ウクライナ映画【マリウポリの20日間】が世界に伝えたいこと。「作られなければよかった」と監督自らが語った理由とは

「この作品は、ウクライナ映画史上初めてアカデミー賞を受賞しました。しかし、おそらく私はこの壇上で、『この映画が作られなければよかった』などと言う最初の監督になるでしょう。このオスカー像を、ロシアがウクライナを攻撃しない、私たちの街を占領しない姿と交換できればと願っています」

ドキュメンタリー映画『マリウポリの20日間』で監督・脚本・製作を手がけたミスティスラフ・チェルノフさんは、2024年3月10日(日本時間の3月11日)、第96回アカデミー賞授賞式の壇上でこう述べた。それは、ウクライナ人ジャーナリストとしての切実な訴えだった。同賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞した本作がいま、日本全国のシアターで公開されている。2022年2月に始まったロシアによる軍事侵攻で、マリウポリの街に何が起きたのか。チェルノフさん率いる取材チームの命がけの報道が、世界にどのような影響を与えたのか。この映画が私たちに知る機会を与えてくれる。

侵攻開始から86日で陥落。兵糧攻めにされたマリウポリの惨状

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©2023 The Associated Press and WGBH Educational Foundation

ロシアがウクライナへの全面侵攻を開始したのは、2022年2月24日。プーチン大統領による演説終了とともにウクライナ各地への爆撃が始まり、その様子がたびたびニュースで報じられた。侵攻直後に激戦地のひとつとなったウクライナ東部のマリウポリは、ロシアが2014年に併合したクリミア半島とロシア本土を結ぶ位置にあり、巨大な港を持つ要衝でもある。AP通信記者のミスティスラフ・チェルノフさんは、マリウポリが真っ先に攻撃されることを確信し、彼の同僚で写真家のエフゲニー・マロレトカさんとジャーナリストのワシリーサ・ステパネンコさんとともに、侵攻前夜に現地へ向かった。『マリウポリの20日間』は、チェルノフさんら3人の取材チームが、戦場の惨禍を20日間にわたって克明に記録したドキュメンタリー作品だ。

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2022年3月6日、マリウポリ市内にあるユースシアターで避難生活をする人々。©2023 The Associated Press and WGBH Educational Foundation

侵攻開始から数日後、ロシア軍はマリウポリの街を包囲し、市内を封鎖状態にした。電気や水、食料の供給を徐々に遮断していき、最終的には携帯電話やラジオ、テレビの通信塔を破壊。瞬く間に街は孤立し、侵攻から86日目の5月20日にロシア側が完全掌握した。約3ヵ月にわたるマリウポリの激戦によって数千人の市民が犠牲となり、街の建物の9割近くが破壊されたとされている。本作の劇場公開とともに寄せられた声明文の中で、チェルノフさんはこのように語っている。

「通信を遮断することは(ロシアにとって)とても重要なことで、これにより2つの目的が達成されることになります。第1の目的は、大混乱を生じさせること。何が起きているのかを知る手段がなくなり、人々は恐慌をきたす。当初、マリウポリがなぜこれほど早く崩壊したのか、私には理解できませんでしたが、今ではコミュニケーションの不在がその原因だったのだと思います。
第2の目的は、刑事免責です。マリウポリから情報が発信されず、破壊された建造物や瀕死の子どもたちの画像がなければ、ロシア軍は何事も意のままにできてしまう。私たちがいなかったとしたら、マリウポリの情報は皆無だったはずです。それこそが、私たちが目にしたものを、危険を冒してまで世界に発信し続けた理由であり、同時に、ロシアが激怒し、私たちを追跡しようとした理由なのです。私は、沈黙を破ることがこれほど重要だと感じたことはありませんでした」

何が真実で、何がフェイクか。ジャーナリズムの真意を問う

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2022年3月9日、ウクライナの救急隊員やボランティアたちが、空爆による被害を受けた産科病院からけがをした妊婦を運び出している。妊婦は別の病院に搬送されるも、助からなかった。©2023 The Associated Press and WGBH Educational Foundation

電話もネットも使えない状況下で、チェルノフさんら取材チームがどのようにして動画を本社に送っていたのか。作中ではその裏事情も明かされる。過酷な戦場で撮られた貴重な映像は、いたましい場面の連続だ。「民間人は標的外」というロシア側の主張とは裏腹に、実際には無差別攻撃が行われ、マリウポリの街はみるみるうちに破壊されていく。

戦火に晒され、消えゆく多くの命。絶望の中でも、生まれくる小さな命。「プーチンにこの光景を見せろ。この子の目を見られるか」幼い少女の心肺蘇生を行いながら叫ぶ医師。「この状況で、人は何を感じるのが正解なのか?」積み重なる遺体を集団墓地に埋葬しながら、悲嘆する市の職員。街が包囲され、逃げ場を失い、略奪行為に走る人々の姿。次々と起きる現地でしか知りえない惨状を、カメラは容赦なく捉える。

