昔から列を作るのが苦手な私は、極力並ぶことを避けて生きてきた。でも、心のどこかでは、もしかしたらこれまで並ぼうとしなかったせいで、多くの貴重な体験を逃してきたのかもしれない、とも思っている。
例えば、炎天下で汗だくで順番を待ち、不快度マックスの状態で差し出された粉雪みたいなかき氷を、口に含んだときの天にも昇るような幸福。数時間待ちのアイドルの握手会でやっと本人と対面し、やわらかい手にそっと触れた瞬間の鳥肌が立つような昂り。いずれにしても、辛抱強く長蛇の列に並んだ人だからこそ、たどり着ける境地なのだろうと思う。
たったひとつの、しかも、ものの数分で終わってしまうことをやり遂げるために、暑さにも空腹にも退屈にも耐えて、ただひたすらそのときを待つ。自分の前と後ろにいるのはまったく見ず知らずの人たちで、どこからきたのかさえわからない。けれどもみんな同じ目的のもとに集い、今その場所で、行列の一部になる。滅多なことでもない限り、その列が乱れることはなく、割り込まれる心配もない。そこにあるのは、秩序と調和だ。
人気のかき氷店なのか、推しの握手会なのか、はたまた、いつも素通りしていた近所で評判のラーメン屋なのか……。もしもこの先、何かしらの平和的な行列に参加する機会があるとするなら、そのときに身につけたいジュエリーはこれだと確信している。
パヴェダイヤモンドの「小さく前へならえ」
一列に正確に配置されたパヴェダイヤモンドを見ると、小学生の頃に学校でよくやった「小さく前へならえ」が浮かんでくる。朝の全校集会や運動会、遠足など、何かにつけて整列を求められた小学生時代だった。「前へならえ!」という先生の号令がかかると、最前列以外の児童は両手をまっすぐ前に伸ばし、前の人との間隔を調整する。すばやく動かなければ、「そこ、もたもたしない」という先生の声がとんでくる。
これに対して、肘を90度に曲げた状態で間隔を狭めるのが「小さく前へならえ」。数十名の児童が真剣な表情でいっせいに電車ごっこのようなポーズをとり、ぎゅっと短縮された一列に身を寄せ合う。その行為自体にどんな意味があったのかはいまいちよくわからないし、そもそも並ばされること自体が好きではなかったが、「小さく前へならえ」のときだけは、先生の号令も心なしか控えめに感じられた。
連載「寝ても覚めてもきらめきたいの」:SPURエディターがパーソナルな感情とともに綴るジュエリーエッセイを堪能して。