2024.03.28

たったひとりのためにでも歌いたい。一青窈さんのチャリティライブ活動が、百年続きますように

誰かの希望になれるなら、どんな場所にでも行って、生歌を届けたい。「もらい泣き」や「ハナミズキ」で知られる歌手の一青窈さんが、デビュー前からずっと続けてきたことがある。それは、音楽を聴くことが困難な状況にある人たちに、無償で歌を披露するチャリティライブ活動だ。デビュー20周年を機に「gigi project(ジジ プロジェクト)」を発足し、今まさに活動を本格化させている。あえて公にはせず、30年間も地道に取り組み続けてきた社会貢献活動の軌跡、そしてその先に一青さんが見据えるものとは。

音楽活動の原点は「障がいがある人たちのためになりたい」という思い

デビュー20周年のタイミングで「gigi project」を発足した、歌手の一青窈さん
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障がいがある人たちのために、何かできないか。一青さんがそう思い始めたのは10代の頃。中学時代のクラスメートが、突然の事故で下半身不随になったことがきっかけだった。車いす生活になった友人と街中へ出かけるようになると、ひとりで歩いているときには気付かなかったさまざまなバリアに直面。車いすで普通に日常生活を送るだけでも、決めなければならないことや制約がたくさんあると知った。

「車いすで電車移動するためには、駅員さんによるスロープの介助が必要です。どこの駅で何時何分に乗り降りするか、何車両目に乗るかを毎回伝えないといけません。外食するときの店選びの基準は、味よりも店内の構造。間口が狭い、もしくは階段を使わないといけないような店は、入りたくても入れません。服を買うにしても、座ったままで着脱が楽にできるものでないと着られない。そうするとデザイン性で選べないことがほとんどで、おしゃれを楽しむことも難しい。車いすの友人をそばで見ていて、障がいがあるとこんなにも生きづらい世の中なのかと思い知らされました」

車いすユーザー向けの情報誌「チェアウォーカー WaWaWa」
一青さんが創刊時に携わっていた、車いすユーザー向けの情報誌「チェアウォーカー WaWaWa」

大学1年生のときに飛び込んだのが、雑誌の世界だった。車いすユーザー向けの情報誌『チェアウォーカー WaWaWa』に1999年の創刊から携わり(2013年より休刊)、アートディレクターとして表紙のデザインを手がけたり、コラムや詩を書いたり、積極的に誌面作りに取り組んだ。その傍ら、車いすユーザーの編集スタッフたちとバンドを結成。全国各地の社会福祉施設や老人ホーム、病院などに出向いてライブ演奏をするボランティア活動をスタートさせたのは、ちょうどこの時期だった。

転機となったのは、聴覚障がいのある人たちの前でライブ演奏をしたとき。歌詞を手話で伝えながら、観客にはコンドームを膨らませた薄い風船を抱いてもらうことで、音の振動が伝わりやすい演出を取り入れた。たまたま会場に来ていた芸能プロダクションの社長が一青さんのライブに感銘を受け、社長の紹介で音楽プロデューサーの武部聡志さんと出会う。そこからデモテープの制作が始まり、後にデビュー曲にして大ヒット作となる「もらい泣き」が生まれた。2002年に歌手デビューした後も、多忙なスケジュールの合間を縫ってチャリティライブ活動を続けてきた。

末期がんの母が音楽で元気に。外出できない患者さんたちのために始めた病院ライブ

デビュー20周年のタイミングで「gigi project」を発足した、歌手の一青窈さん

一青さんがチャリティライブに力を注ぐようになった背景には、高校生のときに最愛の母を亡くしたことも大きく影響している。末期がんで闘病し、抗がん剤の投与を受けていたお母さまが友人とミュージカルを観に行った日、人が変わるほど元気になって帰ってきた。お母さまのその姿を見て、音楽の持つ力を実感したという。

「母にはずっと病気のことを隠されていました。私は母が胃潰瘍だと思い込んでいたので、入院中も普通に学校に通って友だちと遊んでいたんです。末期がんと知らされたときは本当にショックでした。母を亡くしてからは、ひたすら詩を書いて心を落ち着かせていたのですが、車いすの仲間たちとバンドを組んでライブをするようになると、歌うことが一番の慰めになっていきました。今でも病院ライブを続けているのは、母の看病をちゃんとできなかった悔しさもあるからだと思います。
抗がん剤ではなく音楽で活力を取り戻した母や、病院で私の歌を聴いてよろこんでくださる方々を見ていると、音楽の可能性を感じます。会話や表現が苦手な子でも、音楽を通すと素直にハグしてくれたり、重度の障がいを持っている子が涙を流して反応してくれたり。ライブを聴いて心拍数が上がったおかげで、子どもが手術を受けられるようになったという親御さんの話を聞いたときは、とてもうれしかったです。音楽療法は日本ではあまり馴染みがないですが、そういったミラクルを聞くと、この活動を続けていて良かったなと思います」

