12年間ダンスに身を捧げたあと、デザインに転向したモード界のエトワール、アラン・ポール。コンテンポラリーダンスの形而上学的視点で掘り下げたクリエーションでは、テーラードピースが姿勢を正し、流動的な彫刻ともいえるドレスが体に自由な動きを与える

【ALAINPAUL(アランポール)】ダンスからファッションへ、ラグジュアリーな前衛
12年間ダンスに身を捧げたあと、デザインに転向したモード界のエトワール、アラン・ポール。コンテンポラリーダンスの形而上学的視点で掘り下げたクリエーションでは、テーラードピースが姿勢を正し、流動的な彫刻ともいえるドレスが体に自由な動きを与える
1989年、香港生まれ。父はフランス人、母はデンマーク系ブラジル人。8歳で家族と共に南仏に移住し、マルセイユ国立高等バレエ学校へ。パリに移りファッションを学び、2014年より3年間、ヴェトモンでデムナに師事。その後ルイ・ヴィトンでヴァージル・アブローのデザインチームに加わった。2023年に自身の名を冠したブランドをローンチした。
コレクションの構想は、コレオグラフィーに見立てて
「私の服のアイデンティティは、着たときの姿勢と動きにあると思います。意図するのは、服に固定観念とは違う形を与えることなんです。コレクション作りでは、色や形でまとめたグループがどう融合するか、それぞれのエネルギーがどう作用するかを考えます」。アラン・ポールは、開口一番そう語った。端正な顔立ちに凛とした佇まい。元ダンサーのアランは、コンテンポラリーダンスの概念を服に置き換える。
「コレオグラフィーは言葉を使わずに、動きだけで発するメッセージ。私が作るコレクションは、コレオグラフィーそのものです。クレッシェンドに上り詰めたあとは、静寂に戻る。まるで感情の浮き沈みですね」。哲学的なアプローチをするだけあって、アランが尊敬するコレオグラファーの一人は、クリスタル・パイト。「彼女の、人間関係やそこから生まれる感情を模索して生み出す振り付けに惹かれるんです」
バレエにのめり込みながらも
衣装作りへの萌芽が生まれて
姉の影響で6歳からクラシックバレエを習い始めると、アランはすぐに夢中になった。2年後に移り住んだ南仏の街では女子専門のコースしかなかったため、母親がリサーチの末に見つけたのが、近郊マルセイユの国立高等バレエスクール。パリ・オペラ座とも縁が深く、当時はローラン・プティがディレクターを務めていた、権威ある学校だ。アランはここの試験に合格し、入学。厳しいレッスンに明け暮れる一方、ファッションにも興味を持つようになった。
14歳の頃には学生としてのコレオグラフィーのプロジェクトで、複数のTシャツをつなぎ合わせ、奇妙なフォルムの衣装を製作。これが服作りの第一歩となった。転機が訪れたのは、17歳の頃。怪我のため3カ月間踊れず、閉ざされたダンスの世界から離れていた間に、自分を一新するにはどんな可能性があるか、自問自答した。その結果ダンス学校を辞め、パリに出てファッションを学ぶことを決意したのだ。
その後ヴェトモンを準備中のデムナと知り合い、インターンとしてブランドのローンチに関わったのに続けて、3年間アシスタントを務める。ルイ・ヴィトンでもヴァージル・アブローの初シーズンからデザインチームに加わるなど、幸運に恵まれた。
ダンスの厳格さを象徴するテーラードピース
初コレクションではまず、構築的な服で表現できるジェスチャーを探った。
「立つこと自体がすでにポーズで、動きの一つだから、一見静謐なテーラードピースのプロポーションを追究することに興味があります。ミニマルな形ながら、鎖骨をなぞるように入れたダーツが生み出す肩の微妙なボリュームは、それ以降私のシグネチャー。また、正確さを必要とするテーラードは、ダンサーの世界の鍛錬や厳しさの比喩でもありました」と、アラン。逆に、体の動きを大胆に見せるのは、摘んだり結んだりといった実験的な技巧を取り入れた、ドレスの一連。特に無数のストッキングをつなげたトップスはサステイナブルな観点もアピールし、今年LVMH賞のファイナリストとしてのプレゼンテーションで注目された。
2026年春夏コレクションのテーマは、“オーディション”。
「8歳で受けた初めてのオーディションの記憶は、今でも強烈に残っています。オーディションは、ダンサーなら避けて通れない道。数分間でのジャッジに身を任せて、自身を脆く感じる。コレクションにはそんな感受性を反映させました。ショー会場でまるで審査員のようにテーブルについたゲストたちに、参加型のイマーシブな体験を提供したかったんです」と、目を輝かせる。コレオグラフィーの奥義とダンサーの心理に精通したアラン。コンテンポラリーダンスの衣装を手がける日はそう遠くないかもしれない。






