「SRHR」と聞いて、すぐに何のことかわかる人はどれほどいるだろうか。「Sexual and Reproductive Health and Rights」の略称で、日本語に訳すと「性と生殖に関する健康と権利」となる。SRHRは、誰もが自分らしく生きるために不可欠なものだが、日本では十分に認識・尊重されていないという課題がある。誰もが平等な世界の実現にむけ、世界80ヵ国以上で子どもたちとともに活動する国際NGOのプラン・インターナショナルはこの夏、日本国内でのSRHRの啓発と推進を目的とした「SRHR for Japan」キャンペーンを開始した。SRHRをすべての人に保障する社会の実現に向けて、まずは知ることから始めてみよう。
自分が望むタイミングで、自分の将来を決めることができる権利
いつ、どこで、どんな人を好きになるか、誰とどんな関係を築いていきたいか、子どもを持つか持たないか、どんな働き方をしたいか――。人生は選択の連続だ。今の時代を生きる私たちには、自分がどう生きたいかを自分で選ぶことができる。自分の未来を自分で決め、自分らしく生きる権利がある。
SRHR(性と生殖に関する健康と権利)は、1994年に開かれた国連主催の国際人口開発会議(ICPD)で提唱された、国際的な概念だ。さまざまな定義がある中で、プラン・インターナショナルは、SRHRとは「自分の身体と人生を、自分の意志で選び決定するための基本的な権利」であると捉えている。例えば、性に関する正しい知識を得ること、望まない妊娠や性暴力から守られること、性的同意をとることなどは、すべてSRHRに含まれる。
SRHRは、すべての人が学び、守られ、社会で活躍するための基盤ともいえるものだが、残念ながら今の日本社会では、SRHRが十分に保障されていないのが実情だ。具体的には、適切な性教育が広まっておらず、性別や性的指向を理由とした差別や偏見、不平等が根強く存在している。重大な社会問題である性暴力に対しても、被害者が声をあげにくい環境があり、十分な対策が講じられているとはいえない。また、医療へのアクセスが不十分なことも深刻な課題だ。安全な避妊方法や緊急避妊薬、性感染症の予防や治療、人工妊娠中絶、妊娠・子育てに関するサポートを受けるための医療が、経済的・地理的な制約によって利用しにくい状況が続いている。
日本の性教育を拡充し、社会を動かす
2021年にプラン・インターナショナル・ アメリカが、日本を含む27の先進国を対象にしたアンケート調査を実施した際、「生理をオープンに話せる」割合は、日本は32%で27ヵ国中25位、「学校でセクシュアリティや恋愛について学んだ」割合は61%で、27ヵ国中22位という極めて低い水準だった。
「性や身体に関わることを学校で限定的にしか学べない状況では、正しい情報にアクセスできず、ネット上の誤った情報を鵜呑みにしがちです。性的同意についても、断り方や同意の方法がわからず、相手を傷つけることにもなりかねません。仮に問題だと感じても、どこに・誰に相談してよいのかわからない人が多いというのが日本の現状です。適切な性教育や医療を受けられないことから、特に弱い立場に置かれた人びとの予期しない妊娠や性感染症のリスクが増加し、教育機会や雇用の不安定化につながりやすいという悪循環が生まれています」。プラン・インターナショナル ・ジャパンの長島美紀さんはそう指摘する。
SRHRを理解している人は10人にひとり。学びと実践が追いついていない現状
説得力のある政策提言を行うためには、データに基づいたエビデンスが必要だ。プラン・インターナショナル ・ジャパンは今年の春、全国の15〜64歳の男女1万人を対象に、SRHRの現状を把握する大規模な意識調査を実施し、「1億人のためのSRHR調査 White Paper 2025」を発表した。
調査結果によると、SRHRという言葉を知っている人は全体の24.7%で、4人にひとりの割合であるのに対し、内容を理解している人は9.2%で、10人にひとりにとどまる。SRHRは「重要」だと答えた人は56.5%だが、「日常で尊重されている」と感じる人は35.4%で、意識と実感に差があることがわかった。
SRHRは、特定の世代や性別だけの課題ではない
一般社団法人SRHR Japanの代表理事であり、SRHRの普及活動に取り組む産婦人科医の池田裕美枝さんは、SRHRが若い世代だけの話ではないことを強調する。
「これまでに意図しない妊娠のケースをたくさん見てきました。大人の方でも、自分は妊娠が嬉しかったけれど、パートナーが望んでいないから諦めるしかない、といってこられる方は本当に多いです。でもそれは、性交渉の前にパートナーときちんと話し合っていれば防げた中絶なんですよね。そういう意味でいうと、SRHRは性別にかかわらず、すべての人たちのコミュニケーションの話だと強く思います。
医療現場にいると、意図しない妊娠のほかに、感染症や悪性腫瘍、不妊など、自分の身体に思わぬことがあって、辛い思いをされている方々に直接お目にかかることがあります。そんなとき、医療者やほかの誰かに相談した際に、自分の選択を応援されていると感じられたかどうかは、その人の人生においてとても大きなことだと思うんです。SRHRは、個人の選択であると同時に、社会全体が個人を応援することでもあります。医療だけではなく、教育や文化、法律などさまざまな分野が連携し、SRHRの実現を図っていく必要があります」
一般社団法人fair代表理事で、ゲイ当事者である松岡宗嗣さんは、性的マイノリティの視点からSRHRの重要性を訴える。
「意識調査の結果から、性と生殖に関する適切な知識を得られていないと感じている人が多いことが明らかになりましたが、それは、性的マイノリティにおいても顕著な問題です。例えばトランスジェンダーの若者の中には、将来就職するためには戸籍上の性別を変更しなければ働けないんじゃないかと思っている人が少なくありません。中には法律上の性別を変更するために大学を休学し、アルバイトで高額な費用を集めて生殖能力をなくす手術を受けようとするという人もいました。自分の身体について、自分が望むタイミングで自分の意思で決断をすることが何より大事なはずですが、 社会の差別や偏見があるために、自分の身体について自分で決められないというのは、SRHRの観点から深刻な問題だと思います。
LGBTQに関する法整備状況でいうと、日本はOECD諸国でワースト2位とされており、性的マイノリティのSRHRは守られていないのが現状です。ジェンダー平等と性的マイノリティの権利は別問題と捉えられることも多いのですが、実際には地続きの問題です。SRHRという概念を結節点にして、包括的に考えていくことが大切だと思います」
自分が誰とセックスしたいのか、それとも誰ともしないのか。いつ子どもを持つのか、それとも持たないのか。性や生殖に関することは、その人の人生の根幹にかかわってくることだ。だからこそ、性について語り、適切な知識を得ることが重要だ。誰もが自分らしく生きられるようになるために、SRHRが尊重される社会になるために、知ることが第一歩となるはずだ。