ヒロシマへひとりっPeaceトリップ。“知る”ことの大切さを痛感。百聞はこの一旅に如かず。

ひとりっP、中学・高校とも、修学旅行先は広島ではありませんでした。仕事で少し行ったことがあるだけ。
 
2021年に、一度ちゃんと旅してみよう、と出かけてみたらば。
 
「ええーー! いや、市電って、電車ってか、トラムじゃん! ヨーロッパ!??」から始まり、「ちょっと待って。なんで海にこんなにいっぱい島が浮かんでるの!?」「てか、波なさすぎ!」(注:ひとりっPは荒れがちで島もめったにない北陸日本海側育ち)「なんか川多いよね!? え! だから地下鉄じゃなくてトラムなの!?」←目からウロコの連続でした。
 
そして、いちばん深く印象に残ったのは、やはり、原爆に関するもろもろです。

ひとりっP、中学・高校とも、修学旅行先は広島ではありませんでした。仕事で少し行ったことがあるだけ。
 
2021年に、一度ちゃんと旅してみよう、と出かけてみたらば。
 
「ええーー! いや、市電って、電車ってか、トラムじゃん! ヨーロッパ!??」から始まり、「ちょっと待って。なんで海にこんなにいっぱい島が浮かんでるの!?」「てか、波なさすぎ!」(注:ひとりっPは荒れがちで島もめったにない北陸日本海側育ち)「なんか川多いよね!? え! だから地下鉄じゃなくてトラムなの!?」←目からウロコの連続でした。
 
そして、いちばん深く印象に残ったのは、やはり、原爆に関するもろもろです。

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平和記念公園では、驚き、考えさせられ、時間足りず。結局立て続けに3回訪問。
原爆ドームでは、ボランティアガイドのかたの説明に、えーー!? 知りませんでした! を連発。
 
広島が、こんなにも奥深くて貴重な場所だったなんて。わかっているようで、全然わかってなかった!

以来、全日本人が一度は行くべき! もちろん、できたら全人類も! と強く思っています。
 
原爆投下から80年。世界のあちこちで核を巡る情勢がより一層センシティブな今こそ、“ヒロシマ”を実際に体験することの重要性を、声を大にして言いたい。
 
ひとりっPの “ヒロシマ” 体験が、みなさまにとって、なにかのメッセージになればと思い、『ひとりっぷ5〜いくぜ! ニッポン編〜』に掲載した【広島編】から、広島ひとりっPeaceとりっぷ部分を抜粋&加筆して、お届けします。

原爆にまつわるスポットをめぐる。すべてに驚きのストーリーがありました

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平和記念公園。テレビでは何度も見ているけれど、実際に来てみたら、想像以上に広い。それは、爆心地エリアをまるごと公園にしたから。

広島平和記念資料館。音声ガイドを借りて、ひとつひとつ順番に追っていたら、2時間かけても半分しか見終わらず。閉館時間になってしまったので、残りを見るために、2か月後に再訪。ボランティアガイドのかたがいらっしゃると気づき、お願いしたら、さらに深いお話が聞け、こちらの疑問、質問にも答えてくださり、本当に勉強になることしかなく。ほかにもいろいろな無料プログラムや展示があるとわかり、結局2日連続で訪問。それでようやく、資料館の隅々までの閲覧が完了。

ボランティアのかたがたが、何人も、普通に、原爆ドームも含め、関連施設あちこちで活動されている事実。広島市の平和教育の真剣さ。自分がこんなにも知らなかったことに驚いたし、知ることができてよかったと思うし、まだまだ勉強するべきだとわかりました。ヒロシマが日本にあることの意味について、以来ずっと、考えています。

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【広島平和記念資料館】閉館時間まで見学していて、夜はライトアップが美しいことに気づきました。静かな、祈りの灯りです。
 
建物は1955年竣工。70年も前のデザインとは思えないモダニズム建築です。平和記念資料館としてふさわしい、抑えた壮麗さ、神秘性のあるたたずまい。誰が設計したのか?と思ったら、丹下健三氏なんですね。国の重要文化財に指定されているのに納得です。
 
