「私たちは、微力だけど、無力じゃない」核なき世界を訴える、高校生平和大使の活動

「核兵器廃絶のために、署名活動を行なっています。ご協力お願いします!」。原爆ドームと広島平和記念公園を結ぶ元安橋で、地元の高校生たちが道ゆく人たちに呼びかけた。降り注ぐ日差しとは裏腹に、冷たい風が強く吹きつける日だった。1時間で集まった署名は374筆。「署名の数は年々増えています。今日も、1時間にしてはたくさん集まった方ですよ」。引率の小早川健さんは言った。

広島と長崎に原子爆弾が落とされてから、まもなく80年目の夏を迎える。戦争を知らない若者たちは、平和についてどう考えているのだろうか。核兵器廃絶を訴える高校生たちの活動を取材した。

第27代高校生平和大使の広島県代表の3人
第27代高校生平和大使の広島県代表の3人。(左から)沖本晃朔さん、佃和佳奈さん、甲斐なつきさん

累計270万筆以上。国連に届けるための核廃絶署名活動

核兵器廃絶と平和な世界の実現を目指し、「高校生平和大使」として活動している生徒たちがいる。1998年にインドとパキスタンで核実験が相次いだことを受けて、長崎の市民らが募金を集め、二人の高校生をニューヨークの国連本部へ派遣したのがはじまり。その後、活動の規模は拡大し、高校生平和大使は年に一度、全国の都道府県から選出されるようになった。27代目となる今年は、17都道府県から23名が選ばれ、各地での活動に取り組んでいる。

核兵器廃絶を求める署名

高校生平和大使の主な活動内容は、核兵器廃絶を求める署名を全国各地で集め、毎年夏にスイスのジュネーブにある国連欧州本部に届けること。国連内にはこの署名の一部が展示されている。2023年夏〜2024年夏の1年間に集まった署名は96,428筆で、これまでの累計は270万筆を超えた。

ジュネーブの国連欧州本部に署名を届けた第27代高校生平和大使
2024年8月、スイス・ジュネーブの国連欧州本部に署名を届けた第27代高校生平和大使。前列中央は、メラニー・レジンバル国連軍縮部ジュネーブ事務所長

署名活動のほかにも、国連軍縮会議でのスピーチや、各地で開かれる平和集会への登壇、小中学校への出前授業、被爆者との交流など、年間のさまざまな活動を通じて、核なき世界を願う人びとの思いを国内外に発信している。第27代高校生平和大使の広島県代表の3人に、これまでの活動や思いを語ってもらった。

「被爆者の記憶を語り継ぐのは、被爆4世の私だからできること」甲斐なつきさん

「広島で育ち、小学校からずっと平和教育を受けてきましたが、戦争も原爆も遠い昔のことだと思っていました」。広島市立基町高校3年、甲斐なつきさんの意識が変わったのは、中学生のとき。曽祖父母が広島と長崎それぞれで被爆したことを知ったのがきっかけだった。ちょうどその頃、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まり、戦争をより自分事として捉えるようになった。何かアクションを起こしたいと思い、高校生平和大使に応募した。

広島市立基町高校3年、甲斐なつきさん

日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が、2024年のノーベル平和賞に選ばれたことは記憶に新しい。受賞が決まった夜、甲斐さんは広島の高校生平和大使として記者会見に同席し、歴史的瞬間に立ち会った。

ノーベル委員会が発表した日本被団協への授賞理由の中には、被爆者の経験を伝える若者たちの活動についても言及されている。「いつか歴史の目撃者としての被爆者は、われわれの前からいなくなる。しかし、記憶を守る強い文化と継続的な関与により、日本の新たな世代は被爆者の経験とメッセージを引き継いでいる」

活動が評価されたことを踏まえて、ノーベル平和賞の授賞式には高校生平和大使も出席した。甲斐さんはその代表のひとりとして、2024年12月にノルウェー・オスロを訪問。現地でもらった多くの励ましの言葉に勇気づけられた。オスロの高校で出前授業を行い、核廃絶や平和について議論する機会にも恵まれた。「ノルウェーの高校生は自分の意見をしっかりともっている人が多く、学びと刺激に満ちた時間でした」と甲斐さんは振り返る。

ノーベル平和賞の授賞式に参加した第27代高校生平和大使
ノーベル平和賞の授賞式に参加した第27代高校生平和大使の長崎、広島、熊本の代表4人。右端が甲斐さん

一方、高校生平和大使の活動は、決して称賛されるばかりではないという。ときには意見の相違という壁にぶつかり、自分たちの活動は本当に意味があるのだろうかと落ち込んだこともある。

「ジュネーブの軍縮会議に参加したとき、『核抑止論で国を守る』という日本の政府関係の方々の強い意見を聞いて、自分の中の軸が揺らいだこともありました。私たちが核廃絶を訴える意見を述べたとき、ある人が『同意はしないが、理解はする』とおっしゃったのですが、その言葉がすごく腑に落ちたんです。反対意見をはなから拒絶するのではなく、相手の主張を尊重し、理解することは、対話を重ねるうえで重要です。私も核抑止論について理解するために、学び続けています。そのうえで、やはり核抑止論のような不安定なものではなく、核に頼らない安全保障を考えていくべきだと思っています」

