エルメスの名作「ナンタケット」。名前の由来は、アメリカ東海岸のケープコッド沖に浮かぶ島。先住民族であるワンパノアグ族の言語で、「遠い島」を意味する言葉だ。
「何もかも放り投げて、遠い島に行けたなら」。気持ちがいっぱいいっぱいなとき、漠然とそう思うことがある。とはいえ明確に行きたいところがあるわけではない。そもそも本当に行きたいのかさえも定かではない。けれどもこのめまぐるしい日常からプツンと切り離されて、別世界に飛んで行きたい気持ちに駆られることがある。そんなとき、どうやら私は海の見える島に行きたくなるらしい。
盆地で生まれ育ったせいか、昔から海のある地に憧れがある。そういえば好きな映画も、海の風景で始まるものが多い。『ニュー・シネマ・パラダイス』のシチリアの海、『ビフォア・ミッドナイト』のイオニア海、『希望のかなた』のヘルシンキの港。どの作品も、海の穏やかな表情に惹き込まれる。
アニメだけれど『魔女の宅急便』に出てくる海もまた素晴らしい。13歳で独り立ちしたキキが、海に浮かぶ大きな町で経験する、初めてのひとり暮らし、出会いと挫折、そして成長。トンボとの初デートで海を見に来たキキが心を開き始めるシーンは、何度観てもグッとくる。「私ちょっと自信をなくしていたの。でも今日ここへ来て良かった。海を見てると元気になれそう」昔から繰り返し聞いている台詞だが、子どもの頃には知り得なかったキキの心の機微に、今改めて胸がいっぱいになる。
キキが新天地で奮闘する姿を見ていると、上京したての頃の自分が重なる。気負い過ぎる癖はいまだに直らないし、強がるわりには繊細なところも、くるりの『東京』が好きなところも、あいかわらず。ただ何十年もこの厄介な性格とつき合っていると、徐々に折り合いをつけられるようにはなってきた。うんざりすることはあっても、自分自身を否定することはなくなったように思う。もちろん落ち込むこともたくさんあるけれど、そんなときは心の海に浮かぶ「遠い島」に一時避難するのだ。
頑張っているつもりでも、どうにもうまくいかないことだらけの日々。つまずいて俯いてしまうとき、ふと視界に入ってくるのが「ナンタケット」という遠い島への羅針盤だとしたら、束の間の逃避行もきっとプレシャスな時間になるだろう。縦長のスリムなケースに、秒針も目盛もない、極限まで要素を削ぎ落としたミニマルな文字盤。そこに、メゾンを象徴する「シェーヌ・ダンクル(船の錨のチェーン)」モチーフから着想したタイポグラフィーが並び、楽しげに時を刻みながら持ち主に語りかける。「時刻なんて正確にわからなくても大丈夫。肩肘張らなくてもいいんだよ」。
「ナンタケット」が誕生した1991年は、私が小学校に入学した年。期待よりも不安でいっぱいだった引っ込み思案なあの頃を思い出す。今年もまた始まりの季節がやってくる。世の中に前向きな言葉が飛び交っていても、周りがどんなに溌剌としていても、別に下を向いたっていいじゃない。視線の先では、いつでもとびきりの相棒が錨を上げて待っている。ときにさまよい、ときには追い風を受けながら、「遠い島」への航海へと軽やかに旅立とう。
エルメスジャポン
https://www.hermes.com/
03-3569-3300