こちらへの入場料はわずか¥200。できるだけ多くの人に見てもらいたいという広島市の意思なんだろうなと。ひとりっPは、すべてを見たいし見なくてはと思い、最終的に3日間通いました。時間にして計7時間ほどでしょうか。それでも、¥600ですよ。ここを訪れるなら、ぜひ隅々までの体験閲覧を。世界にただひとつの、ここでしか見られない、人類が知っておくべき貴重な資料があります。
 
毎日、資料館内ビデオシアターで開催されている被爆体験伝承講話/家族伝承講話も必聴です。被爆体験者のかたがたがどんどん減っていく中、そのかたたちから直接被爆体験を聞き取ったかたが、伝承者として話をしてくださいます。この取り組み自体が本当にすばらしいし、伝承とは思えない、リアルなお話しを聴くことができるのもすばらしい。ちなみに、このビデオシアターは、なんと入場無料なんですよ。ここにも、広島市と広島市民の意思を感じます。
 
広島平和記念資料館の公式WEBサイト

【国立広島原爆死没者追悼平和祈念館】

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【国立広島原爆死没者追悼平和祈念館】「国立」との名称に、平和記念公園内の施設は、ここ以外は資料館も含めて、すべて広島市立なんだと気づきました。こちらが唯一の国立施設で、原爆で亡くなったかたがたを追悼するための建物です。
 
外観に反して、内部は静謐な神殿のようなデザイン。こちらも設計は丹下健三氏です。
 
訪問時にここで上映されていたムービー『わが命つきるとも 被爆に立ち向かった神父たちのものがたり』を視聴。原爆投下前後に、当時広島にいた神父さまたちがどのような被害に遭い、どのような活動をおこなったのか。ものすごく勉強になりました。
 
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の公式WEBサイト

【広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)】

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【広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)】平和記念公園内にある、有名な慰霊碑です。碑に刻まれている「安らかに眠って下さい  過ちは繰返しませぬから」という一文は、何度読んでも、グッときます。
 
「この平和記念公園はほぼ爆心地で、被爆時の地面に数十センチ盛り土をして造成したんです」とボランティアガイドのかたから聞いて、公園に対する意識が大きく変わりました。ここは、憩いの場としての公園ではない。祈りのための場所なのだと。
  
記念碑のアーチの奥には原爆ドームが見えるように設計されています。そのために、平和記念館からこの記念碑へは緩い下りスロープになっていると、ボランティアガイドのかたが教えてくださいました。こちらも設計は丹下健三氏。
 
広島市公式WEBサイト内の平和記念公園のページ

【原爆ドーム】

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【原爆ドーム】原爆投下で被爆し、現存している建物は「被爆建物」と呼ばれています。ということを、広島への初めての旅で知りました。どの建物が被爆建物なのかは、広島市民にとっては誰でも知っている常識、ということにも驚きました。その代表が原爆ドーム。
 
付近にボランティアガイドのかたが何人もいらして、「お時間に合わせてお話しさせていただきますよ」と。ひとりっP、そのときは15分くらいしか時間がなかったのですが、15分でもかなりいろいろな説明を聞けて、勉強になりました。生の言葉が持つ、伝える力ってすごい。そして、原爆ドームのまわりに崩れ落ちているがれきは、原爆投下時に崩れた状態のままと聞いてびっくり。ドームを見る目線が変わりました。
 

原爆ドームについての広島市公式WEBサイト

【平和記念公園レストハウス】

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【平和記念公園レストハウス】平和記念公園の東端、元安橋のたもとにあるレトロモダンな『レストハウス』。原爆投下時までは呉服店だった建物を近年修復。館内の被爆の痕跡を見学できます。
 
ひとりっPは、2022年に、レストハウスで申し込める、原爆投下前後をVRで体験できる『ピースパークツアーVR』(有料)に参加したんですが、本当に参加してよかったです。まさに実際の現場での没入型原爆バーチャル体験。原爆投下ってこんなだったんだ! とリアルに自分ごととして捉えられるようになりました。
 
平和記念公園レストハウスの公式WEBサイト

【爆心地跡】

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【爆心地跡】『ピースパークツアーVR』で原爆バーチャル体験をしたあと、あれ? 爆心地ってどこ? と気になり、検索して出かけたのがこちら。
 
原爆は、この上空約600m地点で炸裂しました。現地には、ひっそりと小さな碑が。この碑がある島内科医院は、戦前からこの場所にあり、原爆で壊滅。ただ、院長は往診で遠方にいたため無事。市内に戻ったのち医療活動に奔走。跡地に医院を再建し、今もここに島医院があると。この病院自体が爆心地そのものを象徴しているんだなと、理解しました。

