夢へ向けてもう一歩。宇宙飛行士、向井千秋さんが次世代に伝えたいこと

1985年に日本人女性初の宇宙飛行士に選ばれ、スペースシャトルに2度搭乗した向井千秋さん。その後も国内外の大学で教鞭をとり、現在は東京理科大学特任副学長を務めるなど、70歳を過ぎた今も最前線で活躍している。医師、さらに宇宙飛行士と、大きな夢を2つも叶えながら、なおも精力的に活動し続ける向井さんのことばには、現代社会をポジティブに生きるヒントが詰まっている。

「日本人女性初」の宇宙飛行士と呼ばれて

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向井さんは昭和27年(1952年)、群馬県館林市で4人きょうだいの長女として生まれた。父は中学校の理科の先生、母は刺しゅうの技術を活かし、鞄店を営んでいた。戦後間もない頃で、生活は裕福ではなかったが、「勉強したいことがあればどんどんやりなさい」と背中を押してくれる両親だった。

向井さんの弟は、幼い頃から股関節に難病を抱えていた。装具をつけなければ歩行が難しく、それが理由でいじめられる姿を見て、病気で苦しむ人を助けたいと思うようになった。「将来は医者になりたい」小学校4年生のときに作文に書き、目標に向かって進み始める。両親の理解と応援のもと、中高時代は東京で下宿生活をしながら勉強に励み、慶應義塾大学医学部に進学。卒業後は心臓外科医として病院に勤めた。そして、当直明けにたまたま読んでいた新聞で見つけたのが、宇宙開発事業団(現在は、宇宙航空研究開発機構・JAXA)の宇宙飛行士候補者募集の記事だった。思い切って選抜に応募した向井さんは、1985年、見事に第1期生に選ばれた。

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1980年代の日本といえば、「女性が危ない仕事に就いてはいけない」という風潮が強かった時代。労働基準法の女子保護規定(1999年に撤廃)により、女性の夜間労働さえも禁止されていた。

「宇宙飛行士になった初日に、夜のニュース番組に出演することになったのですが、内藤(向井さんの旧姓)を出すなら10時までに、とスタッフの方々が慌てていたんです。医師や看護師は例外的に深夜労働が認められていたので、私はそのときまで知らなかったのですが、当時は夜10時以降に女性がテレビに出演するのもダメだったんですね。その直後に男女雇用機会均等法ができて、女性も男性と同じように仕事ができるようになっていきました。
私が宇宙飛行士に応募したときの募集要項には、科学技術の知見を持つ『2名程度の男女』と書かれていました。今考えれば、あの時代に性別を問わず募集したのは画期的でしたね。2名程度が結果的に3名になり、なおかつ女性の私が選ばれたのは、男女雇用機会均等法の存在感を示したいという意図もあったのではないでしょうか。もちろん第1期生3人のバックグラウンドも、毛利衛さんが材料科学、土井隆雄さんが宇宙工学、私がライフサイエンスですから、3人揃うと科学全体をカバーできてバランスが良かったというのもあると思います。ですが、もしもあのときの選抜が男女雇用機会均等法のタイミングとずれていたら、男性2名で決まっていたかもしれません。
80年代の日本に女性宇宙飛行士が生まれる土壌ができていたのは、60年代から女性の地位を向上させるウーマン・リブ運動を頑張っていた先輩たちがいたおかげ。私はすごく運が良かったんです」

女性は保護されるべきという認識のもと、女性が就ける職業にも制限があった中で、宇宙飛行士として登場した向井さん。その存在が多くの女性たちに夢と希望を与えるものだったことは、いうまでもない。さまざまなメディアで注目され、取り上げられるたびに「日本人女性初」という枕詞が付いてまわった。