2022年3月9日、マリウポリ市内の産科病院が攻撃を受けた。瓦礫の中から血まみれになった妊婦が運び出される衝撃的な映像は、当時世界中で報じられたため記憶に残っている人も多いだろう。チェルノフさんらの決死の報道によって、ロシアに対する国際的な非難が集中した一方、ロンドンのロシア大使館は「映像は捏造されたものであり、妊婦は偽者だった」とするツイートをポスト。ロシアの国連大使も安全保障理事会の会合で、産科病院への攻撃はフェイクニュースだと嘘を重ねた。チェルノフさんは当時の状況をこう振り返る。

「外界から隔絶されていたため、私たちの報道の信用を失墜させようとするロシアの偽情報キャンペーンが勢いを増していたことをまったく知りませんでした。3月11日、AP通信のエディターが、産科病院への空爆で生き残った女性たちを探し出して、彼女たちが実在していることを証明できないかと電話をかけてきました。そのとき私は、あの妊婦の映像は、ロシア政府が反応せざるを得ないほど強力なものだったに違いないと察しました。空爆された産科病院の女性たちを、最前線の病院で見つけ出しましたが、そこで聞いたのは、私たちが撮影した女性が新生児を失い、その後自らの命も失ったという事実でした」

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©2023 The Associated Press and WGBH Educational Foundation

世界から隔離されたマリウポリの人々は、あまりの情報のなさに、誰を責めるべきかもわからない状態になっていた。作中では「爆撃しているのはウクライナ軍だ」と声を上げる市民の姿も映し出される。

「マリウポリで唯一聴くことのできるラジオでは、『ウクライナ人たちがマリウポリを人質化して建物に銃撃を加え、化学兵器を開発している』というロシアのよこしまな嘘が放送されていました。これはプロパガンダとしては非常に効果的で、自らの目で反証を見ているにもかかわらず、この嘘を信じ込んでしまった人たちもいたほどでした」

フェイクニュースを戦略的に使った情報戦ともいわれるロシアのウクライナ侵攻。プロパガンダがいかに人々を混乱させるか。正しい情報を見極めることがいかに困難であるか。本作は戦場の残酷さを伝えるのみならず、ジャーナリズムの真意についても問いかける。

映画は記憶を形成し、記憶は歴史を形成する

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最初から最後まで、ひたすら目を背けたくなる97分間だ。それでも、この作品を「観なければならない」と思わせるのはなぜか。それは、監督自らの苦悩と誠実さが如実に表れているからではないだろうか。「『この異常な破壊の連鎖を止めるために、パパは何をした?』将来自分の娘に聞かれたとき、その質問に対する答えを持っていたい」「この惨劇に意味を持たせるために、世界にマリウポリの現実を知ってもらいたい」。苦しみながらもカメラを回し続けることについて、チェルノフさんの切実な思いがナレーションで語られる。

アカデミー賞授賞式の壇上スピーチで、チェルノフさんはこう締めくくった。「歴史を変えることはできません。過去を変えることもできません。(中略)私たちは歴史を正しく記録し、真実を明らかにし、マリウポリの人々や、命を捧げた人々が決して忘れ去られないようにすることができます。なぜなら、映画は記憶を形成し、記憶は歴史を形成するからです」

マリウポリは現在*もロシア軍に占領されている。そして今この瞬間も、ウクライナでは空爆のサイレンの音が鳴り止まない。ウクライナ以外にも、ガザへの攻撃、スーダン、ミャンマー、シリアの内戦など、戦争は私たちの日常の延長線上にあり、今も多くの場所で続いている。本作を通じて、事実を直視した私たちは、どのような行動をとるべきかを考えなければならない。「作られなければよかった」映画を私たちが今「観るべき」理由はそこにもある。この作品が、ひとりでも多くの観客に届くことを願う。

*2024年5月時点

『マリウポリの20日間』(公開中)

監督・脚本・製作・撮影:ミスティスラフ・チェルノフ
スチール撮影:エフゲニー・マロレトカ
フィールド・プロデューサー:ワシリーサ・ステパネンコ
プロデューサー・編集:ミッチェル・マイズナー
プロデューサー:ラニー・アロンソン=ラス、ダール・マクラッデン
音楽:ジョーダン・ディクストラ
2023年/ウクライナ、アメリカ/ウクライナ語、英語/97分/カラー/16:9/5.1ch/G
原題:20 Days in Mariupol/字幕翻訳:安本熙生  配給:シンカ
©2023 The Associated Press and WGBH Educational Foundation
公式HP:https://synca.jp/20daysmariupol/

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