甚大な被害を受けた能登半島地震から1年が過ぎた。人口減少や住まいの整備、インフラの復旧など、課題が山積する被災地では、今なお多くの住民が立ち直れていない。「輪島商工会議所」が2024年12月に実施したアンケート調査によると、伝統工芸の「輪島塗」を含む漆芸作家のうち、事業を再開しているのは6割ほどにとどまっているという。生活再建への道のりは遠いが、それでも希望を持ち続ける作家もいる。2024年9月の豪雨災害後、避難先の広島で制作をしている輪島市出身の漆芸家、桐本滉平さんの工房を訪れた。
石川県輪島市で漆器の製造販売を営む、創業200年以上の老舗「輪島キリモト」。桐本滉平さんは、その8代目として生まれた。大学時代に経営とマーケティングを学び、卒業後は「輪島キリモト」の営業企画に従事。販売に力を注ぎ、国内外の多くの人に輪島塗の魅力を伝えるべく奔走してきた。
新型コロナウイルスのパンデミック期間中に営業活動が制限されたことが、自分自身を見つめ直す機会になった。地元の職人の平均年齢は60歳を超え、後継者不足が深刻だ。「作り手がいてこそ、工芸文化は継承されていく。長い歴史を宿す漆芸を未来へ残す手段として、人が作ることの意義を示す必要がある」。そんな思いから、本格的にものづくりを学ぼうと決意。尊敬する輪島の漆芸作家のもとで2020年春から修業を積み、独立した作り手として生計を立てる道を選んだ。
漆の存在意義を伝えるために、たどり着いた脱活乾漆技法
日本を代表する漆器のひとつ、輪島塗といえば、均整の取れた椀木地や曲物木地に漆を塗り重ね、金箔などで加飾した華やかな器を思い浮かべるだろう。だが桐本さんの作品は、そんな“特別な”イメージを覆すものだ。
工房に並ぶのは、不揃いの素朴な漆器。いびつでやわらかなその造形は、身近にある自然の有機物をかたどったものだという。手仕事による独特のぬくもりをたたえた酒器は、ひとつひとつが命をまとっているかのよう。工房の窓から差し込む光を受け、なめらかに艶めく。
桐本さんが取り入れているのは、木材を使わずに型を作る『脱活乾漆』という技法。仏像を作る技術として、奈良時代に大陸から伝わった。日頃から手に取っている野菜や果物など、愛しいと感じるものから型を取り、器を成形している。
「漆と米糊を染み込ませた麻布を、野菜や果物の型に貼り付け、何層にも塗り重ねていきます。厚みが出たら型を外し、能登半島で豊富に産出される珪藻土(けいそうど)の粉と漆を混ぜた下地で塗り固めていきます。珪藻土は、植物性プランクトンの一種が堆積して化石化した多孔質の素材。漆が珪藻土の微細な孔(あな)にしっかりと入り込むことで、堅牢な漆器に仕上がるんです」
塗り重ねて、乾かして研ぐ。この作業を何度も繰り返すうちに、表面がだんだんなめらかになっていく。ひとつの酒器を完成させるのにかかる時間は1ヵ月以上。自分自身が納得するものを作りたいという思いから、すべての工程を桐本さんひとりでこなし、作品とじっくり向き合う。手間はかかるが、その分木地では作り出せない自由度の高い造形ができあがる。
「輪島漆器は完全分業制の工芸品です。職人は分業のどこを担うかを決めたら、あとはひたすらそれに徹して技術を磨くという世界。高度な専門技術に裏打ちされた漆器はもちろん美しいですが、『輪島塗だから特別』というのは横柄なコミュニケーションだと思います。伝統工芸だからと慢心せず、時代が移りゆく中でも存在し続ける理由や、漆の魅力を丁寧に伝えていきたい。なるべく素材を無駄にせず、ルールや形式にとらわれすぎず、漆を通じて確固たる愛しさを感じられるものづくりをしたいと思っています」
作家として独立してから約4年、試行錯誤を繰り返し、作りためてきたものを披露する機会も増えてきていた。作品販売やブランドとのコラボレーションも決まっていた中で、大地震が桐本さんを襲った。
2024年元日、午後4時10分に発生した能登半島地震。桐本さんが住んでいた輪島市では、最大震度7を観測した。その日、家族で初詣に行く途中だった桐本さんは、車中で大きな揺れを感じた。道路が寸断されて家に戻れなくなり、公民館の駐車場で焚き火をしながら暖を取った。
一夜明けて、目にした光景に愕然とした。自宅兼工房のあった輪島朝市は火災で全焼。およそ5万平方メートル、200棟以上の建物が焼失した。正月明けに納品予定だった作品も、材料も道具も、すべてを一瞬にして失った。幸いにも家族は無事だったが、家にいた飼い猫3匹は助からなかった。途方に暮れながらも、SNSでは輪島の被災状況や支援物資情報を積極的に発信し、保護猫活動にも注力した。
「地震発生後、電気も水も使えない状態が1週間以上続き、寒さをしのぎながら水と食料を調達してまわる日々を過ごしました。倒壊した建物の解体や瓦礫の撤去も進まず、2024年4月時点で、公費による解体は10月以降になると市から通達がきていました。被災してから数ヵ月間は生きるのに必死で、まったく仕事どころではありませんでした」
多くの人に支えられて、生かされている
貯金を切り崩したり、助成金を活用したりしながら、被災後もなんとか輪島で生活を続けた桐本さん。再出発に向けて気持ちを切り替えることができたのは、地震から半年近く経った頃だった。知人から借りたコンテナハウスを臨時工房に、寄付で譲り受けた道具を使い、徐々に仕事を再開していった。