どんな場所でも「呼ばれたら行く」をスタンスに

たったひとりのためにでも歌いたい。一青窈の画像_4
児童養護施設 滝郷学園でチャリティライブをしたときにもらった感謝の色紙。デビュー当時のツアーメンバーである長井ちえさんとともに訪問した。

一青さんがこれまでに実施したチャリティライブの数は30本以上。大勢の人の前で歌うこともあれば、たったひとりのために生歌を披露することもある。国内でも海外でも、「呼ばれたら行く」のスタンスを貫いてきた。

友人の家族が入院しているから歌いに来てほしいと頼まれれば、病院のロビーや談話室などでアコースティックギターをバックに歌ったり、大きなホールのある病院では、外来患者も聴けるようなシークレットライブを開催したり。希少難病で外出できない子のために、自宅に歌いに行ったこともある。海外では、カンボジアの地雷除去活動の現場や、ケニアにあるアフリカ最大級のスラムの学校、ミャンマーの孤児院などで歌った。恐れや不安よりも、知りたいという思いがフットワークを軽くさせた。

「つい先日行ってきたのは、千葉の滝郷学園という児童養護施設。ボクサーの苗村修悟さんと知り合いで、彼の出身園ということでお誘いいただきました。そこで出会った18歳の男の子が、家庭の事情で施設で暮らしていると話してくれたのですが、ギターとピアノがとても上手な子だったんです。ピアノで『ハナミズキ』をリハーサルなしで情緒的に弾いてくれて、とても感動しました。病院や施設って重苦しい雰囲気を想像するかもしれないですが、どこにいても子どもたちは明るくキラキラしていて、希望を感じます。歌っている自分の方が元気をもらうことも多いです。
被災地にも何度か足を運んでいて、今年に入ってからは能登半島地震で被災した方々の二次避難所に歌いに行ったし、石川県立能登高校の卒業式でサプライズコンサートもやりました。歌う場所はどこでもいいし、聴いてくださる方は何人でもいい。体力のあるうちにできる限りいろんなところに行って、ひとりでも多くの人を歌でチアアップしたいです」

社会の器となるような仕組み作りを

デビュー20周年のタイミングで「gigi project」を発足した、歌手の一青窈さん

生歌が聴けない環境にある人たちに歌を届けたい。その思いだけで地道に続けてきた活動が、2022年にひとつの節目を迎えた。デビュー20周年のタイミングで「gigi project」を発足。これまで語られることが多くなかった活動が、よりオープンになり、多くの人を巻き込んでいく方向へと動き始めている。

「プロジェクトを立ち上げたからといって、やることが変わるわけではありません。ただ、私がこの世からいなくなった後も、『gigi project』が器として残るような仕組みを作れたらいいなと思っています。自分も誰かのために歌いたい、演奏したいと思っている人はきっと多いはず。そういう人たちがもしも私の活動に賛同してくれるなら、どんどん乗っかってきてほしいです。みんなが参加できるのが音楽の醍醐味ですから。目標はプロジェクトを通じて素敵な仲間と出会い、楽しい時間を共有しながら長く続けていくこと。音楽を欲している人に歌声を届けることで、少しでも世の中が良くなるのであれば、それ以上の幸せはないですね」

3児の母として育児もこなしながら、苦しんでいる誰かを思って30年近くも活動を続けるには、計り知れない努力があったのだろう。両親を早くに亡くし、辛い経験をした過去を持ちながらも、「楽しいから続けてこられた」と明るく語ってくれた一青さんの言葉からは、強さと優しさが伝わってきた。歌で人をよろこばせる。歌手だからこそできる、社会貢献のかたち。広がり始めた輪が、百年後にはたくさんの輪と繋がり、響き合っていることを願う。

一青窈さんプロフィール画像
歌手一青窈さん

東京都出身。台湾⼈の⽗と⽇本⼈の⺟の間に⽣まれ、幼少期を台北で過ごす。2002年にシングル「もらい泣き」でデビュー。翌年、同曲で⽇本レコード⼤賞最優秀新⼈賞、⽇本有線⼤賞最優秀新⼈賞などを受賞、NHK紅⽩歌合戦初出場。2004年に「ハナミズキ」が⼤ヒットを記録。2022年にデビュー20周年を迎え、オリジナルアルバム「⼀⻘尽図」を発売。俳優としても活躍する⼀⽅、詩集や絵本の執筆、他アーティストへの歌詞提供など、活動の幅を広げている。

一青窈 最新曲「ただやるだけさ」

たったひとりのためにでも歌いたい。一青窈の画像_6

2024年3月22日公開映画「猫と私と、もう1人のネコ」の主題歌。⼀⻘さんの作詞による、前を向いて⼈⽣を歩む⼤切さを伝える応援歌。作編曲は台湾のシンガーソングライターで、アジアでも絶⼤な⼈気を誇るクラウド・ルー(盧廣仲)。
各主要ダウンロード配信サイトおよび定額制⾳楽聞き放題(サブスクリプション)サイトにて配信中。

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