18歳の車いすテニスプレーヤー、小田凱人選手の挑戦。病気も障害も強みに変えて

「でっかいこと言って、でっかいことをする。それが俺の美学」。2024年1月27日、全豪オープンテニス車いすの部の男子シングルスで大会初優勝を果たした直後、小田凱人(おだ・ときと)選手がインスタグラムに投稿した言葉だ。史上最年少での大会初制覇となった2023年6月の全仏オープン、同年7月のウィンブルドン選手権に続く、四大大会3勝目の快挙だった。「負けるわけがない」と言い切る強気な発言の根底には、生きること、希望を持ち続けることの尊さがにじむ。壮絶な闘病生活と挫折を乗り越えた18歳の青年は今、もっとも脚光を浴びるパラアスリートとなった。

9歳で骨肉腫を発症。車いすテニスを生きる希望に

車いすテニスプレーヤーの小田凱人さん

小学校の徒競走で1位になるくらい、足の速さが自慢だったという小田凱人さん。幼少期からサッカーに本格的に取り組み、プロ選手になることを本気で夢見ていた。だが9歳のとき、プレー中に激痛が走る。利き足である左の股関節に、骨の悪性腫瘍である骨肉腫が見つかった。つらい抗がん剤治療を経て、股関節と大腿骨の一部を切除し人工関節を入れる大手術を受けた。「もう走れなくなる」と医師に告げられ、手術の後遺症で左脚の自由を失った。

大好きなサッカーができなくなっても、スポーツへの情熱が消えることはなかった。入院中、小田さんの強い思いを汲み取った担当医が教えてくれたのが、パラスポーツだった。
「車いすに乗る人だけができるスポーツがあって、パラリンピックという世界大会がある。主治医の先生からそう聞いて、初めてパラスポーツのことを知りました。そこからYouTubeでいろんなパラスポーツの動画を見て、直感でビビッときたのが車いすテニスだったんです。競技用車いすを巧みに操作しながら、激しいラリーを繰り広げる選手の姿を見て、『これがやりたい』と明確に思いました」

レジェンド、国枝選手の背中を追い続けて

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楽天ジャパンオープン2022車いすシングルス決勝で、歴史的激闘を繰り広げた小田選手と国枝選手。©︎gettyimages

サッカー選手の夢を断たれた当時10歳の小田さんに希望を与えたのは、車いすテニスのトッププレーヤーで2023年に現役を引退した、国枝慎吾さんだった。病院のベッドの上で、ロンドン・パラリンピックの決勝を戦う国枝さんの気迫に釘付けになった。「めちゃくちゃカッコいい。自分もこうなりたい」9ヵ月にも及ぶ入院生活の中で、国枝さんの存在が光となった。車いすテニスを早く始めたい一心で、懸命にリハビリに取り組んだ。

家族の支えを受けて闘病生活を克服した小田さんは、退院後すぐにラケットを振り始める。車いすテニスのできる地元のクラブに通い、めきめきと実力をつけていった。しかしその後2度にわたり、がんの肺転移が発覚。不安と恐怖に圧倒されそうになりながら、それでも憧れの人の背中が遠ざかることはなかった。「国枝さんのように、車いすテニスで世界一になりたい。僕ははじめからすごく高いところを目指していたので、治療が苦になることはありませんでした」仰ぎ見る存在がいたからこそ、過酷な治療も乗り越えられた。

がん再発から見事復帰を果たし、車いすテニスを始めて4年目の2020年、18歳以下の世界大会である世界ジュニアマスターズで、史上最年少優勝を飾った。翌年には世界ジュニアランキング1位を獲得し、15歳でプロに転向。2022年の楽天ジャパンオープンでは、ずっと目標にしていた国枝選手と同じコートに立ち、激戦を繰り広げるまでに躍進した。

「国枝さんとは4回対戦して、結局一度も勝てませんでした。でも、今となってはそれが逆に良かったんじゃないかと思っています。もしも勝っていたら相当満足してしまって、僕のテニス人生がそこでひと区切りついていたかもしれません。勝てずに終わったからこそ、今も頑張れているように思うんです。
国枝さんが現役引退を発表された直後に、ご本人から電話をいただきました。『これから車いすテニスを引っ張っていって』とおっしゃったことが、今も深く心に響いています。託されたバトンを引き継ぐことが、僕の責任でもあると思っています」

世界ランク1位の先にある、「自分の中の1位」

車いすテニスプレーヤーの小田凱人さん

2023年6月に開催された四大大会の全仏オープン決勝戦では、史上最年少での優勝を果たすと同時に、史上最年少での世界ランク1位を記録。ダブルの偉業を成し遂げた、小田さんにとって大きな分岐点となる試合だった。新たな歴史を作った翌月には、ウィンブルドン選手権も制覇。同年10月末に中国で行われたアジアパラ競技大会でも優勝し、念願のパリ・パラリンピックへの出場が内定した。

「パラリンピックは一番に目指してきた大舞台。今は出場が決まったことが単純にうれしいし、とてもワクワクしています。プレッシャーは特に感じていません。もともと試合が好きだというのもありますが、地道な基礎練習を徹底し、積み重ねてきた自信があるので、『負けたらどうしよう』という気持ちにならないんです。車いすテニスを始めた当初から、そのマインドは変わりません」

海外遠征やツアーも増え、1年の半分はホテル暮らし。全仏での優勝を機に知名度も一気に上がり、テレビにも出演するようになった。だが自らを取り巻く環境の変化にも、本人はいたって冷静だ。順境に自惚れず、力強い眼差しで次なる目標を見据える。

「17歳で世界ランク1位になって、グランドスラムも優勝したけれど、僕自身の中では全力を出し尽くして1位になった感覚はないんです。まだまだ課題もたくさんあって、『自分の中の1位』には到達していない。そういった意味でも、今の自分のスタイルを貫きながら、どれだけ高いところまでいけるかを考えています」

落ち込むのは悪いことなのか?