元安橋で署名活動をする甲斐なつきさん

被爆4世の甲斐さんが志すのは、歴史の証人である被爆者の経験を次世代に語り継いでいくことだ。

「長崎の曽祖母は、爆心地近くの軍需工場で働いているときに被爆し、生死をさまよう重傷を負いました。広島の曽祖父は、市内警備のために原爆が投下された翌日に広島市に入り、被曝しました。ふたりが残した手記を初めて読んだときは、あまりの壮絶な体験に衝撃を受けました。これから被爆者の生の声が聞けなくなっていくなかで、私たちはどうするべきかが問われています。被爆された方々がつらい記憶を呼び起こし、私たちに伝えてくれたことを、決して無駄にしてはいけない。彼らの思いや被爆の実相を次世代につなぐのは、被爆4世の私だからできることだと思っています」

「いろんな人の意見を知り、『心での理解』を深めていきたい」佃和佳奈さん

福山暁の星女子高校の佃和佳奈さん

岡山県在住の佃和佳奈さんは、小中学校では平和教育を受ける機会がほとんどなかった。平和への思いが強まったのは、広島県福山市にある福山暁の星女子高校に入学してからだという。

「原爆や戦争は、歴史の一部として頭だけで理解してきました。でも広島の高校で平和教育を学ぶようになってからは、より深く踏み込んだ『心での理解』に変わっていきました。そういった変化を経験した私だからこそ伝えられることがあると思い、高校生平和大使に応募しました」

佃さんが大切にしている「心での理解」をダイレクトに反映できるのが、平和学習の出前授業だった。

「どうすれば小学生や中学生に、戦争や原爆のことを身近に感じてもらえるのか。心を動かしてもらえるのか。意見を出し合い、プログラムを考えました。授業が終わると、『自分にもできることはありますか?』と真剣な眼差しで質問してくれる子や、『日本で戦争が始まったらとても悲しい。家族や友達を大切にしたい』と涙を流しながら感想を話してくれる子がいました。戦争を知らない私たちが、さらに若い世代に戦争や原爆について伝えていくのは難しいことですが、少しずつでもできることはあると実感しました」

「私たちは、微力だけど、無力じゃない」核の画像_8

高校生平和大使としての活動に手応えを感じる一方、意見の異なる人との対話の難しさに直面したこともある。「高校生が署名活動したところで、世界は変わらない」。冷ややかな声に、心が折れそうになった時期もあった。

「ジュネーブの軍縮会議に参加したとき、核抑止論を主張する日本政府や政府系の組織の方が多くいらっしゃいました。中には、核兵器をもっと増やすべきだとおっしゃる方も。対話が平行線のまま終わってしまったんです。高校生平和大使の活動に対して『本当に署名に意味あるの?』と言われて、反論できずに悔しい思いをしたこともあります」

やり方が間違っているのだろうか。悩みながらも考えることを諦めず、反対意見にしっかりと向き合った。結果的に、核兵器廃絶への思いはいっそう強固になっていった。

「いろんな意見を知ることが大切だと思っています。そして、高校生平和大使の活動を通じて学んだことを、これからも適切に発信していきたい。誰もが核廃絶や平和について考え、自由に発言できる場を作っていく必要があると思います。ちょうど今、高校生たちがディスカッションしながら学べる機会を作ろうと、広島で高校生サミットの開催を計画しているところです」

「世論形成とともに、政府にも働きかける必要がある」沖本晃朔さん

AICJ高校3年の沖本晃朔さん

広島出身でAICJ高校3年の沖本晃朔さんは、小学生のときに母親の仕事の都合でミャンマーで暮らしていた時期があった。その後、一時帰国中に現地で軍事クーデターが起き、そのままミャンマーに戻れなくなった。

「それまで当たり前だった平和な日常が、急に崩れてしまいました。日本のニュースで見るミャンマーの光景は、自分が見慣れていたものとはまったく違っていた。戦争は過去のことじゃないんだと、そのときに実感しました」

平和の尊さを認識し、沖本さんは高校生平和大使に応募した。その際に、曽祖母が広島市の横川で原爆にあったことを祖父から聞き、自身が被爆4世であることを知った。曽祖母の体験を伝承する責任があると感じた。

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ニューヨークの国連本部で開催された、核兵器禁止条約の第3回締約国会議

2025年3月、沖本さんは高校生平和大使を代表して、ニューヨークの国連本部で開かれた核兵器禁止条約の第3回締約国会議に参加した。核兵器禁止条約とは、核兵器を全面的に違法とする世界初の国際条約のこと。核保有国(アメリカ、イギリス、中国、フランス、ロシア)をはじめ、北大西洋条約機構(NATO)加盟国やインド、パキスタン、イスラエル、韓国などは署名していない。そして、アメリカの「核の傘」に頼る日本もまた非締約国のひとつだ。今回の締約国会議も、日本政府はオブザーバー参加を見送った。