「紅一点なんていわれて、はじめは面食らいましたね。3人でインタビューを受けても、毛利さんと土井さんに対しては『日本の宇宙飛行士としての抱負は?』と聞くのに、私の番になると『日本の女性宇宙飛行士として』という聞き方になるんです。日本の宇宙飛行士というだけでも限定されるのに、その中でさらに女性としてやれることって何だろう?と考えたら難しくて。返答に困ったのでインタビュアーの方に、『すみませんが2人にも同じように、日本の男性宇宙飛行士として何ができるかと聞いてくれませんか?』と質問返ししたのを覚えています。
私は外科医として働いていたので、患者さんに対しては常にひとりの『医師』として向き合ってきました。女性の医師にあたったから悪くなってしまったとか、男性医師が手術してくれていたら治ったはずだとか、もし患者さんにそう思わせてしまったら申し訳ないですから。それに、私はもともとジェンダーニュートラルな考えを持っていたので、女性という殻に閉じこもっていなかったんだと思います。ですから、宇宙飛行士になって『女性』を強調されることには動揺もあったのですが、一方で『女性だから戦えない』と諦めている人たちを鼓舞できるのなら、むしろそれは良いことなのかもしれないなと思いました」

 

「男のくせに」に隠されたアンコンシャス・バイアス

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向井さんが、性別や国籍を超えたボーダーレスな考えを持つようになったきっかけは、大学2年生のときだった。競技スキーに打ち込み、男性チームにまじって好成績を出していた当時、チームメイトに対して「男のくせに」ということばを頻繁に使っていることに気づき、自分自身のアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)を自覚した。

「私、お酒は大好きだったんですけど、甘いものは苦手だったんですよ。ある日、チームメイトに羊羹をすすめられたときに、『女のくせに羊羹嫌いなの?』みたいな言われ方をされたことがあって。自分が言われて初めて、自分自身も同じようなことを男の人に言っているなと気がついたんです。『男のくせに私より滑るのが遅い』とか、『男のくせに私よりお酒が飲めない』とか、なぜそういう言い方をしてしまっていたかというと、男の人は女の私よりできて当然だと思い込んでいたからなんですよね。それ以降、男らしさや女らしさをまったく気にしなくなりました。それは自分にとってすごく良かったことです。
宇宙飛行士になってからも、『女だからできない』『国力のない日本だからできない』といったような言い訳を作ることはしませんでしたし、そう思った時点で負けだと思っていました。医師としていろんな研究をやってきた自分だからこそ、責任をもってできることがある。できないのは自分の訓練や努力が足りないからだ。そういう考え方に自然となっていましたね」

文理の壁を超えて、チャレンジしていく力を養って

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人を助けたくて医師になり、宇宙から地球を見たくて宇宙飛行士になった。そして宇宙の仕事を終えた今、自己実現のための教育の力を信じ、東京理科大学の特任副学長を務める。女性の理系進学者が少ないといわれる日本の現状を、向井さんはどのように見ているのだろうか。

「東京理科大学の女性比率は、全体で約25%。薬学部で約4割と一番高く、機械工学や土木工学は低いですが、昔に比べると増えてきてはいます。以前は大型のものを扱うためにはある程度の力が必要でしたが、今は技術開発が進んできているので、コンピューターを操作すればクレーンだって簡単に動かすことができる。力がないからと諦めていた人たちも入ってこられる領域になっているので、そういう意味でも門戸は広がっています。
また、理科大では『科学のマドンナ』プロジェクトと称して、女子中高生に理系を好きになってもらうためのさまざまな取り組みを行っています。例えば高校生を対象にした宇宙教育プログラムをやっているのですが、意欲的で優秀な女子が多くて感心しています。なのにどうしてうちの大学には2割くらいしか女子がいないんだろうと思って調べてみると、女の子が理系の道に進んでも就職先がないとか、結婚できなくなるんじゃないかとか、そういった考えをもつご家族に反対されて、躊躇してしまうケースが少なからずあるようです。中にはボーイフレンドに反対されたという子も。個人的には、そんなボーイフレンドとは別れた方が良いんじゃないかと思うんですけどね!」

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入り口は魅力的でも、出口がはっきりしないために、せっかく理系に興味を持ってくれた女子生徒がなかなか入ってきてくれない。学生たちにはもっとチャレンジ精神をもって、違う分野に切り込んでいってほしいと、向井さんは力を込める。

