街を歩けば目に飛び込むビルボードや電車の車内広告、テレビ・ラジオのCM、スマホの広告。暮らしの中に広告は溢れていて、これだけ身近なのに、そこでのジェンダー表現には違和感を感じるものも少なくない。ジェンダー表現が偏った広告はどうして生まれてしまうのだろう? 写真やジェンダー表象に関する講師であり、『ジェンダー目線の広告観察』の著者・小林美香さんと、クリエイティブディレクターの辻愛沙子さんに、広告の受け手、作り手の立場から、今問題になっていること、広告のこれからについて聞いた。
小林美香さん(左)
こばやし みか●大阪大学文学部卒業、京都工芸繊維大学大学院修了(博士)。国内外の各種学校/機関で写真やジェンダー表象に関するレクチャー、ワークショップ、研修講座、展覧会を企画、雑誌やウェブメディアに寄稿するなど執筆や翻訳に取り組む。東京造形大学、九州大学非常勤講師。著書に『ジェンダー目線の広告観察』(現代書館)、『〈妊婦アート〉論:孕む身体を奪取する』(共著/青弓社)などがある。
辻愛沙子さん(右)
つじ あさこ●社会派クリエイティブを掲げ、「思想と社会性のある事業作り」と「世界観に拘る作品作り」の二つを軸として広告から商品プロデュースまで領域を問わず手がける越境クリエイター。リアルイベント、商品企画、ブランドプロデュースまで、幅広いジャンルでクリエイティブディレクションを手がける。2019年春、女性のエンパワメントやヘルスケアをテーマとした「Ladyknows」プロジェクトを発足。2019年秋より報道番組 『news zero』 にて水曜パートナーとしてレギュラー出演し、作り手と発信者の両軸で社会課題へのアプローチに挑戦している。
15年にわたる構造変化によって、多様化した広告表現
―――この数年、広告におけるジェンダー表現が批判され、炎上するというケースが増えています。広告のジェンダー表現に対して、どのような問題意識を持っていますか。
辻愛沙子(以下、辻)会社を設立したのが2019年なんですがその年に『Ladyknows』というプロジェクトを立ち上げました。広告業界の内側から何かできることがないかと思って、少しずつアウトプットが増えてきたのがこの時期でした。ここ数年、ジェンダー表現に関して広告業界もどんどん変化してきているのを実感しますが、中にはピンクウォッシュのように、それを免罪符のように使おうとする企業もあります。また、メッセージを届けたいという企業が増える一方で、何が正解なのかわからないから、怖くて触らないでおこうという揺り戻しもあり、二極化していると感じます。
小林美香(以下、小林)私が広告を観察し始めたのは2017年頃です。電車の中で、いくつも脱毛サロンや美容クリニックの広告を目にするようになり、違和感を感じて写真に撮って内容を記述したり、分析したりすることを継続しています。2018年頃から広告に「SDGs」という言葉が頻繁に登場し、2020年東京オリンピックのボランティア募集の広告が増加。そういった社会の潮流の中で、「多様性(diversity )」の定義も曖昧なまま“いいことをしている感”を発信する広告が増えていると思います。
―――数年の間にも、大きな変化があったんですね。
小林 かつて広告は、新聞・テレビ・雑誌・ラジオの「4大メディア」に出稿され、CMソングはみんなが口ずさめるものでした。それが今は、それぞれのスマホにターゲティングされた広告が表示され、年齢・性別・住んでいるエリアが違うと全く違う広告を目にすることも多くなりました。この15年間の構造変化は、とてつもなく大きなものです。しかも、広告業界の内部にも世代間による認識のギャップがあり、広告主、広告代理店、制作会社、消費者の間でのコミュニケーションがうまくいかず、炎上が起きているんだろうと思います。
辻 私は学生時代を海外で過ごしたこともあり、あまり日本のジェンダーバイアスを体感せずに育ったんです。それが仕事を始めて、ナイトプールやタピオカなど、自分の世代に近い顧客層の案件を担当したとき、トレンドから半周遅れで、ワイドショーや週刊誌が若者のトレンドを揶揄しはじめたのを目にしました。「インスタ映え」もそうですが、若い女性のトレンドをバカにすることがエンタメになっている。そんなモヤモヤが蓄積されて、改めて広告業界を眺めると、あちこちに性別による役割を前提に作られた表現があり、それが当たり前になっているんじゃないかと思ったんです。例えば、料理の広告では女性がキッチンに立ち、スーツを着た男性がビジネスカードを持つ。そんな広告表現が「ステレオタイプ」を助長している側面もあるのではないかと、強く感じるようになりました。広告業界は7兆円産業といわれています。その中で、自分が携わっているものだけでも、ステレオタイプを生む表現ではなく偏見を壊していくような表現ができたらと、「クリエイティブ・アクティビズム」を掲げて活動しています。