「被災した輪島の職人のために、国が仮設工房を用意してくれることになりました。申請者全員が無償で3年間借りられるのですが、申請してもすぐに順番がまわってくるわけではありません。仮設工房が使えるまでの間は、知人からコンテナハウスを借りて使っていました」
「火災で燃えてしまったヘラやハケなどの道具は、神社で開催された譲渡会でいただきました。県外に住む職人の方がSNSを通じて呼びかけてくださり、全国の漆芸作家さんから1,000点以上もの道具を寄付していただいたんです。多くの方々に支えられて、生かされていることを実感しました」
損壊した他の作家の工房や家屋から、制作途中の漆芸品や道具を「救出」する取り組みも始めた。地震被害を機に作家たちが手放さざるを得なくなった未完成の漆椀を、桐本さんが譲り受けて修繕を施し、新たな命を吹き込む。
「全壊した建物から器が転がっている光景をたくさん見て、救えるものは救いたいと思いました。譲り受けたものの多くは、何十年も前に作られて眠ったままになっていた未完成品ですが、漆が塗ってあるので木がまったく腐っていなかったんです。ろくろで成形された美しい真円の椀に、漆と珪藻土の粉を混ぜた下地を塗り重ねて完成させます。過去の職人さんと協業しているようで、誇り高い時間です。全部で1万点ほど救出したので、これから長い時間をかけて仕上げていこうと思っています」
やっとの思いで事業を再開し、地震の被害を少しずつ乗り越えようとしていた矢先、記録的豪雨に見舞われた。9月21日から22日にかけて発生した線状降水帯の影響で、奥能登地方を中心に川の氾濫や土砂災害が相次ぎ、広範囲が浸水した。
桐本さんが新たに制作拠点としていたコンテナハウス内にも濁流が入り込み、販売予定の作品が泥まみれになった。「この世には神も仏もいないのか」。無惨な状況で、ようやく絞り出た言葉だった。
「コンテナハウスのほかに、物資や在庫を保管していたインスタントハウス2棟とストッカーボックス10個も浸水しました。輪島に駆けつけてくれた家族や友人たちの協力を得て、泥水をかき出す掃除や在庫の洗浄、ゴミの処分をなんとか終えることができましたが、輪島で新たに制作に取り組める場所は、もう残っていませんでした」
倒壊した住宅の再建支援として、国から支給される交付金は最大300万円。公的支援は乏しく、全焼した自宅跡地に家を建て直すには、時間も費用も必要だ。賃貸で部屋を借りようにも、輪島市内に空き物件はほとんどなかった。
苦渋の決断を迫られ、桐本さんはしばらく能登を離れることにした。現在は、広島にある妻の萌寧さんの実家の一室を借りて、制作を続けている。
絶望の淵に立たされたとき、一番の励みになったのは、応援してくれる人や気にかけてくれる人たちの存在だった。
「災害が起きると神に見放されたような孤立感があるのですが、忘れないでいてくださるだけでも活力になるんだと実感しました。災害を乗り越えることで人は強くなるし、本当に大切なものが見えてくるように思います。
能登の復興が遅れているのは、確かにその通りです。政府は災害対策を抜本的に見直すべきだと思いますが、今の日本は財政的にもこれが限界。それでも、僕たちは見捨てられているわけではないと感じています。災害をきっかけに、能登に初めて来てくださった方や興味を持ってくださった方が相当数いらっしゃるし、現地でたくさんの方を案内しました。希望は常に感じています」
厳しい状況でも、桐本さんは前を向くことをやめない。昨年末には、9月に予定していた伊勢丹新宿店の出展も叶った。困難を乗り越えた先に見据える目標は、漆の文化に興味を持ってくれる人を世界中に増やし、次世代に繋いでいくことだ。
「漆は、樹木が傷を負ったときに分泌される樹液です。耐水性や防腐効果があり、回復させる力を持っています。だから漆芸品は、どんなに傷ついても何度でも生まれ変わることができるんです。漆を扱う人間として、災害を経験した人間として、漆の可能性を多くの人に伝えていきたいと思っています」穏やかな語り口に、志の強さが滲む。
被災地への関心低下が懸念される一方、能登を支えたい、少しでも力になりたいと思っている人は大勢いる。私たちに今できることは何なのか、尋ねてみた。
「漆芸品だけでなく野菜や魚など、能登で培われた技術や素材を使って生み出されるものがたくさんあります。それらを能動的に探して買っていただくことが、僕たち被災者にとって一番の応援になると思います。まだ能登に遊びにきてくださいと言えるような状況ではないですが、来られる方はぜひ現地を訪れてください。今の日本という国がどんな判断を下し、現地の人たちがこの災害をどう乗り越えようとしているのか、そして能登の復興がどのような結果をもたらすのか、注目し続けてもらえたらうれしいです」
愛する人や大切なものを一瞬にして奪い去られる悲しみや苦しみは、はかり知れない。報道を見聞きして、何もできない無力さに苛まれることもある。だが、災害を経験していなくても、私たちは忘れないでいることができる。被災地のために行動し、未来へ伝えることができる。1,000年以上の歴史をもち、この先も引き継がれていく漆文化のように。
震災から1年。窮状は続いている。それでもどうか、希望を捨てないでください。
石川県輪島市出身。自然物を型にした「脱活乾漆技法」による創作を行う。国内外のアーティストやブランドとのコラボレーションにも取り組んでいる。2024年1月に発生した能登半島地震と9月の豪雨で被災。現在は避難先の広島を拠点に活動中。