「我々が今後注力すべきは出口作戦なのですが、そこでの課題は、薬学専攻の人は製薬会社などの薬学分野で、物理学をやった人は物理の分野でしか出口を探そうとしないことです。そういうコンベンショナルなやり方だと、狭い範囲でしか就職先を見つけられなくなってしまう。でも今はそんな時代じゃないですよね。文理問わずさまざまな学問が融合していて、一つの分野だけでは成り立たなくなってきています。薬学専門の人が自動車業界に入って、違った発想から座席のデザインをしてみたり、文系の人が理系の分野に入って、アートの視点からアイデアを出してみたり。違う文化が融合してくると、発想が広がると思うんです。
『自分の専門は〇〇だから』と防御して、蚕のまゆに包まれるのは楽ですが、学生たちにはそこからどんどん出ていってほしいですね。チャレンジが失敗して学ぶこともたくさんありますし、失敗すればまた次のチャレンジができます。大学4年間で学んだことを誇りに思えたら、今はどんな分野でも自分の知識をうまく使って戦えるはずです。人間社会で営みを送るためには文理どちらも必要ですが、そこをうまく融合させて取り入れることができれば、自分にしかないユニークネスになると思います。あと、戦う土俵を自分で探していくのも人間力。多様化した現代社会で生き抜くためには、『自分はこれができるんです』とアピールする力が求められています」

リーダーの資質を備えた理系女性を育成したい

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東京理科大学では、2024年度入学者向けの総合型選抜試験から、入学定員全体の約1割にあたる48人分の女子枠を新たに設けた。高校3年生1学期までの数学と理科の評定平均値が4以上など、一定の条件を満たす女子生徒が対象で、面接と小論文の試験で合否が決定する。

「理科大で何を学びたいのか、どの学部のどの先生に何を習いたいのかというところまで、目的意識をはっきりと持っている女子生徒に入学してもらいたいと思っています。単に一般入試の女性枠を増やして女子学生の割合を高めたいわけではなく、自己アピール力に優れた、リーダー的資質を備える女子生徒に入ってもらうことが狙いです。48人という枠は設けていますが、合格するのはもちろん、実力が達していると大学側が判断した人だけ。人数が埋まらない可能性もあります。
総合型選抜の場合、秋には選考が終わるので、卒業までの約半年間を有意義に過ごせるというメリットもあります。入試のための詰め込み勉強をする必要もなく、その間に海外に行ってみたり、ボランティア活動をしてみたり、それこそ人間力を強くする勉強ができる。そういった時間の使い方は、とても大切なんじゃないかと思っています」

工学系に女子学生を呼び込む大学の動きが広がる一方、入試において女子枠を導入することに対しては、賛否両論があるのも事実だ。格差を是正するために、マイノリティに対して一定の優遇措置を取ることには反発も起きやすいが、どう向き合えば良いのだろうか。

「枠の問題について考えるとき、わかりやすいのがクオータ制(国の人口比に基づいて、議員や管理職の一定割合を女性に振り分ける制度)です。この制度の良いところは、もしかしたら実力がまだないか、あるいは実力がまだわからないという人でも、一度その中に入ってやってみることによって、自分でも気づいていない実力を発揮できる可能性があること。『あなたはこういう役割ですよ』と任務を与えられれば、その人の中に自覚が生まれます。すると、こうあるべきだと自分で考えたり、同じような役職の人たちに相談したりしながら、自分自身が磨かれて成長していけるんです。クオータ制で役職を割り当てていくのは、その人の持つ可能性を引き出せるという意味では良いことだと思います。
これは、私がいつも言っていることなのですが、医者という職業は、高校生が6年間頑張って勉強すればなれちゃうんですよ。もちろん人の命を預かる仕事だからとても大変なんですけど、高校生たちが必死になって勉強すれば医者になれるのと同じように、自分が与えられたポストの中で役割を果たさなきゃいけないと必死で思えば、ほとんどの人がこなせるんじゃないかと思うんですよね。はじめは苦労するかもしれないけれど、クオータ制を導入して、しっかり育成していけば、10年後には目指す社会になるかもしれない。そうやって社会をアクティブに作っていくのか、それとも地道に底上げしていくのか。どっちが良いとは一概にはいえませんが、私は前者の方が簡単なように思えます」

