで滑走路から戦闘機も飛び立つ現代を描いているよう。「そう、本当にそうなんです。私自身、彼のこの俳句を今の時代に警鐘を鳴らす新鮮な作品として、出会い直す——そうしたくはないけれど、出会い直さざるを得ない懸念を感じて詠んだところもあります。もちろん、壊れ物のようなたましいがレースをまとっていた思春期を思い出してもらってもいい。そこから飛び立って、自分はどういう空を今、飛んでいるのだろうか。考えてもらえる歌になっていれば、と思います」

俵 万智プロフィール画像
俵 万智

たわら まち●1962年大阪府生まれ。’87年、第一歌集『サラダ記念日』を出版、ベストセラーとなる。歌集に『チョコレート革命』『未来のサイズ』『アボカドの種』『あとがきはまだ 俵万智選歌集』、評論『愛する源氏物語』『牧水の恋』など著書多数。

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