小林 広告業界は、実は15年ぶりに「7兆円産業」に復活したんですよね。考えてみると、15年前の広告と今とでは、1つのコンテンツに対して費やしている時間が全く異なり、短時間でいかに注意を掴むか、というアテンション・エコノミーの原理が働くようになっています。15年前は、ひとつの大きく太いターゲットに向けて、ドーンと大きな広告を打っていましたが、今の広告は、属性によってセグメントされているので、予算に対して制作物の量が莫大になっています。ある人にとっては毎日目にする広告でも、属性が異なるクラスターの人は全く知らないということが起こる。
辻 これはいわゆる「ブランド施策」と「刈り取り」といわれるものですね。「ブランド施策」は田畑を耕していく行為。直接的な購買を煽るのではなく、メッセージや世界観などの訴求を行い、ブランドイメージを育てていくための広告。一方で「刈り取り」は、文字通りエンドユーザーに購入ボタンを押してもらうことを目的とした広告です。「刈り取り」は明確に目標を達成しないといけないので、特にデジタル広告だと、予算がより多く割り振られることが多いんです。私は必ずしも悪だとは思いませんし、購買の後押しをする訴求方法も必要だと思います。ただ、数字が見える化しやすい分、どうしても比重が大きくなるので、「ブランド施策」と別の会社が担うことも多く、それぞれが相反するメッセージを出してしまったりする。例えば、同じ企業でも、ブランド訴求目的のCMでは「自分を愛そう」という自然体なメッセージを出しているのに、スマホに表示されるバナー広告では、コンプレックスを煽るような表現になっていたりするんです。さらには、アフィリエイトなどで、広告主も目を通していない煽り広告や性的な広告が、“数字になるから”と、どんどん作られてしまう。成功報酬型なので、とにかく刺激的なものを作るほど売れるんですよね。もちろん、プラットフォームやグーグル、ヤフーなどのメディア側も規制はしていますが、いくら規制しても、イタチごっこになってるのが実態です。
広告を通して、無意識に刷り込まれるジェンダー規範
小林 飲料の自動販売機に掲出されているビジュアルを、ジェンダー表現という観点から見ると、缶コーヒーは中年男性、お茶は女性が広告に登場することが多いんです。それから痴漢防止の公共広告は、男性が眉間に皺を寄せて睨みを利かせている。それになんの効果があるのか疑問です。そういった広告を通学や通勤中に目にしていると、ジェンダー規範を無意識に刷り込まれていくのだと思います。よく、「ジェンダー」は「性別」に置き換えてもいいんじゃないかと聞かれるんですが、「ジェンダー」は「文化的・社会的」に構築された性差の概念です。男だから、女だからということではなく、お互いに社会が規定したイメージに自分をあてはめなくてはいけないのが辛いよね、ということなんですが、なぜか男女二元論のようになってしまって、全く議論が進みません。
辻 広告主としての「公共性」という問題もあります。美術館に展示された昔の絵画は、女性が裸体で横たわっていて、それを描いた巨匠は男性ということが多いですよね。現代では、グラビアアイドルが週刊誌の表紙を飾り、政治家や大臣まで、女性となると容姿を批評される。長い間、女性は「客体視」されることが前提でした。それが変わりつつある中で、地方自治体や省庁、警察などの公的機関が、女性を客体視したようなアニメイラストを広告に起用する責任は重いと思っています。民間企業はそれで炎上して支持されなくなったら、ターゲットを読み間違えた企業の責任ですが、行政の広告費は私たちの税金から出ていますし、訴求すべき対象も民間企業とは異なります。民間企業の場合は、対象となるターゲット層に訴求するわけですが、行政の場合は、より広く多様な人たちに訴求していかなければならないため、当然広告にも公共性が求められてくる。にも関わらず、子どもや女性の目線を無視して、性的な表現を強調するイラストがあちこちの自治体から出ては、炎上を繰り返しています。公共性とは何か、行政の広告担当者は今一度、考え直す必要があるように思います。
小林 その議論は難しいんですよね。高校の教師を対象に、ジェンダー表現に関する勉強会を行ったとき、若年層がそういうイラストを好む傾向があると聞いたんです。例えば、進路指導に使われる資料の中に、大学の学科を擬人化してアニメキャラとして表現したものがあるんですが、高校生たちは幼い頃から見ているアニメ、マンガ、ゲームですでに見慣れているので、抵抗なく受け入れていると。
辻 刷り込まれてしまうんですよね。街頭広告もそうですが、ある一定の公共性がある媒体に関しては、「媒体審査」といって、媒体側が自己規制を設けています。ただ最近は、不景気もあって出稿数が減っているからなのか、特に街頭広告の規制が緩くなっている印象があります。法律に犯罪を防止する効果があるように、媒体側がある程度の規制を設けていれば、そういう広告は減るはずなのに、それがなかなか機能しなくなってるのではないかと。
消費者の心に響いた広告を拡散することが、企業側への応援に
―――問題が多い広告が炎上する一方で、最近、これは面白いと思った広告はありますか?