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国連本部で、核兵器廃絶の必要性を訴える沖本さんら

ニューヨーク滞在中に、沖本さんは締約国会議を傍聴したほか、同時期に開催されているさまざまな平和集会にも出席した。各国の外交官や現地の大学生に向けて、高校生平和大使の活動内容や曽祖母の被爆体験を伝えた。

「日本被団協がノーベル平和賞を受賞し、核なき世界への世論が盛り上がる一方、核抑止論を重視する日本政府の姿勢と世論との乖離を実感しています。それは見方を変えれば、政府を変えるほど世論が高まっていないということでもあると思います。会議の最終日に、オーストリアの外交官の方と話したとき、『君の役目は、ここに日本政府を連れてくることだからね』と言われ、確かにその通りだなと感じました。世論形成と同時に、政府に働きかける必要性を痛感しています」

核軍縮がいっこうに進まない中で、高校生平和大使として何ができるのか。理念と現実とのギャップに葛藤しつつ、進むべき道を模索しているという。

「もちろん、核兵器はなくなるべきだと思っています。でも、世界を見渡せば核兵器は存在しているし、減るどころか増えている現実がある。僕たちがやっている署名活動は世論形成活動のひとつですが、無力さを感じることもあります。核廃絶の実現可能性を考えたときに、ベストな方法とは何なのか。廃絶に向けた現実的なアプローチを考えていきたいです」

「この世界の平和について、思い続けながら生きていってほしい」共同代表・小早川健さん

広島県尾道市出身の小早川健さんは、長年教師を務めた後、高校生平和大使派遣委員会の共同代表に就任。20年近く活動を続ける中で、多くの高校生平和大使を輩出・育成してきた。

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元安橋で署名活動をした広島の高校生たち

その日、元安橋での高校生たちの署名活動が終わった後、小早川さんはメンバー全員を集めて話しはじめた。

「以前、ある人がこう言いました。『もしもウクライナが核兵器を持っていたら、今のような事態にはならなかっただろう』。確かに、その人の言う通りかもしれない。でもひょっとしたら、今よりもっと悲惨な状況になっていたかもしれません。

核抑止論は、核の力で脅威を与え、他国に攻撃を思いとどまらせるという理論です。アメリカの『核の傘』にある日本は、核抑止論を支持する立場をとっています。しかし、核抑止論にはいくつか欠点がある。わかる人はいますか?

まず、核兵器を安全に保管しておくためには、かなりのコストがかかるということ。もしも災害時などにメンテナンスできていなかったら、大変なことになります。それから、とんでもない指導者が現れて、意思決定を間違える可能性もゼロとは言い切れません。万が一核戦争に発展した場合、世界が破滅するかもしれない。テロリストが核兵器を入手した場合にも、同じことが言えます。つまり、核兵器がこの世に存在するだけで、私たちは常に危険な状況と隣り合わせにあるわけです。

では、今の我々にできることは何か。それは、核兵器廃絶運動を続けることだと私は思っています。そして、戦争をしようとする指導者を日本で出さないようにすることです。高校生平和大使の仕事は、戦争のない世界を作ること。それは非常に難しいことではありますが、そういった世論を作るという意味においては、大いに役に立つ仕事だと思っています。君たちが今一生懸命やっていることが、多くの人の平和への思いにつながっていくと信じています」

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広島平和記念公園内にある原爆死没者慰霊碑

小学生のときに初めて広島平和記念資料館を訪れた小早川さんは、当時あまりの恐ろしさに、ごはんが食べられなくなった。中学生になって再び訪れたときには、「こんなことが許されていいのか」と怒りがこみ上げた。そのときの思いが、平和教育を続ける原点になっている。

「何か役に立つことをしたい。ただそう思ってこの仕事を続けてきました。高校生平和大使になったからといって、彼らが何かを背負う必要はないと私は思っています。いろんな状況があるんだから、逃げたいときは、逃げてもいい。ただ、できることなら子どもたちには、この世界の平和について、ずっと思い続けながら生きていってほしい。そして、みんな幸せに生きてほしい。それが私のいちばんの願いです」

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核兵器は、二度と使われてはならない。あやまちを二度と繰り返してはならない。広島と長崎の被爆者は、証言を通じて世界に示してきた。想像を絶する痛みや苦しみを記憶の中から呼び起こし、平和な世界を願って訴え続けてきた。彼らの切実な声を、語りを、私たちの代で途絶えさせてはならない。戦争を知らない若い世代が今、その思いを懸命につなごうとしている。

世界から戦争はなくなっていない。核の脅威は高まり続けている。それでも、声をあげなければ、そこから一歩踏み出さなければ、だれが未来に希望を見い出せるだろうか。「私たちは、微力だけど、無力じゃない」。世界に向けて発信する高校生たちの活動を、心から称えたい。

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