【袋町小学校 平和資料館】

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【袋町小学校 平和資料館】平和記念資料館で被爆建物という存在を知り、さらには、広島市民は、どれが被爆建物なのかを常識として知っていると知り、「ちょっと待って。原爆投下後に完全倒壊消失を免れて現存している建物って、原爆ドーム以外にもあるんですね! すごい! ほかの被爆建物って、どんなものがあるんですか?」と地元の人に聞いたら、「小学校もあるよ」と言われ、びっくり。
 
検索したら、被爆建物である旧校舎の一部を保存&公開している小学校が2校もあるとわかり、訪問を決意。そのうちの1校が、こちらの袋町小学校です。
 
1937年(昭和12年)に建てられた当時最先端の鉄筋コンクリートの校舎は、原爆投下直後から救護所に。戦後、校舎を補修して使っていたそうで、最先端の鉄筋とはいえ、そんな丈夫だったの!? とびっくり。20年ほど前、校舎建て替えの際に詳細に調査したところ、塗り重ねられた壁の下から、安否を尋ねる伝言板代わりに使われた壁など、当時の様子を伝える数々が見つかったと知り、また驚愕。それらが資料館として公開されています。
 
広島市立袋町小学校の公式WEBサイト

【本川小学校 平和資料館】

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【本川小学校 平和資料館】被爆建物の小学校2校のうちの、もう1校がこちらです(※写真矢印地点)。1928年(昭和3年)に建てられた鉄筋コンクリート校舎は、原爆でかろうじて倒壊を免れ、戦後、残った校舎を修理修復し学校を再開。1988年の校舎の建て替えにあたって、被爆建物である旧校舎の一部を保存・公開しています。
 
本川小学校では、原爆投下時に校内にいた児童・先生らはほぼ全員亡くなりましたが、2名だけが奇跡的に助かったそう。そのうちの児童1名のその後が報告展示されています。後年、被爆体験を語る活動をされていたんですね。
 
そして、戦前に鉄筋の小学校が複数あったなんて、すごくない??! 普通は木造では??! ここなんか、昭和3年だよ!?? と、金沢市出身ひとりっPは地元を思い出しながら思ったのですが、広島は“軍都”だったため、当時の日本の中でもかなり進んでいたそうです。平和記念資料館のボランティアガイドのかたが教えてくれました。だからこそ、原爆の標的地にされてしまったと。本当に勉強になることしかない広島旅!
 
 ※広島市立本川小学校の公式WEBサイト

【旧日本銀行広島支店】

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【旧日本銀行広島支店】爆心地からわずか380mしか離れていなかったのに、倒壊を免れた旧日銀ビル。堅牢な造りには感心しかありません。
 
現在、建物は広島市に寄贈され、内部が一般公開されています。なんと、原爆投下2日後の8月8日には銀行業務を再開していたと聞き、驚嘆!
 
ひとりっPが訪問したときは、地階にて、海外移民を多く出した広島の、移民の歴史に関しての資料が展示されていて、南米&ハワイともヘビーリピーターのひとりっP、そちらも非常に興味深く、じっくり読み込んでしまいました。
 
旧日本銀行広島支店についての広島市のWEBサイト

【幟町(のぼりちょう)教会】

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【幟町(のぼりちょう)教会】国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で上映されていたムービーの中で取り上げられていて、こんな教会があるのか! と気になって訪ねました。
 
原爆・戦争の犠牲者への追悼と世界平和を願って、世界中からの協力で1954年に建てられた聖堂(世界平和記念聖堂)は、日本生命日比谷ビル、目黒区総合庁舎、ザ・プリンス箱根芦ノ湖などを手掛けた、村野藤吾氏の設計。ストイックで繊細なデザインがすばらしいです。内部の撮影は禁止だったためご紹介できないのですが、ステンドグラスが非常に美しい。一見の価値ありです。こちらも、国の重要文化財に指定されています。
 
幟町教会の公式WEBサイト

【市電】

広島 市電

【市電】広島市民の足=市電が、なんと、原爆投下の3日後には運行を再開した、というのを、参加した『ピースパークツアーVR』で知り、衝撃を受けました。
 
文字どおり壊滅的状況だった中、どうやってそんなにすばやく再開したのか。市電の再開は当時の人々をめちゃくちゃ元気づけたに違いなく。この事実を知って以来、自分の中の市電を見る気持ちがまったく変わりました。
 
現在、いくつかのタイプの車両が運行していますが、レトロな車両がわりと多く走っているのがいいんですよね。やってくるのを見かけると、ををっ!と激写してしまいます。こちらの車両は、広島電鉄の公式サイトによると、1957年製造のもの。1978年に京都市電が廃止となった際に京都市交通局から購入した車両だそう。なんと愛称(があるんですね)は「金閣」!