辻 あばれる君とパートナーのゆかさんが出演したビールのCMは、ポジティブな声が多くありました。「子育てする父」という表現が、時代感にも合っていました。少し話がズレるのですが、広告主側の視点で考えると、今は、情報量があまりに多く、広告が消費者に届きにくくなっている側面もあると思います。企業側の取り組みがちゃんと届いているのか、これが正解だったのか、反応も見えにくく答えがわからない。予算に限りもあるし、担当者が信念をもって企画しても、上に潰されるということもある。みなさん苦心されているんです。だからこそ、消費者側にできることもたくさんあると思っていて。問題のある広告に声を上げるだけではなく、もし心に響いた広告があるなら、Xやインスタグラムでポストして、消費者側からポジティブな応援の声を届けていけると、企業もいい事例になって踏み出しやすくなる。企業と消費者の連帯が必要なのだと思います。
小林 たしかに、広告を発信する側と消費者との間に、コミュニケーションの結節点が少ないことで生まれる不安はあるんだろうなというのを、私も感じます。経営学者のピーター・ドラッカーが「コミュニケーションは受け手が決める」と述べていますが、受け手がどのようにメッセージを受け止めているのか、ということを丁寧に拾っていって、企業と消費者の間のコミュニケーションをより良いものにしていく必要はあると思います。
辻 受け手側の反応が重要だという事例では、NIKEが2018年にNFLのコリン・キャパニック選手を広告に起用しました。彼は人種差別がまかり通るこの国に対してリスペクトは払えないと、試合前の国歌斉唱で起立するのを拒否し、NFLを追放されました。その後に、NIKEが「Believe in something. Even if it means sacrificing everything.(何かを信じろ。たとえすべてが犠牲になったとしても)」というコピーを載せて、その広告で街をジャックしたんです。それに反発した人がSNSで商品を燃やしたりと、大炎上したのですが、NIKEは自分たちの信念としてやるべきものだと取り下げなかった。それに対して、徐々に応援の声も増えていき、最終的には売り上げも株価も過去最高を更新しました。これは、伝説的なキャンペーンだと言われています。
それから、「恐れを知らぬ少女(Fearless Girl)」という2017年のキャンペーンも紹介させてください。NYのウォール街にある「チャージング・ブル(巨大な牛の像)」は、金融業界を目指す人にとっては憧れのモチーフ。長年ホモソーシャルな金融業界の強さの象徴として君臨してきた像の前に、ある日突然、小さい女の子の銅像が胸を張って対峙しました。これは、金融業界に女性が少数であることに警鐘を鳴らしたいと、あるファンドが国際女性デーに合わせてこのプロジェクトを行ったんです。このキャンペーンは開始から12週の間にツイッター(現X)で約46億回、インスタグラムで約7億回以上表示されました。数年たった今、実際にウォール街の女性比率は向上しているそうです。企業や広告側が問題に切り込んでいくこともとても重要ですが、同時に消費者が連帯して応援していかないと、こういった施策が形になりにくいんじゃないかと思います。
小林 海外の事例では、2015年のイギリスの地下鉄で、ビキニ姿の女性の写真と「ARE YOU BEACH BODY READY?(ビーチにいく身体の準備はいい?)」というコピーが載った、Protein Worldというサプリメントの広告が掲示されました。すると「これはボディシェイミングだ」と指摘する声がSNSに投稿され、さらにプラスサイズの洋服のレンタル会社が「100% BEACH BODY READY.」というパロディ広告を制作。これは約10年前のことですが、見る側が主体的に意思表明したという例です。