宇宙にあったら良いなという世界を、まずは地球上に

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「宇宙開発は今、とてもエキサイティングになってきている」。向井さんはそう言って目を輝かせる。過去半世紀の間、人類は高度約400kmの地球低軌道上にある国際宇宙ステーションと地球とを定常的に往復してきたが、今再び、かつての「アポロ計画」のように、さらに遠くの月を目指そうというムードが高まってきている。それが、現在アメリカが中心となって進めている「アルテミス計画」だ。

「これまでの宇宙開発は、ロケットで“宇宙に行く”ことを主な目的としていましたが、今進んでいるのは“宇宙で暮らす”ための技術開発です。人が宇宙に滞在する限り、そこでは衣食住が必要になります。月面は放射線の影響もあるので、長期滞在するなら地下空間に住まないといけなくなるでしょう。そうなったときに、コンピューターで住環境を自由にコントロールできたら良いですよね。地球の朝日のような爽やかな光や、ふるさとの春の香り、リゾート地の波の音などを、月面の地下空間でも感じられたら素敵じゃないですか。そういったことを可能にする技術は、同時に地球での暮らしを豊かにすることにも役立ちます。地球上で寝たきりの生活をしている人たちや、限界集落のように孤立した地域に住む高齢の人たちの住宅環境にアプライすれば、家から出られなくても外の世界を体感できたり、病院の先生といつでも会話できたりするわけです。
宇宙の閉鎖空間でも空気や水をきれいにしたり、食料を生み出したり、宇宙でこんなことができたら良いなというのを、まずは地球上をテストベッドとして導入してみる。そうやって衣食住にかかわる滞在技術を高度化させ、社会に実装していく。こういった『デュアル開発』もまた、宇宙開発の範疇に入ります。理科大ではさまざまな企業と連携し、宇宙での暮らしに着目した研究開発を横断的に進めています」

宇宙に“行く”から、“暮らす”時代へ。まるでドラえもんのような、夢にあふれた世界。それを叶えるべく、東京理科大学では2017年に「スペース・コロニーユニット」が設立された。向井さんは特任副学長を兼任しながら、ここのユニット長を務めている。机上の学問だけでなく実学を重んじる、理科大ならではの先駆的な取り組みだ。民間のプレーヤーが参入し、宇宙ビジネスは多様化の一途をたどっている。「宇宙はこれからますます面白くなる」という向井さんのことばに、胸が高鳴る。

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医師であり、宇宙飛行士であり、最先端の教育にも携わる向井さんには今、さらなる夢がある。

「私、120歳ぐらいまで生きるつもりだから、たぶん実現できると思うんですけど、いつか月のラウンドトリップの添乗員をやりたいんです。もう一度、地球を外側から見たいんですよね。私が以前見たのは高度約400kmからの景色だったので、地球の一部しか見えませんでした。約38万km離れた月から、ゴルフボールみたいに見える地球とは全然違うはず。今はロケットエンジンも進化していますから、打ち上げのときも帰ってくるときも、体にかかる加速度は最大3Gくらい。健康な人なら耐えられるレベルだと思います。みんなが月に行ける時代が、もうまもなく来ると思いますよ。もし添乗員をやるなら、やっぱり団体旅行が良いですね。みんなでワイワイしながらさ。楽しいですよ、きっと!」

向井さんの話をうかがっていると、宇宙がとても身近な存在に思えてくる。輝かしいキャリアを持ちながらも、おごらず、飾らない人柄。エネルギッシュな語り口は、知的好奇心に満ちあふれ、明るい未来を見据えているようだった。無限に広がる宇宙に生きる、私たちの人生は有限だ。「私には知識がないから」「今からやっても遅いから」などと弁解している暇はないのかもしれない。

向井 千秋さんプロフィール画像
宇宙飛行士・医師・医学博士向井 千秋さん

1985年に日本人初の3人の宇宙飛行士のひとりに選出。1994年、スペースシャトル「コロンビア号」に日本人として初めて搭乗し、ライフサイエンスや宇宙医学に関する実験を実施。1998年には、スペースシャトル「ディスカバリー号」に搭乗し、米航空宇宙局(NASA)のジョン・グレン宇宙飛行士らとともに各実験を実施。2015年、東京理科大学副学長に就任。現在は、同大学特任副学長兼スペースシステム創造研究センター「スペース・コロニーユニット」ユニット長を務める。

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