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ファッションや音楽にも精通する小田さん。アスリートとしてのスター性を象徴するかのようなリングは、海外遠征時に購入したもの。

車いすテニスで世界一になる。大きな夢を実現させた小田さんには、もうひとつの夢がある。それは、車いすテニスを通じて子どもたちのヒーロー的存在になることだ。ジュニア世代が活躍する場を作りたいという思いから、2023年8月、国際テニス連盟公認の車いすテニスの国際大会「岐阜オープン」をプロデュース。日本初となるジュニアのための大会を開催した。車いすテニスの体験会にも積極的に参加し、子どもたちと交流する機会を設けている。

「以前は『病気と闘う子どもたちに夢を与えたい』と思っていたのですが、あるときふと、『なぜ病気の子たちだけなんだろう?』と疑問に感じるようになりました。別に区切らなくてもいいんじゃないかって。それからは『子どもたちみんなに良い姿を見せたい』という気持ちに変わっていきました。僕自身がもっと有名になって、もっとたくさんの人に試合を観にきてもらいたいです。障害のある人もそうでない人も、車いすテニスを当たり前に楽しむ。そんな時代がきたらいいですね。車いすテニスを盛り上げていくことは、プロとしての使命だと感じています」

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小田さんの選手としての強みは、積極的に前に出るプレースタイルと、相手を圧倒するパワーショット。そしてそれに呼応するかのように、メディアやSNSで見せる強気な姿勢もまた彼の持ち味だ。悩んだり、落ち込んだりすることとは無縁にも思える強靭なメンタリティは、どのようにして形成されたのか。そう聞くと、しばらくの沈黙の後、あふれるように言葉が出てきた。

「悩んだり、落ち込んだりすることって、ダメなことなんでしょうか。それが良くないというふうにされている社会の風潮こそが、僕は良くないと思います。僕のこれまでの発言から、ずっと前向きに強く生きてきたように捉えられることが多いのですが、決してそんなことはありません。退院したての頃は、車いすで外に出るのも、杖で街を歩くのも嫌でした。人に見られることに違和感を覚えたし、子どもなりにすごく悩みました。でも結局のところ、ハンディキャップを持ったことで何かが起きるのかといったら特に何もなくて、だったら『別にいいよね』って思えるようになったんです。
僕は病気をきっかけに、障害とともに生きることになりました。もちろん最初はすごく落ち込みました。でも、車いすテニスに出合って徐々に良い成績を出せるようになっていくと、障害をマイナスに感じることは少なくなっていきました。マイナスどころか、人とは違う強みだと感じています。だから病気のことも治療のことも、当時思い悩んでいた自分自身のことも、『嫌な過去』ではないんです」

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2024年1月に開催された全豪オープンテニスで、大会初優勝を果たした小田さん。©︎gettyimages

さらなる高みを目指すだけでなく、次世代を育てたいという強い意思を持つ小田さんが最後に語ってくれたのは、子どもたちに向けた真摯なメッセージだった。

「もしも、何かに悩んでいる子どもたちに僕から伝えられることがあるとしたら、悩みたいときは素直に悩んでいいということです。別に落ち込んだっていいし、塞ぎ込んでもいい。悩んでいる自分にあらがう方が良くないと思います。その後に、新しく夢中になれるものが何かひとつでも見つかれば、決して無駄にはならないはず。『あのとき辛いことがあったから、こうなれた』と胸を張って言える自分が待っていると思います」

車いすテニスという希望があったから、目標とする人がいたから、今の自分がある。18歳とは思えない、迷いのない言葉の端々からは、車いすテニスへの感謝の気持ちと、未来を担う覚悟がひしひしと伝わってきた。若きエースが見据える先は、もちろんパリ。金メダルという「でっかい夢」をまたひとつ叶えるために、車いすテニスというスポーツをけん引するために、トップアスリートの挑戦は続く。

小田 凱人さんプロフィール画像
プロ車いすテニスプレーヤー小田 凱人さん

2006年生まれ。愛知県一宮市出身。9歳で左股関節に骨肉腫を発症。10歳で車いすテニスを始める。2020年にジュニアマスターズの国際大会で優勝。2021年に史上最年少で車いすテニスジュニア世界ランキング第1位となり、2022年にプロに転向。2023年6月に開催された全仏オープンで優勝し、グランドスラムを初制覇。史上最年少での世界ランク1位を獲得。同年7月にウィンブルドンで初優勝、2024年1月の全豪オープンでも大会初優勝を果たし、四大大会3勝。2024年8月から開催されるパリ・パラリンピックへの出場が内定している。