【平和大通り】

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【平和大通り】広島市内を貫く平和大通り。街路樹が、すごく大きくて立派だなあ〜と思っていたのですが。
 
平和記念資料館を見学中に、「戦後、平和記念公園と平和大通りの整備にあたって、資金がなかったので、全国から樹木の寄贈をつのった」とボランティアガイドのかたから聞いて、「ああ! それで!」。平和記念公園内の樹木によく「植樹」のフダが付いているなあ、と思っていたんですよ。めちゃくちゃ納得。意義深い街路樹だと知りました。

ひとりひとりの“ヒロシマ”体験が、平和への道になる

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広島出身の友人がいます。
 
「8月6日は、当然、学校の登校日だった」「小学校のときから、平和教育は繰り返しものすごく受けてきた」と言い、8月6日には、「広島にいないのはありえない」と、毎年必ず帰省しています。
 
百聞は一旅に如かず。
 
ヒロシマへの旅こそは、これに尽きます。

2022年の夏、長崎へひとりっぷに出ました。
 
滞在最終日が8月9日。原爆投下時間の11時02分を迎えたのは、市内中心部のバス停前でした。防災無線からのアナウンスと1分間のサイレン、そして地元のかたがたと並んでの黙祷には、ほんとうにグッとくるものが。今日、長崎にいられて、この瞬間を体験できてよかったとココロの底から思いながら、「8月6日は絶対に広島に帰省する。だって、みんなの命日だから」との友人の言葉を思い出していました。
 
そして、長崎原爆資料館に書かれていたメッセージは、「長崎を最後の被爆地に」

まさに。これがすべてです。
 
なんでうちは修学旅行が広島じゃなかったんだ!? 広島への修学旅行はマストでしょう! 平和教育大事! と思いつつ、大人になってから、今来たからこそ感じられたこともものすごくある。大人も絶対に来るべき、と強く思っています。
  
ひとりひとりが、自身で“ヒロシマ”のリアルを体験すること。それが、そのまま平和への道につながります。
 
全日本人、全人類が訪ねるべき場所。
 
Have a nice ひとりっ Peaceとりっぷ to ヒロシマ!
ぜひとも、一度は!
 

※もちろん、広島旅の魅力は、ほかにもたくさんあります。そんな広島旅について、そして日本の国内旅についてのひとりっPの推し情報は、『ひとりっぷ5〜いくぜ! ニッポン編』にて、たっぷりとご紹介しています。ご覧いただけたらうれしいです。

ひとりっPプロフィール画像
ひとりっP

ひとりっPこと編集Pことフクイユミコ。元SPUR編集長。女性のひとり旅を「ひとりっぷ」と名付けて応援中の編集者。会社員にもかかわらず、海外ひとり旅歴25年以上、回数400回超え(全部自腹)の旅バカ。おもな渡航先は、香港180回、台湾60回、タイ&シンガポール各40回、サンフランシスコ30回、中国30回、ハワイ30回、中南米各国40回、カリブ諸国30回、中近東10回など。現在年間25回ほど(全部プライベート)海外渡航。あまりの頻度に、日本入国時に密輸を疑われたことも。その圧倒的実体験をもとにした女子ひとり旅指南本『今日も世界のどこかでひとりっぷ』『明日も世界のどこかでひとりっぷ2~秘境・絶景編~』『昨日も世界のどこかでひとりっぷ3~“弾丸・無茶旅編”~』『今日も世界の果てまでひとりっぷ4〜爆バイイング編〜』に続き、初の国内編『昨日も世界の果てまでひとりっぷ5〜行くぜ、ニッポン編〜』が好評発売中。5冊とも、文・写真はすべて本人が担当。

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