辻 ボディニュートラルの話題では、最近は「アンチキャスティング」という手法が話題になっています。AIの広告モデルも登場する中で、外見やSNSのフォロワー数といった指標だけでなく、その人がどういう文脈を背負い、どんな思いを持っているのかを考慮して広告にキャスティングしていく必要があると思うんですが、「アンチキャスティング」はそこからもう一段深掘りして、ランダムにピックアップしたり、外見ではなく志望動機書だけでキャスティングしたりするんです。結果、広告に登場する人は、年齢も肌の色もバラバラになる。一見斬新な手法に思えますけど、多様な人たちがいる方が本来は自然なはずなんです。これは企業側、制作側ができるポジティブなアクションなんじゃないかと思います。
小林 文脈でキャスティングする、ということでは、昨年、MLBの大谷翔平選手が出演したコスメの広告が話題になりましたが、それは大谷選手の起用自体に反響があったことに加えて、彼が出演することで、男性にスキンケアの重要性を打ち出すコピーの説得力が増したという、大谷選手だからこその意味が現れた広告でした。
これからの広告表現を変えていく、次のアクションとは?
小林 昨年出版した『ジェンダー目線の広告観察』では、広告から見えてくるジェンダー観やルッキズムなどについて書きましたが、次は「男性」についての本を書こうと思っているんですよ。女性に対する問題は可視化されてきましたが、男性はまだ、スーツ姿でバリバリ仕事をするのが偉いという、40年以上変わらないステレオタイプを押し付けられている。これはキツいですよね。映画『バービー』では、大企業で働く「デキる男」としての男性像のあり方や、集団としての振る舞いが、パロディ化されて描かれていました。画一的なイメージで描かれる「男らしさ」は、あくまでもファンタジーであって、そんなありえないファンタジーを盲信して、雁字搦めになって苦しむのは、もうやめてもいい。男性の当事者から、その声が上がってくることが重要だと思うんです。
辻 ある企業が、採用の履歴書から顔写真をなくしたことを広告にしました。これは、メッセージだけではなく、企業のアクションを広告にして世の中に伝えていくという、実態が伴っている理想的な例です。最近は「社会的課題」を解決するメッセージを発信しようと考える企業も多いのですが、主語が大きくなりすぎると、ひとりひとりの生活や人生が置き去りにされてしまいます。企業側が発信しようとするトピックには、「今、痛みを抱えている人がいる。そこに手を伸ばす覚悟があるか」というのを、自問し続けることが必要です。
小林 ここ数年で、世代間の認識のギャップがますます拡大し、共通の話題や同じ“言語”で理解し合える人の幅がすごく狭まっているような気がします。だから、対峙する相手にとって、その問題はどれくらい距離があることなのか思い図らないと、お互いに「なんでわかんないの?」と衝突して、ますます何も言えなくなってしまう。でも、これは変化の過程で生まれる問題でもあって。かつて、若者はハラスメント耐性をつけることしか生き残る術がない、という時代がありました。今、時代はドラスティックに変化しています。若い世代にとっては絶好の挑戦の機会だし、変化が恐怖でしかない中高年は、本気で意識を変えていかないといけない。教育がますます重要になりますね。私はそこに取り組んでいきたいと思います。
辻 やっぱり私も、若い世代だけが活躍すればいいというわけじゃないと思うんです。優れた広告やアイデアは、「視点」「技術」「実現力」の3つで構成されると思うのですが、技術は経験の積み重ねが必要です。才能が経験を凌駕することもあるけれど、上の世代たちから学べるところはたくさんあります。実現力もそうですよね。上の人がOKすれば一発で企画が通るということもある。社会を変えていこうとする企画に突破力は絶対に必要で、そこに上の世代がいる意味があると思います。一方で視点は、その人だからこそ持っている目線で、新しい価値観を持っている人や、その課題の当事者が必要になってくる。日本は年功序列が基本になっているので、意思決定層の視点のみが反映されやすいんですよね。だから、意思決定に関わるポジションにも、全く違う世代、異業種、全く異なるアイデンティティを持つ人を組み込む勇気を持つことが必要なのではないでしょうか。